第三十一話 燃えない魂
「――在るべき形に還りたまえ……!」
本日、四十二人目の迷い子を送り届けた所で私は川のほとりに膝をついた。小石が膝小僧に刺さってチクチク痛むも、今はそれどころではない。
「ちょ、ちょっと休憩……」
元々の霊力があるとはいえ、まだその力を上手く扱えない私は必要以上に体力を消耗していた。視界がチカチカと点滅して、走った後のように息は上がる。
対して獏は大きな岩に腰かけ、涼しい顔でバナナミルクをちゅーちゅーと吸っていた。
崩れ落ちる私を見ても、大丈夫? の一言すらないのだ。私は恨めしそうに獏を見上げる。
私の視線に気が付いた獏は「ん?」と白々しく首を傾げた。
「な、なんですか、この仕事量の差は……」
「え? だって俺に迷い子は帰せないし。それに俺、あくまで“補佐”だから」
補佐を強調されて言われる。
説明しよう! 補佐とは対象の人物の任務をスムーズに行えるように手助けする人、またはその役目のことを指す。
獏は一体、岩に腰かけながら何の補佐をしたのだろうか。私の目はどんどん獏への不信感で濁っていく。
確かに獏に迷い子は帰せない。その言い分はもっともだ。とはいえ補佐というならもう少し働く素振りを見せてもいいのではないか?
今日、私は獏が仕事という仕事をしている所を一度も見ていない。ぼんやりと座って流れる雲を見つめながら、時折思い出したかのように「がんばれー」と心のこもっていない声援を送ってくる。
そしてパーカーのポケットに忍ばせたラムネをぼりぼりと貪ったり、バナナミルクを飲み始めたりするのだ。
(これはさすがに給料泥棒!)
一切の不満も隠さず再びじとっと見つめるも、そんな視線など意に介さず欠伸を一つこぼしながら、じゅこっと音を立ててバナナミルクの残りを吸い上げた。
「ふぁぁぁ」
「またあくび!」
「……あ、ほら。まだまだ迷い子が控えてるよ。頑張って、渡し守見習い」
獏は無理やり話を逸らすと、とんっと踵を鳴らして岩から飛び降りた。
「ちょっ……どこに行くんですか!?」
「バナナミルク飲み終わったから紙パック捨ててくる〜」
言い終わる前に背中を向けて手をヒラヒラとさせて去っていく。
なんて奴だ。
追いかけて文句の一つでも言ってやりたいくらいだが、生憎、獏の言うとおり待機迷い子があまりにも多すぎる。
私はぎりぎりと歯噛みしながら小さくなっていく後ろ姿を見送った。
「……お次の方どうぞ!」
俯きながら足を擦るように前に出た三十代くらいの男性。靴底に引き摺られた砂利同士がぶつかって、ザッザッと音を立てる。
「こんにちは。ええと……早速、見ますね」
獏の怠慢に気を取られている時間などない。今はとにかく一人でも多くの迷い子の魂を正しく送り届けなければ。
――意識を集中させる。
周りの音は遠ざかり、景色は色を失う。
目ではない。目の奥で見る。
まるでカメラのズーム機能のように対象者の身体の真ん中にピントが合うと、魂が見えてくる。
正式な渡し守見習いとなってからはペンダントがそれを見せているのか、それともこの土地が許した渡し守の特権なのかはわからないが、魂の色や形が自然と見えるようになっていた。
「え……?」
私は唖然とする。
(魂が……燃えていない……?)
そんなはずはない。もう一度、と再びピントを合わせてみても、その魂が燃えることはなかった。
「そんなこと有り得るの……?」
通常、健康な魂は炎のような物が魂の周りを包むように燃え盛っている。色や燃え方には様々な種類があるのだが、磨耗した魂は明らかに炎が小さい。
それを見て、緊急性の高い順に魂を送り届けていた。だからこそ、炎の見えない異例の魂を四十番台にするなんて絶対に有り得ないのだ。
私は何度も確認するように魂を見る。
(これはどういうこと……? どうしたらいいの?)
知識も経験もない私には判断がつかない。有識者の助言が欲しい。助けを求めて獏を探すように視線を彷徨わせるも肝心な時にいやしない。
(あとで絶対、天舞さんに言いつける)
幸い魂自体に欠損はない。欠損があればいよいよ重症化、ということにはなるが、その男性の魂の形は綺麗な円を保ったまま炎だけを失っていた。
この男性は現世で今も生きている。とはいえ炎を失った状態、そしてこの感情が欠落したような姿を見ると、現世の肉体が今現在どんな状況にあるのか気になって仕方なかった。
「……すみません、少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
男性は虚ろな目で私を見つめた。いや、違う。正確には私のことなど見ていない。どこかを見ているようで、その目には何も映ってはいない。目の下には酷い隈が浮いていた。
実態のない魂だけの存在にこういう表現が正しいのかはわからないが、覇気がない。瞬きもやけにゆっくりで、魂どころか明らかに健康状態に支障をきたしていた。
「その人やばいね」
背後から突然声がする。遅れてバナナミルクの甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「獏さん!」
足音一つ立てずにいつの間にか獏が立っていた。
あんなに給料泥棒だなんだと悪態をついていたにも関わらず、獏の姿を見て、不覚にも安心してしまう。
「はい、ちょっと見せてね」
獏は小さな声で呪文のような何かを呟くと、ふわりと上がる煙幕の中で変化した。
いつも着ている黒いパーカーは長い外套のような物へと変わり、フードを被っている。何より、男性を見据えるその瞳の赤は血液のように深く、ぎらついていた。
そしてその血のように赤黒い瞳をカッと見開き、男性の顔を覗き込む。双眸が妖しい光を放ち、男性の青白かった顔をも赤く染めた。
その間も獏の方を見ているようで何も見ていない。男性は虚ろな目で一点だけを見つめ続けていた。
明らかに正気じゃない。
なぜ私は気が付かなかったのだろう。
理由はわかっている。
私は“魂”を見ることだけに意識を向けすぎていた。
張り切って、扱えるようになった能力に自惚れて、目の前にいる“その人”を疎かにしていた。
叔父さんならきっとそんなことはなかっただろう。
自己嫌悪で胸がじくじくする。
(馬鹿だ……私は……)
その時、額に衝撃がはしった。
「あいたっ」
獏にデコピンをされた。
ヒリヒリする額を押さえながら「急に何するんですか」と睨みつけると、すっかり戻ってしまったあの眠たげな瞳で私を見下ろした。
「反省は後にして」
その顔はいつもの怠惰なあやかしではない。
間違いなく、渡し守の守護あやかしだった。
「……さぁ、どうしようか」
まるで獲物を見つけた肉食獣のようにぺろりと赤い舌を出して、獏はターゲットを定めた。




