第十一話 輪廻転生
「輪廻転生から弾かれるって……?」
「そのままの意味。魂が幽世に囚われ、あるべき場所へ送られることなく消えれば、輪廻転生には乗れない。生まれ変われない」
「えっ!?」
「――浅田さんがここへ来たのは数ヶ月前でも、だいぶ前から幽世に呼ばれ、そして縛られていた」
「……どういうことですか?」
獏の言葉が難しくて、この世界の知識がない私には理解が追いつかない。
(薫さんの魂を幽世に縛り付けた浅田さん自身もまた、幽世に縛られていた、ということ……?)
だとするならば浅田さんを縛り付けたのはやはり、亡き恋人だったりするのだろうか。
私の思考を読み取ったかのように、獏は首を横に振る。
「浅田さんは、恋人との契りを自らに課してしまっている。
浅田さんが成仏できずにさまよい続けていたのは、恋人との契りが直接的原因ではないよ。浅田さんが約束したのは現世であって、ここじゃない。現世の口約束は無効」
「あ……」
「――呪い、みたいなもんだな」
天舞が呻くように呟いた。
二人が最後に言葉を交わしたのは病室。つまり現世だ。それに「また来るね」と約束をしたのは生きている梢さんだ。
薫さんのように、この町で死者と約束したわけではない。だというのに浅田さんの魂は、幽世に縛られてしまっているという。
浅田さんは、浅田さん自身に呪いをかけてしまったのだ。
天舞は厳しい顔で続けた。
「浅田さんは、もうだいぶ魂を摩耗してる。長い長い年月をかけて、幽世に吸い取られていたのが、ここへ迷い込んだことで加速した。
幽世の入り口に程近い本殿にいると少し楽になるってのは、ほぼほぼ取り込まれてるってことと同義だからな……」
浅田さんはぐったりとしたまま、力なく笑った。
「……そうか。俺は、もう生まれ変われないのか」
震える手を左胸にそっと置く。
その表情は思いのほか穏やかで、悲愴感は滲んでいない。
「本来なら、梢を失ったあの日から、俺の人生は終わったも同然でした。生まれ変わったところで、梢にはもう会えないでしょう? ……それならいっそ、このまま朽ちた方がマシだ」
深い、深い絶望が読み取れた。
長い間さまよい、記憶を失うことでなんとか形作られていた魂の炎は、大切な人の記憶を取り戻すと同時に酷く揺らぎ、小さくなる。
今にも消えてしまいそうな灯火を前に、私に――渡し守に一体なにが出来るのか。
「浅田さん! ……生まれ変わりましょう!」
考えるよりも先に口が動いていた。
「生まれ変わったら、もしかしたらまた、梢さんの魂に会える日がくるかもしれない。でも、ここで消滅してしまったら、そんな日は二度とこないんですよ!?」
浅田さんは首を横に振った。
「もう、疲れました」
細い声で言うと、何もかも諦めたような表情で微笑む。
「だ、だめです。諦めちゃだめです! 確かに、梢さんの魂と会えるのはいつになるかはわからない……次の人生かも知れないし、その次の人生かも知れないし……。でも可能性はゼロじゃないんです! だ、だから、諦めないで! 自分の魂を、契りから解放してあげてください!」
夢物語を話している。
建設的ではないし、こんな甘言で折れてくれるなら浅田さんは初めから己を呪い、幽世に縛られることはなかっただろう。
それでも、諦めるなんてできなかった。
「……え?」
その時、胸元のペンダントがひどく熱を持っていることに気付いた。
「……渡し守の鍵が……」
襟の所からチェーンを引っ張り出すと、淡い光を放ちながら、ガラス細工が鼓動のように脈打っている。
「……渡良瀬沙耶。渡し守の鍵に触れてみな」
天舞にそう促され、頷く。
そっと触れてみると、ペンダントは人肌くらいの温さになっていた。
「……あ」
触れると同時に流れ込んできたのは、浅田健二の生前の記憶。
恋人との出会い、惹かれた瞬間、想いを告げ、同じ気持ちだと言われた日、穏やかな日常――そして、末期の癌だと宣告され、目の前が真っ暗になった日も、相川梢は浅田のそばにいた。
大丈夫、離れない。そばにいるよ。奇跡だって起きるかも! と震える声で、口元は必死に笑みを作りながらそう言った。
浅田は綺麗事を言うな! と八つ当たりで怒鳴り散らしたが、それでも梢はそばを離れようとはしなかった。
二人は、今を大切に生きようと決めた。
浅田の治療が辛い物になっていっても浅田は生きることを諦めず、梢もまた奇跡を信じ続けていた。
そして突然訪れた、別れの日。
先に逝ったのは――梢だった。
「また明日ね」
そう言って病室を後にした梢は、二度と浅田の見舞いには来なかった。
浅田は自分を恨んだ。憎んだ。呪った。
自分が病気でなければ彼女はあの道を通ることはなかった。自分が病気でなければ、彼女を自宅まで送ることが出来た。自分が癌だとわかった時点で別れを告げていれば、梢がこの病院へ通うこともなかった。
――事故にはあわなかった。
浅田は最期まで自分を呪いながら、それでも梢の「また明日」を夢見て、そして――病に負けた。
♢♢♢
私はぼろぼろと泣いていた。
浅田さんの記憶の一部に、胸が握り潰されそうなほど痛い。
浅田さんは最期の瞬間まで、己を責め続けていた。
その絶望は計り知れなかった。
だからこそ私は願わずにはいられない。今世で添い遂げることが出来なかった二人の幸せを。
私はペンダント――渡し守の鍵を見る。
一か八かに賭けてみることにした。
「――浅田さん。このペンダントは、渡し守の鍵と言って、死者を降霊することができます」
「……あ?」
天舞の恐ろしいほど低い声が聞こえた気がしたが、今は知らないふりをして続ける。
「今から梢さんを呼びます」
「……は? え、ちょっ……あなた何を言って……」
混乱する浅田さんを尻目に私はぎゅっと目を閉じ、ペンダントをその胸に抱きしめる。
理由はない。何かそれっぽいからだ。
はったりでも何でもいい。詐欺のようで良心は痛むが、なりふり構ってはいられなかった。
(無力だけど、無力なりに、今の私にできることをする……!)
そして良さげなタイミングで目をかっ開き、一呼吸を置いて、ゆっくり口を開いた。
『……健二』
「……こ、ずえ?」
梢は柔らかく大人びた笑みを浮かべて『久しぶりだね』と呟いた。
浅田さんは震える指先を梢の頬にすべらせたが、触れることなく空を切る。
『……ごめんね。この肉体の彼女は、まだ生きているから』
浅田さんは首を横に振って「またこうして会えただけでいい!」と涙声で言う。
『あのね、健二。私は、あなたと過ごしたあの病室での日々がとても愛おしいの。後悔したことなんかただの一度もない。……健二は違うの?』
「ち、違わない……。
俺だって幸せだった! あんな日々が永遠に続けばいいって……本気で思ってたし、梢が病室をデートの待ち合わせ場所だって言ってくれてうれしかった……また明日って言われるのが、楽しみで仕方なかった……」
温かい二人の思い出は、三十年も前の出来事とは思えないほど、まだじんわりと熱を持っていた。
『……うん。私も。だからね、もう自分を憎むのはやめて。私は十分幸せをもらったの。私の今の願いは、ただ一つ』
この言葉は、嘘じゃない。
絶対に嘘じゃない。
私が見た二人の記憶の中の梢さんは今もまだ、そう願い続けているに違いないから。
『――自分を許してあげて。そして、生まれ変わってまた会いましょう』
「っ……こず、え」
『待ってるからね』
そう告げて、私はわざとらしく後ろに倒れ込む。
後ろにいた天舞は無慈悲にも支えてくれることはなく、そのまま思いきり後頭部を床にぶつけた。
「い、いたぁぁぁあ!!!」
起き上がり頭を押さえながら恨みがましく天舞を睨みつけたら、その倍、恐ろしい顔で睨み返された。
怖くて、私はそっと目をそらす。
浅田さんはというと、狐につままれたような顔をしながら床にへたりこんでいた。
さっきまでとは明らかに顔色が違う。呼吸も正常で、苦しそうでもない。
「……魂、解放されたね」
獏の声色には、ほんの少しだけ安堵が滲んでいた。
浅田健二は、恋人を助けられなかった己の無力さを認め――そして、許したのだ。
「浅田さん、大丈夫ですか?」
未だ惚けている浅田さんに声をかけると、浅田さんはワンテンポ遅れて「……だい、じょうぶです」と答えた。
♢♢♢
川の向こう岸、浅田健二は立っていた。
二回目だが、さすがに緊張する。
後ろに鬼の形相を浮かべた天舞が、腕を組みながら監視として立っているのだから、それも当然だ。
獏に助けを求めるよう視線を向けるも、関係ありませんと言わんばかりに目は合わない。
気持ちを切り替えて、浅田さんに手を振りながら「いきますよー!」と声をかけると「お願いします!」と元気よく返ってきた。
目を閉じて、集中する。
頭のてっぺんから爪先まで、血液も、思考も、呼吸も、すべてが巡るように。
「――在るべき形に還りたまえ……!」
宙で魂を掴んで―――放す!
「どうかあの二人の魂が、再び出会えますように。来世こそ、末永く一緒に生きられますように………」
今はただ、この町から祈ることしか出来ない。
「ありがとう! 渡し守のお嬢さんとあやかしの方々!」
一陣の風が吹く。
風がおさまり、次に目を開けた時、向こう岸にはもう誰もいなかった。
「……還ったな」
天舞の声につられて、私たちは空を見上げた。
あの二人はきっとまた会える。そんな予感を抱いて。




