第二十四話 身代わりくん
「無理! ムリ! 無理ぃぃいいい! ぎゃあああああああああああ!」
拝啓 叔父上様。
私は今、幽世と現世の狭間で
全力疾走をしています。
今日も元気です。
「元気なわけあるかぁぁああ!」
――時を少し遡る。
「渡良瀬沙耶。お前は今から人参だ」
「……はい?」
「お前はあの子供よりも更に霊力が高い。そんな奴が幽世に程近いこの町で間抜け面晒して丸腰で歩いてたら、ああいうアホな低級あやかしほど秒で食いつくに決まっている。なんせアホだからな」
「なんだろう、お口が悪すぎて内容が全然入ってこない」
天舞は思いついた作戦によほど自信があるのかドヤ顔で語り始める。ちょっと腹が立つ。
「そこで、そうだな……獏あたりが言うんだ。
その人間は霊力の高さだけが取り柄の穀潰しのろくでもない奴だが、逃げ足が早くて捕まえられずにいる。代わりに捕まえてくれたら、褒美としてそいつを喰ってもいいぞ! ってな」
「穀潰し……!?」
悔しいが何も言い返せない。私は今、天舞の温情によって『職』も『食』も得ているのだ。何より職の方は大して役にも立たず、食の方は人一倍食べている。
穀潰し。正論過ぎる正論にすっかり意気消沈して黙り込む私の横で、獏が異を唱えた。
「嫌だよ、そんな猿芝居したくない。天舞がやればいいでしょ」
「この俺が、そんな鈍臭い人間の娘一人を捕まえられないと思うか? 不自然すぎて怪しまれるだろうが」
「自己肯定感高っ!」
思わず出た言葉に天舞は「事実だろうが」と赤い目をつり上げこちらを見る。「はい、事実です」と言って私はそっと目をそらした。くわばらくわばら。
天舞は私が目をそらしたのを戦意喪失と看做し話を続ける。
「そこでまんまと食いついてきた濡れ女を引き付け、逃げながら、上手い具合にこの陣まで誘導してこい」
「……この陣は何なんですか?」
さっきまで天舞が錫杖で描き続けていた謎の漢字や記号が円状に連なる陣は、今もなお怪しい光を放っている。
「ここに濡れ女を落としゃわかる」
そしてお得意のヴィラン顔で笑う。
そもそも天舞は自身を英雄ではない、と言っていたから本当にヴィラン側なのかもしれない。そんなことに今更ながら気付いたのだが、時既に遅し。
私の雇用主はおそらく黒寄りのグレーだ。
「皆さん、ご歓談中悪いけど――もうすぐ濡れ女が来るよ」
覚の一言で天舞達の空気は変わる。
その一変した空気に、ぞくぞく、と、恐怖、畏怖、高揚――色々な感情が一緒くたになって背筋をはしった。
これが“あやかし”だ。
「………」
拓人くんが結界内から不安げにこちらを見ていた。
結界の外側から「頑張るからね」と声を掛けると拓人くんは頷いて、そして「ごめんなさい」と謝った。
(ごめんなさい、か)
危険な目にあわせてごめんなさい、なのか、面倒事に巻き込んでごめんなさい、なのか……。
悪いあやかしに勝手に目をつけられ、亡くなった母親に会えるとありもしない希望を餌に騙されて――こんなに小さな子が「ごめんなさい」と言わなくてはならないなんて。
(お前が謝れ、濡れ女)
そんな悪態をついた所で事態は収束しない。
これが渡し守の仕事なのかはわからないが、今の私に出来ることをする。これだけは変わらなかった。
「天舞さん、私にんじんやります」
天舞は、ふっと笑うと全員の顔を見回し、そして宣言する。
「これより、鼻先人参大作戦を決行する」
「え、作戦名だっさ」
「ちょっ猫又…!」
ぽろっと本音をこぼす猫又に全員の視線が突き刺さる。自分も思ったからこそ言わないよう必死で我慢した。にも関わらず、猫又はさも当然であるかのようにダサいと言い放った。
天舞のプライドの高さはエベレスト級だから絶対にへし折るな、と確か覚が言っていたような、いないような。
ヒヤヒヤしながら天舞を見る。ぴくりと反応はしたものの、合理的であるが故、今はそこに時間を割いている余裕はないと判断したのだろう。
何か言いたげな顔をしながらも、ぐっと言葉を飲み込み「必ず成功させろ」と鋭い眼光で私に釘を刺した。
完全にとばっちりである。
「……あ、おい、渡良瀬沙耶」
「はい?」
「これ持っておけ」
天舞に呼び止められ渡されたのは薄汚れた人型の人形だった。
「……なんですか、これ」
「身代わりくんだ」
「身代わりくん」
「この中にはお前の髪の毛が数本入っている」
「こわっ! えっ、てかいつの間に!?」
突然聞かされた衝撃的な事実に思わず人形を落としそうになる。すんでのところで天舞が拾い上げ、あのおっかない顔で「アホ! 丁重に扱え!」と怒鳴り散らされた。
「え! これって私がおかしいんですか!? 人間界なら普通にやってることアウトですよ!?」
「俺はあやかしだからセーフだ。本来なら爪もあればもっといいんだが」
じっと物欲しそうに私の指の爪を見ている。
なんと恐ろしい。
私は本能で手を握って、ささっと爪を隠す。
「……まぁ、今回はいい。いいか、濡れ女をこの陣の所まで誘導したら、そのお前の身代わりくんを陣の中に投げ入れろ」
「これを投げるんですか?」
「そうだ。ヤワな人間のお前があの陣の中に入ろうもんなら最悪、皮と骨だけになっちまう」
「なんつーやばいことをさせようとしてるんですか!?」
「だから身代わりくんをやっただろ」
持たされた身代わりくんを見つめる。
「その身代わりくんは限りなくお前に近い。濡れ女くらいなら容易に騙せるだろうな。さっきも言ったように爪もあれば完全だったが、まぁ……そこは、俺の能力の高さに感謝しな」
いちいち挟まれる自己評価の高さは癇に障るが、天舞がしてくれたことは間違いなく私を危険に晒さない為なのだろう。
ぎゅっと身代わりくんを握りしめる。
「……ありがとうございます」
♢♢♢
覚が示した定位置につきながら、今か今かとその時を待つ。近くには獏が控えており、相変わらず眠たそうに空を見上げているので今ひとつ緊張感がない。
天舞、覚、猫又は陣の近くに――そして拓人くんの護衛も兼ねて私が濡れ女を誘導していくのを待っている。
ポケットに忍ばせた身代わりくんもスムーズに取り出せるかしっかりと確認して、頭の中で走るルートもシミュレーションしておく。濡れ女は水場の近くであればあるほど霊力が増すので、川側は通らないようにとの事だった。
とはいえ、ここから陣のある緊急対応室へ行く間に川はないからその心配はないだろう。
脳内でのシミュレーションを終えた頃、ミシ……ミシ……と木の板が軋むような音がした。
私と獏はそこからもう芝居を始める。私は役たたずの穀潰し。獏は上司からその穀潰しを捕らえるように命令されているが、穀潰しは逃げ足が早くてなかなか捕まえられない。天舞が考えた酷いシナリオの設定通りだ。
濡れ女はここから来る、と覚が指し示したのは緊急対応室からあまり離れていない小さな空き家の屋根裏からだった。
私達はその空き家の前で攻防戦を繰り広げている。
「穀潰し、いい加減捕まってくんない?」
「無理です!」
何度かそんなやりとりをするも濡れ女はなかなか現れない。
たまらず視線を空き家に向けると、ミシミシとしていた家鳴りが一度止み、その直後に天井を突き破って“何か”が飛び出した。瓦礫が崩れ、砂塵が舞うので思わず腕で顔を庇う。
「!」
一瞬、瓦礫の破片か何かが刺さったのかと思ったがこれは――違う。強い霊気と冷気に肌がぴりついていた。
恐る恐る目を開けるとそこにいたのは女だった。長い黒髪からは水が滴り、藍色の着物も濡れて肌に張り付いている不気味な女。下半身は――蛇というより龍のように長くて太い。
間違いない、こいつが濡れ女だ。
私はもう一度ポケットに手を突っ込み、身代わりくんに触れる。
大丈夫。きっと大丈夫だと言い聞かせた。
「……あらぁ、おいしそうな人間」
私をねっとりと視線で査定した後、舌なめずりをした。
「ねぇ」
獏が濡れ女に話しかける。
濡れ女は鋭い目つきで獏を見た。
「そこの人間、無駄に霊力高いでしょ? 俺らもそれが目当てで何かに利用できないかなって拉致したんだけど、そいつ己の霊力もろくに扱えない役たたずでさ。でも人一倍飯だけは食うの」
やっぱりこの設定は酷いと思う。
やや棒読みの獏をじとっとした目で見た。
獏はこちらを見向きもせず、猿芝居を続ける。
「困ったうちの上司が、そいつを捕まえて始末しろって言うんだけど、逃げ足だけは早いからちょろちょろ逃げられて捕まえられなくて。
だからあんた、代わりにその人間を捕まえてくれない? 俺は人間を喰うあやかしじゃないからそいつを始末出来ればそれでいいし、捕らえてくれたら褒美としてその人間を喰ってもいいよ」
濡れ女が目を半月型にして、にたぁっと笑った。
「別にあの小僧はいつでも喰えるからね……
先にこっちの娘を喰おうかしらぁ」
「っ……」
初めてあやかしから喰らう対象として見られた恐怖で足が竦む。
死ぬかもしれない。
そこでようやくそう感じた。
だけど足が竦むなんて言っている場合ではない。逃げなければまず確実にここで死ぬ。
じり、と数歩後ずさりをして、そして一気に――駆け出す……!
向かうのは陣のある緊急対応室。
「!?」
走り出してすぐ、悪寒がはしってほんの少し首を後ろに回す。
「おそぉい」
耳元でねちっこくて、でも艶のある声が響く。
「ひぃぃぃっ!?」
すぐそこにいた。
濡れ女は走っていない。
浮いている。
長い龍のような下半身を浮かせて、時折地面を滑るみたいに。
まるで逃げ惑う私の反応を楽しむ為にあえて捕まえていないのだとでも言うように、くすくすと笑いながら近づいたり離れたりを繰り返していた。
完全に遊ばれている。
濡れ女のこの遊びがいつまで続くかは正直わからない。濡れ女が飽きてしまえば私はいつでも喰われる状況にある。
だったらどうする? どうすればいい?
濡れ女は私が大袈裟に声を上げたり、驚けば驚くほど楽しそうに笑う。
――つまり、私が喚けばいい。
すぅ、と息を吸って、そして私は声を上げる。
「無理! ムリ! 無理ぃぃいいい! ぎゃあああああああああああ!」
私の汚い悲鳴が響き渡る。
このまま追いつかれず、何としてでも、陣まで濡れ女を連れて行ってやる。




