第十話 契約不履行
「がんばれ〜。ファイト〜」
ゆったりと着いてきている獏の気の抜けた声援を背に歩く。
その間、獏は一切急ごうなんて素振りは見せない。
(なんとやる気のない……)
完全に巻き込んでしまった形なので文句などは言えず、私はただ只管に険しい山道を進んでいた。
あれから私達は、薫さんにもう一度話を聞きに行き、今は浅田健二の手掛かりを探しに、その名のとおり足で稼いでいた。
薫さんが言うには、浅田健二は人や同類が多い場所は好まなかったようで、いるとするならばあの神社のように寂れた場所だろう、とのことだった。
だから私たちは、薫さんから聞いた、以前浅田健二と歩いた場所や落ち合った場所などを重点的に回ることにした。
まず最初に向かったのは、山の中腹にある今はもう使われていないであろう小屋だ。
「うっ……くさっ……」
立て付けの悪くなった扉を開けると、カビ臭くて、とても入れた物じゃない。
「浅田さーん! いませんか?」
念の為、奥に向かって声をかけてみるも、返ってきたのはびゅうびゅうという風の音だけだった。
「……だめかぁ」
リストにバツをつける。
そう簡単に見つかるわけがない。そんなことは初めから分かりきっていた。
「……よし、次」
山からの流れでやってきたのは、山林奥にある小さな池。
日中でも光が差し込まず、黒々とした水面が無駄に雰囲気を持っていて、これはいかにも幽霊が出そうだ。
「浅田さん、いらっしゃいますか?」
……残念ながら、返事はない。すかさずバツをつける。
「……よし、次だ!」
寂れた旧トンネル。
獏から聞いた町外れの墓地。
曰く付きだという古井戸。
とにかく思い付くだけ様々な場所へ行ってみたのだが、どこにも浅田健二の姿はなかった。
「こっ、これは……なかなか過酷っ……」
切り株にへたり込んだ私を見下ろし「あれ。もうギブアップ?」と獏は意地悪く口角を上げる。
多分、早く楽したいからギブアップして欲しいのだろう。
だがしかし、そうはいかない。
何より、ギブアップ――そんな言葉は私の辞書には、ない。
「……まだまだ!」
立ち上がり、両頬をばちん! と叩く。
これまで色々なバイトをしてきた。
清掃も、コンビニも、ラーメン屋も、ビラ配りも。
簡単な仕事なんかなかったけれど、どれも気合いと根性で乗り越えてきたのだ。
「……最後まで、やる!」
「はぁ。熱血系って苦手……」
さっさと解放されたい獏が、何度目かのため息をついた。
ため息など聞こえないふりをして、まだ行っていない候補地を見直してみる。
この町自体はさほど広くはないが、条件を絞った上で回っても見つからないなら範囲を広げるしかない。
「うーん、順番にローラー作戦しかないのかなぁ」
「非効率。ちまちまやってたらあの人間死ぬよ」
「そ、それは……駄目だ……」
頭を抱えて、再び座り込む。
町の地図を見ながら獏が付けてくれた“より”幽世側が強いエリアにペンで〇を付けていく。
契りを交わせるほど強い霊力を持つので、現世側にいる線は薄いだろうという獏の見解だった。
「……あれ?」
ペンがとある場所で止まる。
「この神社、なんで一部が異様に紫がかってるんですか? 靄がかかってるみたいに見えて……」
「は? 紫がかってるって……俺には、別になにも……」
獏が怠そうに地図を覗き込んで、そして途中で言葉を止める。
「……この神社に神なんかもういない」
「そう、なんですね…」
「うん。それでも取り壊せないのは、本殿やどこかの一部が幽世の中心部への入口に直通しているからって聞いたことがある」
「入口……?」
「わかりやすく普段は幽世って言葉を気軽に使ってるけど、厳密に言えばこの町の幽世側も、幽世そのものじゃない。限りなく幽世に近くて、現世も交わる曖昧な地形にあるんだ。だから管理が必要だし、迷い込む魂も多い。
そんな町の中でも、限りなく幽世との境界線が薄い場所の一つがこの神社の本殿らしい。普段は入れないように特殊な鍵がかかっていたはずなんだけど……」
「ここ……いきましょう」
確証はないけれど、浅田健二は恐らくここにいる。そんな気がした。
多分、探し回らずとも、ずっと神社にいたのだ。
地図を畳み、私達は一目散に駆け出した。
♢♢♢
その神社は、石段を八十五段ほど登った先にある。
幸い体力にだけは自信があるので、少し呼吸を整えてから、一気にかけ登った。
獏は階段を見て「げっ……」と心底嫌そうな声を上げた。
人間の姿を模している時は身体能力が著しく下がるらしいが、変化するのも面倒だからとそのままここまで走ってきていた。
八十五段目に足をかけ、塗装の剥がれた鳥居を一礼してから潜る。
「失礼します」
神はそこにいないと言われても、気持ち的に挨拶をしたい。
今日もその神社の石畳には、緋色の葉っぱが積もっていた。
寂れた神社の拝殿。
私達は、そこで一度立ち止まる。
生温い風が不気味に頬を撫でた。
異様な緊張感の中、獏に視線を向けると、顎で“あんたが開けろ”と指示をしてくる。
いや、私が開けるんかい。
否応なしに開けざるを得なくなった本殿の扉に手を掛ける。
御錠はすっかりと綻び、施錠の意味を成してない。
何より本来であれば神のおわすところだ。
僅かな緊張感で指先が震える。
(……ええい! 女は度胸!)
思いきって御扉を開け放つと――そこにいたのは脂汗をかき、肩で息をしながら、ぐったりと力なく倒れる男だった。
瞬時にわかる。
この人は――幽霊だ。
「大丈夫ですか!?」
すぐさま駆け寄り声をかける。
苦しそうな身体を起こそうと背中に手を回すと、私の腕は、その背に触れることなくすり抜けてしまった。
「その人、もう肉体が現世にないから人間のあんたには触れないよ」
「……そうなんですか!?」
「うん。葉山薫の肉体はまだ現世にあるから触れたでしょ」
「確かに。……あ、でも、なんか、バチバチ! ってするんですよね」
獏の表情が、心なしか曇る。
「それは……葉山薫の肉体が失われそうだってこと」
「えっ……」
「死者との契りのせい。葉山薫の肉体を、幽世に縛り付ける力が強くなっている。だから普通の人間のあんたが触ると、干渉としてビリビリする」
「で、でも死期が近いあの猫ちゃんは触れましたよ! 私!」
「あれは自然の死だから。でも、葉山薫は違う。本来はここで死ぬべきじゃないのに、不自然にねじ曲げられようとしてる」
「そんな……」
自分の手のひらを見つめる。
薫さんを助けられなければ、触れることすら出来なくなってしまうのか……。
転んだ私をなんの迷いもなく助け起こそうとしてくれたあの優しい手に、もう触れられないなんて……嫌だ。
私は顔を上げて「獏さん、その人を支えてあげてください! あやかしなら触れるんでしょう!?」と叫ぶ。
獏は一瞬、躊躇うも、はいはい……と仕方なさそうに肩を落としてから、男性をぐっと支えた。
「大丈夫ですか? 私の声、聞こえますか!?」
改めて声を掛けると、獏に寄りかかりながら男性はうっすらと瞼を開ける。目の焦点は、合っていない。
「……浅田健二さん、ですか?」
私の問い掛けに、男性は小さく首を縦に振った。
拝殿の中は仄暗くて、心なしか酸素も薄い。
何よりまるで冷凍庫にいるみたいに寒く、痛みが肌に突き刺さる。
――これが幽世の入口、なのだ。
「葉山薫さん、ご存知ですね?」
浅田はゆっくりと頷き「はい。心優しいお嬢さんです」と答えた。
その言い方に違和感を覚える。獏も何か感じることがあるようで、私の方を見た。
「葉山薫さんは、あなたの待ち人を一緒に探す、と約束しましたよね?」
「……はい。あまりに手がかりがないから悪いと言ったのですが……付き合わせてしまい、申し訳なく思ってました……。
あの、薫さんに何かあったんですか?」
(やっぱり)
私は、確信した。
浅田健二は悪い霊ではない。
恐らく約束をすることで、肉体のある魂を幽世に縛り付けてしまうということ自体、知らなかったのだろう。
ただ親切な葉山薫の厚意を断り切れず、受け取ってしまっただけ。
「浅田さん。その約束、今すぐ反故にしてくれませんか?」
「え?」
「……浅田さん、死んで――」
「ストップ」
獏がその先を紡ぐことを止めた。
「獏さん……?」
不思議に思い獏を見る。
ことは一刻を争う。なのに、なぜ止めるのか。そう問いかける前に、獏は口を開いた。
「浅田さん。自分が今、どんな状況にいるのか思い出せますか? なぜここにいるのか、わかりますか?」
浅田さんは今も尚、息苦しいようで、肩で息をしながらか細い声で言う。
「少し前に、やっと気が付きました……俺は死んでいるんですよね。お二人がさっき肉体が現世にないと仰っていたのを聞いて……ああ、やっぱりって」
浅田さんは苦々しく笑って、目を伏せた。
「渡し守の人と話してから、彼はそうとは言わなかったけれど、自分はもしや幽霊なのかも知れない――そう考えるようになって。それからは、ずっと息苦しくて……」
やはり、叔父は浅田さんとも接触していた。
「浅田さんも……渡し守に会っていたんですね」
「はい。ですが突然会えなくなり……」
私は何も言えずに、床を見る。
「身体の怠さは増していく一方で、どうした物かと思った時、この本殿の中にいるとまだ体が楽なことに気付いたんです。ですから、ここに身を隠しておりました。
薫さんとも……もう会えないと思って……」
自分は幽霊だから、と、そう言った。
薫さんは一時的に迷い込んでいる、生きている人間。自分は死んでいる。だからもう会わない方がいいのだと。
「……浅田さん。このままでは、薫さんは死んでしまいます」
「……え?」
浅田さんが、短く息を吸った。
「ここでは、死人と生きた人間が約束事をすると幽世に魂ごと縛られ、帰れなくなってしまうんです」
「そ、そんな……!」
浅田さんはひどく動揺していた。苦しい身体を起こして、立ち上がろうとする。
「浅田さん、その体じゃ無理です!」
獏が押さえ込むと、浅田さんは力なく床に倒れ込んだ。
「は、離してください。今すぐ薫さんに謝らないとっ……。あんな約束は忘れていいと言わなければ……!」
弱々しくも、なんとか力を振り絞って暴れる浅田さんを、獏はもう一度、強く押さえて言った。
「いいから座って。あんた達は契約書を交わしていない。ただの口約束だ。だから反故にするのも、口約束で出来る」
「反故にします! 今すぐ! だから薫さんを助けてください!」
浅田さんが獏に縋り付く。
さすがの獏も少し動揺していた。
そして「渡し守……見習い」と私を呼ぶ。
「……私?」
きょとんとしながら自分を指さすと「あんたしかいないだろ」と、さも当然のように言われる。
「さっき言ったように、口約束だから契約書はいらない。
ただ“感覚”で浅田の口から契りを引っ張りだして、ふわ〜って感じでそれを葉山薫に返して、契約不履行であることを伝えて」
「……えっ、なんですかそれ。す、すごい感覚ぅ……」
「頑張れ」
とりあえず、やれ。ということだろう。
なかなかの無茶ぶりだ。
だが、やるしかない。
私は先日のように目を閉じ、集中する。
自分の鼓動の音しか聞こえない。
不思議と浅田健二と葉山薫が交わした言葉、重ねた時間が、まるで自分の記憶かのように流れ込んでくるようだった。
葉山薫が、浅田健二と約束をしたあの日――そこで……引っ張り上げる!!
「この契りは契約不履行となりました。幽世は直ちに、葉山薫の魂を自由にしてください」
願うように、祈るように、告げた。
本殿は眩い光の洪水に飲まれる。
やがて浅田健二の体に収束し、一筋の光になってどこかへ一直線に走っていった。
獏はそれを見上げて「……成功したよ」と静かに告げた。
浅田健二は「良かった……」と微笑み、そして力なく獏に寄りかかる。
その姿に、一抹の不安が過ぎった。
葉山薫の魂は救われたが、浅田健二の魂はどうなってしまうのだろう。
肉体が現世にない霊魂の場合、現世に戻る場所はもうない。
その間も浅田さんの呼吸は弱まっていく。
どうすべきか考えあぐねていると、突然、鳥の羽音のような物が聞こえた。
その羽音は、徐々に近づいてきている。
ガタン、と何かが扉の前に降り立つ音がして、私は息を飲んだ。
間髪入れずに扉が開けられ、外からの光が、鬱々と暗く沈んだ本殿内に差し込んだ。
「悪い。遅くなった」
「……天舞さん!」
そこに立っていたのは――天舞だった。
ただ、その出で立ちはいつもとは違う。
苔色の上等な生地の着物に、金色であしらわれた刺繍は美しい松の木が描かれていた。
背中には濡場色の美しい翼を携え、彼を天狗たらしめている。
髪飾りは自分の翼なのだろうか。同じような濡場色の羽が添えられており、手には黄金の錫杖が握られていた。
「渡良瀬沙耶」
「!」
「まずは契約不履行、ご苦労」
「……はい」
そして天舞は、すぐに浅田さんに目を向ける。
膝をつき、今にも消えそうな浅田さんの魂に話しかけた。
「浅田健二さん。あなたの待ち人はもう来ません。
あなたの待ち人――かつてあなたと恋仲だった相川梢さんは三十年程前に亡くなっています。車の事故だったそうです」
浅田さんは、目を見開いた。
そして微かに唇を動かし、確かに「こずえ……」と呟く。
「浅田さんは末期の癌だったそうですね。享年二十五……さぞ無念だったことでしょう。
だというのに、まさかあなたよりも先に恋人の梢さんが亡くなるとは……」
「……そ、そうだ……。思い出した……」
浅田さんは一つ一つ、落とした物を拾い集めるように、ゆっくりと語り始める。
「病室だった……。毎日あいつは来てくれた……。
また、明日って……!」
浅田さんは大切な人を忘れていた自分を責めるように、くしゃりと髪の毛を掴んだ。
「……梢がいたから、余命幾許もないとわかりながらも辛い治療を頑張れた。外でデートが出来なくてごめんと言ったら彼女は、病室でゆっくり話すのも楽しいよと笑ってくれた。
彼女は俺を気遣っていつも、病室で待ち合わせしようねと言った。
あの日も、また明日って言って……別れたんだ……」
――だけど、梢は来なかった。
苦々しく吐き出された声に胸が苦しくなる。
真っ黒な絶望が、濁流のように流れ込んできたような気がした。
「浅田さん、あなたは亡くなった後も梢さんとの契りに自ら縛られることを望み、三十年もの間、現世をさまよい続けた。
生まれ変わったら、その前の肉体の記憶が赤子の頃に消えてしまうのと同じで、幽霊としてさまよえばさまようほど、生前の記憶は消えてしまう。
あなたは、誰かと待ち合わせしていた、という曖昧な記憶だけを残し、自分が死んだことすら忘れてしまった。
そして、数ヶ月前、なんらかの歪みであなたはこの町に迷い込み、二ヶ月前、葉山薫と出会った」
浅田さんは頷いた。
「現世をさまよっていた頃は、俺の姿が視える人なんか殆どいなかった。だから嬉しかったんだ。……薫さんが、普通の、友達みたいに話しかけてくれて」
暗く沈んでいた浅田さんを纏う空気が、少しだけ柔らかくなる。
「もう薫さんは、大丈夫なんですね? 生きられるんですね?」
天舞は少し迷って「……いえ」と答えた。
「薫さんの魂が幽世に縛られることはなくなりました。ただ……意識が戻って生きられるかどうかは本人の生命力次第、としか言えません。
そこには、神も、あやかしも、幽霊も関与できません」
きっとそれが、天命というやつなのだろう。
神やあやかしにすらどうにも出来ない死が、この世には溢れている。
「ていうか、浅田さん。今は自分の心配をした方がいいよ」
獏は血のような赤い双眸で浅田さんを覗き込んだ。
「あんたの魂、消えかけてる。このままじゃ輪廻転生から弾かれるよ」




