第二十九話 魂の砂時計
渡し守見習いとして正式に認められた私は後日、天舞と覚に連れられて緊急対応室の地下へと進んだ。
そもそもこの建物内に地下があったことすら知らなかったのだが、何より驚いたのは、地下のとある一室にあった本棚だ。古びているが立派な本棚。その本棚に並んだ本を天舞が迷いなく六冊ほど手に取ると、棚ががたがたと激しく揺れ始め、そして――
本棚が左右に大きく分かれ、突然開かれる視界。
学校の体育館二つ分くらいは優にあるだろう白い部屋が広がっていた。
「な、なんですか、ここ……」
突然現れた謎の部屋。
その中でいくつかのレーンに分かれて律儀に並ぶ人々を見て、あんぐりと口を開けた。
「なんなんですか!? ここは! というか地下とかあったんですか!? なんか……本棚ががたがた揺れて、開いて……で、今これ! 手品ですか!? 魔法!? もう何が何やら……」
興奮と動揺で言いたいことが上手くまとまらない私を、覚が「まぁまぁ落ち着いて」と諭す。
「あやかしの存在はすんなりと受け入れておいて、この程度で驚くのか? 変な奴だな」
天舞は本気で理解ができない、というような顔で首を傾げた。
いやいやいや、あやかしの存在は驚く以前にあなた達が人間っぽい感じでナチュラルに接触してきたからでしょう!? と思ったが、反論した所で言い負かされることは火を見るより明らかなので一旦口を噤んだ。言いたいことが言えないんじゃない。私が利口だから、あえて言わないのだ。
「ここは保護した迷い子を管理し、そして送り先にミスがないよう幽世、現世、天界、その他で仕分け、その後データを照合し、然るべき場所へと送る手続きを踏む機関だ」
目をこらすと列をなす人々の真上にはそれぞれ『幽世』『現世』『天界』『その他』と表記された看板のような物がある。
つまりこの人達はみんな、この境界線が曖昧な町に迷い込んだ魂ということだ。
「……ん? えっ、じゃあ私……というか渡し守っていらなくないですか? だってこの機関があればこの人達って元の場所へ帰れるんですよね?」
見習いとはいえせっかく渡し守の資格を得たというのに出鼻をくじかれる。AIに仕事を奪われる現代の闇ってこんな感じなのだろうか。
軽く絶望していた私に、天舞は深い皺を眉間に刻みながら「よく見ろ」とその列の先を顎でしゃくった。
各レーンには担当者がいる。担当者は並んでいる迷い子から一枚の用紙を受け取り、それを見ながら何やらパソコンに打ち込んでいた。
後ろのコピー機から別の用紙を取り出すと、その用紙に氏名、生年月日、それぞれに振り分けられた管理ID、ここへ迷い込んだ日付や経緯などを手書きでわざわざ記入させているのだとか。
「………役所で見たことあるやつぅ」
思わず出た感想に覚は「それな」と頷いた。
「この機関はな、渡し守が不在になったことで結界が手薄になり、通常時より増えてしまった迷い子を一時的に保護しながらなんとか地道にでも送り出す為に、俺たち天狗が突貫作業で作ったやっつけ施設だ」
「ちなみに数日前にできたばかりだから、運営はこの通りぐだぐだね」
「お察しします……」
「一応、期限付きではあるが三界――幽世、現世、天界のお偉いさんには許可を得ている公的な施設だから、そこんとこは安心しな」
情報量が多すぎて何から質問したらいいのかもわからない。言えることは天狗すげぇってことくらいだ。
「作ったのは天狗だが、仕組みややり方を決めるのはお偉いさんだ。こうやっていちいち面倒くせぇ書類提出、作成、チェックが必要な上に融通もきかねぇ。迷い子の中には浅田のように生前の記憶がないって霊も多いし、生き霊だって現状を把握できていない奴も多い。名前すら忘れちまう魂もある。
そんな奴らにここへ迷い込んだ経緯を正確に書けだ? 馬鹿だろ」
「それは……列もなかなか進みませんねぇ」
さっきから見ているが列は全く進まず、並んでいる迷い子達も酷く疲弊していたり、時にはケンカを始めたりとしっちゃかめっちゃかだ。
「お前さっき、渡し守はいらなくないかって聞いたよな?」
「あ、はい…」
「いる」
天舞はきっぱりと言い切る。
「まず渡し守がいれば結界は強まり、こんなにも迷い子は多発しない、これが一つ。そして次に権限だ。渡し守は俺たちと違って余計な書類確認やお偉いさんのはんこを貰う手間をすっ飛ばせる。これが二つ。
そして一番重要なのはここ。魂によっては酷く摩耗しているケースがある。そういう奴らはこの町みてぇな狭間へは長く留めておけない。これもまた浅田のケースだな。魂が摩耗しきっていたり、送られるのを拒絶していたり……まぁ、色々あって送り出す前に魂の灯火が尽きてしまった場合――その魂は輪廻転生から弾かれる。
だからこそ、渡し守の迅速な対応とそれが可能な権限が必要なんだ」
天舞の口から語られる渡し守の重要性に、私は思わず唾を飲み込んだ。
別に軽く見ていたわけではない。
それでもこうして直に現実を目の当たりにしながら、《《現場を知らない偉い人》》が作った無駄の多いルールのしがらみと、そのルールに従うだけでは救えない魂の存在を知ってしまうと、想像以上の重圧に不安は押し寄せてきた。
「渡し守は迷い込んだ魂をあるべき場所へ送るだけじゃない……魂を守る仕事でもあるんですね」
私は首からかけた渡し守の鍵をぎゅっと握りしめる。
あの日、私に幻を見せたはずのペンダントは相変わらずキラキラと輝いているが、あれ以降は特に変わったこともなく、なんの変哲もない普通のペンダントへと戻っていた。
叔父が本当に私に渡し守をやらせたかったのかは現状、知る由もない。それでもこの町の本当の役割を、渡し守の必要性を、現実を知ってしまった今、何もせずに逃げ帰ることだけは絶対にしたくなかった。
思い上がりだとしても、私に渡し守が務まるだけの能力があるのなら尚の事だ。
「天舞さん、覚さん」
二人が私を振り返る。
「まだ見習いという立場ですが、精一杯がんばります。私に出来るのなら、この人達の魂を守らせてください」
目の前の長蛇の列は、五分前から殆ど前に進んでいない。この間も摩耗した魂の砂時計の砂は刻一刻と落ち続けている。
それなら私のやることはもう決まっていた。
「………おもしれぇじゃねぇか」
「うん、面白いね」
天舞はニヤリと笑い、覚もまた相変わらず心の内が読めない不透明で柔らかな笑顔を浮かべていた。
これまでの私なら二人のその笑顔を見た瞬間、酷く後悔していただろう。しかしこれからの私は違う。
後悔をしない為に今ここにいるのだから。
「渡し守見習い、渡良瀬沙耶」
「はい!」
「今すぐ、そうだなぁ……
とりあえず百人くらい送ってこい」
「……ひゃ、ひゃくにん……!?」
「あ、もちろん、パッと見て摩耗が激しそうな順からだぞ。ぴんぴん元気そうな魂はこっちに並んでもらう」
「パッと見て……摩耗が激しそう……!? ちょ、ちょっと待ってください! そんなにすぐはわからないです!」
「はぁ? そんなこともわかんねぇのか? チッ……鈍臭い奴だな」
「あはは、天舞、今日もナイスパワハラ」
教わってもいないことを突然やれと言われる。
わからないと正直に申告すれば、そんなこともわからないのかと無能扱いをされる。舌打ちをされる。
初日から課される百人ノルマ。
……ブラック企業だ。
人間社会もあやかし社会も、実はさほど変わりはない。
現代社会にぬくぬくと生まれ育った根性のない私は、情けなくも早速、自分の発言を後悔することとなった。




