第二十三話 セリニンジン?
「探す手間すら惜しい。――向こうからさっさと来てもらおうじゃねぇか」
ヴィランさながら、いや、その辺の悪役も裸足で逃げ出すような極悪顔で笑った天舞は覚に向かって「あとどんくらいで来る?」と聞いた。少しだけ先の未来が見られる覚はどうやらそれをもう知っているようだった。
「あと一刻、もないかなぁ」
「それだけありゃ十分」
天舞は言うなり錫杖を数回鳴らし、拓人くんを結界内に残したまま、その程近くの床に錫杖の柄を利用して“何か”を描き始めた。
「魔法陣……?」
「陰陽師も古くから使ってるようなちゃんとした陣だよ」
「へぇ……」
私があまりにも要領を得ない顔をしているので覚が補足してくれる。
先程まではなんの変哲もなかった錫杖は天舞が呟いた短い呪文の後、鮮やかな緑色の光を放ち始める。そして錫杖が描いた魔法陣のような物も同様の発光をし、その様子はどこか神秘的だ。
描かれた陣には漢字がいくつも円を成して書いてあるが、ズブの素人である私には解読出来そうにない。
「えっ、ていうかもうすぐ濡れ女が来るんですよね? そのぉ……こんな所で戦ったら建物が倒壊しません? 危なくないですか?」
天舞はこちらに目もくれず謎の陣を描き続けながら言った。
「あんな三下の、人間を喰らうだけしか脳のないあやかしとドンパチやるわけねぇだろ」
「戦うんじゃないんですか?」
「物理攻撃だけが戦闘じゃねぇよ。――いいか、今後お前も何らかの悪意と戦わなきゃならない日が来るかも知れない」
何らかの悪意。
深く考えずに勢いで渡し守をやる、などと言ったものの、この世界に身を置くというのはつまり場合によってはそういう物と戦う必要があるということだ。
今更ながらその事実にぞくりと背筋が冷えた。
「俺たちは英雄じゃない。歴史に名を刻む必要もなけりゃ派手に勝たなくていい。
――可能であれば戦わずして勝て」
天舞はそうしてまた悪い顔で笑う。
「おお……ヴィラン……」
「あ?」
「失言でした、すみません。でも、はい。……肝に銘じておきます」
天舞がふっと笑った。不思議だった。
天舞がヴィラン顔負けの悪党面で笑うと悪いあやかしどころか私の中の弱虫すら逃げ出してしまうのだ。
そもそも、この人がいれば大丈夫、なんて、まだ知り合って間もない相手に安心感を覚えてしまうような人間だっただろうか。私は。
「……そういや、渡良瀬沙耶。お前、足は速いか?」
「え?」
嫌な予感がした。
どうやら私はそこそこ霊感のような物があるそうなので、このカンにもおそらくそこそこの信憑性があるはずだ。
実際、私の足の速さは遅くもなく特別速くもないという感じだが、ここの選択肢は誤ってはいけない。私は瞬時に正解(であろう方)を選び取り答えた。
「めっちゃ遅いです」と。
天舞はやはり呆れたような顔をして、そして「まぁ想定内だ」と言った。
本当にあやかしというのはどいつもこいつも失礼な奴らだと思う。
「っし」
最後の漢字を描き終えたのか、文末を丸で〆るように錫杖の柄をどん! と床について鈍い音を鳴らした。そして改めて言い放つ。
「お前の足が遅いのは想定内だ」
「ま、また言った!」
「だが人間は危機的状況であればある程、奇跡を起こす。火事場の馬鹿力ってやつだな」
私はあの時、選択肢を間違えたのだろうか。
答えは――否だ。
多分、私の足が速かろうが遅かろうが普通だろうがこの先の私の運命は変わらない。
「渡良瀬沙耶。お前は今から人参だ」
「……はい?」
人参。
キャロット。ナニンジン。セリニンジン。
人参とはβ-カロテンをはじめとする栄養が豊富な緑黄色野菜である。
人参ってセリ科だったんだ、知らなかった。
ところで私が人参というのはどういうことなのでしょう。ニンゲンとニンジンってちょっと似てるもんなぁ。
……いやいやいや! 人参がセリ科なのは今どうだっていい。
「な、なんですか人参って!」
天舞は再び悪い顔でにたりと笑う。笑い方がもう悪役のそれなのだ。
前言撤回。
安心などするわけがない。天舞がこの顔で笑うと大体ろくでもないことが起きることを私はもう知っている。
「お前は今から鼻先にぶら下がる人参だ。せいぜい頑張って逃げおおせろよ」




