第二十八話 赤い瞳
「……今、なんて?」
猫又から頑張ったご褒美として、とっておきのデニッシュを分けてもらった所だった。
私が選んだのはブルーベリーのデニッシュ。サクサクの香ばしいスクエア型のデニッシュ生地に、ブルーベリーの自然な甘味を活かした果肉ごろごろのジャムが真ん中にたっぷりと乗っている。
それをちょうど頬張る所だった。
「――渡良瀬沙耶。本日付でこの町の渡し守にお前を任命する」
さく、さく、さく。
私はデニッシュを頬張る。
「………なに食ってんだ」
「デニッシュでふ」
「そういうことじゃねぇ。普通、食わねぇだろ、このタイミングでは」
「すみません。動揺して……」
皿にそっと食べかけのデニッシュを置いた。
天舞は深いため息をついて、仕切り直すように体を向き直した。それに倣って私もぴんと背筋を伸ばして体制を整える。
「いいか、あくまでもお前は見習いだ。正式な渡し守じゃない」
「……はい」
残念な気持ちはあれどその判断は腑に落ちた。
私はこの町や渡し守という職業、そしてあやかし達のことを知ってまだ日が浅い。その割にそこそこの修羅場は潜ってしまったが、経験と知識はまだほぼないのだ。
どの仕事にも研修期間、試用期間などは大抵あるし、その職業が例えば職人のように特殊であるほど一人前になるまでにかかる年月は平均して十五年などと聞いたりもする。渡し守もきっとそういった類の仕事なのだろう。
「でも良かったじゃない。見習いは見習いでも渡し守の役割は果たせるんでしょ?」
猫又はイチゴのデニッシュを一つ手に取って頬張った。
「正直、渡し守がこのまま長期不在だったとして真っ先に困るのはアタシ達、守護あやかしだし……ごくんっ」
相変わらず咀嚼は程々に丸呑みしている。大して噛まずに味がわかるのだろうか。
「結界問題もこれで一先ずは安心かな」
開いた雑誌を顔に乗せ、ソファに寝転んでいた獏はそのまま話し始める。
起きてたんかい。
「いや、結界は引き続き天狗の方で担う。こいつにはまだ早い」
こいつ、で、天舞は雑に親指で私を指さした。
叔父が果たしていたという幽世と現世を隔てる結界の役割。それも渡し守の仕事の内であるというが、結局のところ私には何もわかっていない。
結界とは一体、どのようにして成されるというのだろうか……。
叔父は特別霊力が高かったという。
であるなら、特別な術か何かで結界を成立させていたのかもしれないが、私にはまだ残念ながらそのような能力はない。
天舞の言う通り、正真正銘の見習いだ。
……だとしても、いつか自分がその役目を果たす日が来るのなら、少しくらいは今から知っておきたい。
「あの、渡し守の結界って具体的にはどうすればいいんですか?」
赤い双眸がゆっくりと私を映す。
天舞にしては珍しく歯切れの悪い言い方だった。
「それは、な。……渡し守が担っていたっていう結界。それについて守護あやかしが詳しく聞かされることはない」
「え……そうなんですか?」
返ってきたのは意外な答えだった。天舞でも知らないことがあるなんて。思わぬ肩透かしをくらって困惑している私に気付いたのか、天舞は小さく息を吐いて付け加えた。
「渡し守の引き継ぎが終わってしばらく経つと数週間に渡り、渡し守はその役目について天界で学ぶらしい。その際、守護あやかしの同行は認められていない。結界のこともどうやらそこで学ぶようだが、天界で見聞きしたことを渡し守は口外してはならない、というのが掟だそうだ」
「まぁ、天界なんてボクらもそう簡単には行けないからね。守秘義務ってやつだろうね」
「アタシもまだ行ったことない」
「俺も」
「ここにいる面子は天舞くらいしか行けないだろうね」
「……どうだろうな」
覚曰く天界に行けるあやかしはほんのひと握りであり、近年はオンライン通話が可能になってしまったこともあって渡し守ですら年に数回ほどの訪問しか認められていないのだとか。
「……俺は」
天舞の声でその場は一斉に静まり返り、全員が天舞へと視線を向ける。
「その結界についてどうにも釈然としねぇことがある。上がおもしろくねぇのは承知だ。だが、俺は俺が納得できないことをするつもりはない」
目が、合う。
天舞が、真っ直ぐ私を見据えた。
「……だからな、渡良瀬沙耶」
深紅の強い瞳は、初めて対峙した時と何も変わらないはずなのに、不思議と恐ろしくはなかった。
その瞳の中には絶対に揺らがない炎が灯っている。きっと――だから天舞の瞳は赤いのだろう。
「……俺はまだ、お前を正式な渡し守にするわけにはいかねぇんだ」
第一幕 幽世入門編 完
第一幕、完結でございます。
次回から第二幕、渡し守見習い編突入!
よろしくお願いします!




