第四話 初めての迷い子
埃が分厚く溜まった棚ははたきを振るう度、煙のように舞い上がる。
一体どれだけの年月掃除を怠ってきたのだろうか。マスクをぐいっと鼻まで上げて、この部屋の埃をすべて出し切るつもりで強弱をつけながらはたき続ける。
幸い清掃のバイトは何度かしたことがあったのでズブの素人ではないのだ。掃除は汚ければ汚いほどやる気が出るのだとパートのおばちゃんが以前言っていたのを思い出し、私も静かに闘志を燃やしていた。
♢♢♢
「……私、渡し守のお仕事、やってみたいです」
我ながらぶっ飛んでいる自覚はあった。
突然、幽世だの現世だのと聞かされ、剰え亡くなった叔父が渡し守という、本来在るべき世界の境界線を越えてしまった魂を見つけて正しく送り届ける仕事をしていたなんて言われても、どこか現実味はなかった。
(夢でも見ているの……?)
こう見えてかなり動揺している。躊躇だってした。
見ず知らずの人々に囲まれ、叔父のいないこの田舎町で突然始まる生活、未知の仕事――不安がないわけがない。
それでもこんなことを聞かされて、そうだったんですね……と言って大人しく地元に帰れるほど、私は器用な性格をしていない。
(それに、このペンダント――“渡し守の鍵”を叔父が私に託した真意と、叔父の死の真相が知りたい)
風呂以外、肌身離さず首から下げていたペンダントがまさか普通の人間には視えていないだなんて思いもしなかった。普段から服の下にしまい込んでいるから他人から見られることはないし、だからこのペンダントについて誰も触れてこないのは別に自然なことだった。
仮に朱の盆や獏達の言う通り、叔父がもし“渡し守”の後継を私に望んで鍵を預けたのだとするなら、遺言でもなんでも遺してくれれば良かったのに。
と同時に、叔父は私を関わらせたくなかったのかも知れない、とも思う。
五年前のあの日、幽世に繋がるあの部屋への出入りを拒んだ理由も、夜な夜な出かけていること、そして何より渡し守という仕事を隠していたこと――
挙げたらキリがないが、とても優しい叔父だからこそ、私にはそう思えて仕方がないのだ。
――でも、それなら、こんな大切な渡し守の鍵をどうして私に……?
結局、ここに帰結して堂々巡りだった。
「……とにかく今は少しでもこの町に滞在して、自分の目で見て、体験する」
よし! と小さく両手で握り拳を作り気合いを入れ、掃除を再開させた。
♢♢♢
「そ、掃除って……! 絶対これ渡し守のお仕事じゃないですよね!?」
遡ること数時間前、三角頭巾に割烹着、マスクにありとあらゆる清掃用具を押し付けられ、この埃臭くジメジメとした一室に連れてこられた。
空気が酷く澱んでいて、息苦しい。
「初日からズブの素人相手にいきなり、じゃあ渡し守の任務をお願いします〜!
なんて出来るわけがないだろ。頭を使え人間。掃除くらいなら、ただの人間の小娘にでも出来るだろう?」
天舞はビシッと人差し指を私に向けた。まったくもってその通りで何も言い返せない。
渡し守に限らず、それはどんな仕事だってそうだ。
「……誠心誠意、お掃除させて頂きます」
「それで良い」
天舞は満足げに頷くと、机に降り積もる埃を指で掬いあげ「塵ひとつ残すなよ」と息をふいた。
(小姑か!)
喉から出かけた言葉を飲み込み「かしこまりました」と頭を下げる。天舞はフンッと鼻を鳴らすと「いいか? サボるんじゃねぇぞ」と目を吊り上げ、ドカドカと足音を立てながら去っていった。
そのせいで無駄な埃が舞って咳が止まらなくなる。
(なんとまぁ、感じの悪い……!)
とはいえ、雇用主の態度の悪さに愚痴を言っても生産性はない。私は、そそくさとマスクを付けて割烹着に腕を通した。
あの天舞という青年は、最初の礼儀正しく厳かな印象とは打って変わって、かなり粗野で乱暴なタイプであるということに気がついた。
獏や覚には相変わらず「減給する」と脅しをかけたり、休み希望を出しているところに「なんだ、この休みは。理由を言え」などと厳しい追求をしている所を目撃した。
所謂パワハラ上司だ。
私が渡し守をやりたいと言い出した途端、あの丁寧な言葉遣いは一切向けられなくなり、お前だの、人間風情だの、小娘だの、バカだの散々な言われようだった。
何より天舞は、私が渡し守の後継を申し出たことを快く思っていないようだった。
それに関しても、いくら私が考えたところで天舞の真意などわからない。だからといって私も、何の収穫もなしに、謎を残してモヤモヤしたまま帰るのだけは嫌だった。
叔父のことが、知りたい。
だから今は、目の前のことを一つずつ、コツコツこなしていこうと決めた。
「……よし! 次は床の水拭きだ!」
部屋のありとあらゆる窓、扉を全開放した。
ある程度の埃を外へ追いやるとそれだけでも空気が清々しいと感じる。
支給された銀色のバケツに水をたっぷり汲み、割烹着の袖を腕まくり。軋む床に這いつくばりながら、固く絞った雑巾でゴシゴシと床を磨いていく。
ちょっと擦るだけで雑巾が見る見るうちに黒く染まるので、これは確かにやり甲斐がある。
誰の家なのかは知らないが、かなり年季の入った家屋は、新居のように綺麗にするというのは難しいのかもしれない。それでも手を掛ければ掛けるほどに整っていく部屋を見るのは存外、気持ちが良かった。
「……うん? 何だろう?」
床を磨いていると、本棚と壁の僅かな隙間に“何か”が挟まっているのが見える。ちょうど光が入らなくて薄暗いので、目を凝らしてもそれが何なのかははっきり認識できない。
でも絶対に何かが挟まっている。
「気になるなぁ……」
さすがの天舞も本棚と壁の隙間まではチェックしないだろう。見なかったことにして他の場所の掃除を進めようとも思ったが、なぜだかやけに気になって仕方がない。
「………………」
♢♢♢
「ぐっ……! あ、と、ちょっと……!」
細い箒やモップの柄を隙間に差し込んで、少しずつ少しずつ寄せていく。初めは苦戦して逆側に押し込んでしまったりもしたが、コツをつかめばおちゃのこさいさいだ。
寄せて、寄せて、寄せて――ようやく手が届く場所まで“それ”がやって来た。
(……小瓶?)
手にしたそれは本当に小さな小瓶だった。壁と本棚の隙間に入るほどの小さな小瓶。恐らく地震か、なんらかの衝撃で棚から転がり、隙間に挟まってしまったのだろう。
見たところ、中には何も入っておらず、空っぽだ。
なんとなく残念な思いで、私は、なんの気もなしに小瓶の蓋を開けた。
ぽんっ! という謎の音が鳴り響いた刹那、この細い瓶の首をどうすり抜けてきたのか、そもそもあの小さな瓶にどう入っていたのか――猫が飛び出してきた。
「えっ……!? は?! えっ、猫ぉ?! なんで?!どこから?! いつ!?」
混乱してあたふたする私など気にもとめず、猫はニャア、ニャアと鳴いて足元に擦り寄ってきた。
「………かわいい」
緑がかった瞳と薄灰色と白が混ざった毛色が綺麗な猫だ。
「どこからきたの? お名前は?」
ニャア、ニャア、と可愛い声で答えるように鳴いている。
首輪をしているから恐らく飼い猫だろう。猫はよく勝手に出歩くしどこからか迷い込んでしまったのかも知れない。
そこで、ようやくハッとする。
「《《迷い込んだ》》……?」
♢♢♢
「すみません! 天舞さんいらっしゃいますか?」
【渡し守 緊急対応室「仮」】と簡易的に書かれた事務所内を訪ねると対応してくれたのはあの白髪の青年の獏と、茶髪メガネの覚だった。
「あれ、どうしたの? 沙耶ちゃん。今確か、あの汚ったない部屋の掃除中じゃなかった? 天舞も酷いよねぇ。何もわざわざあんな汚ったない部屋を………」
覚は言いながら、私の腕にしっかりと抱かれた猫を見た。獏もその猫を見て、ゆっくりとまばたきをした。
「その汚ったない部屋を掃除していたら、出会いました。初めての迷い子に」
猫は腕の中でニャアと鳴き、首輪の鈴をりんりんと響かせた。
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