第二十二話 どちらがヴィラン?
「悪い、遅くなった」
覚から連絡を受けた天舞が緊急対応室のドアを開けたのは一時間程が経過してからだった。
別件で少しこの町を離れていたらしく、珍しく疲れている様子だった。状況は把握済みのようで、妖力を要するからとその姿は既に天狗バージョンだった。
(まだ慣れないな……)
濡羽色の大きな翼は作り物のように美しく、纏う空気は厳粛でどこか近寄り難い。実際、声を掛ける雰囲気でもないので男児に寄り添いながら黙って見ていた。
天舞は錫杖を鳴らしながら床につき、男児の周りで何やら呪文のような言葉を繰り返し唱えている。
「水剋火、火剋金、金剋木、木剋土、土剋水――五行相克は従う。彼の者を隠し、帳を降ろせ、障壁を成せ」
「……わ」
「きれい……」
オーロラのような青や緑の偏光色のカーテンが突如現れ、ゆらゆらと降りた。どうやらそれが結界というやつらしく、まるで男児を囲むように四方に美しく揺らめいている。男児もうっとりとその光を見つめていた。
「結界って透明じゃないんですね」
「お前らは霊力が高いから視えるだけで、普通の人間には視えねぇよ」
「え、そうなんですね」
私の目にも、そしてこの少年の目にも結界ははっきりと美しく視えている。叔父が長年、何らかの術を私に施していたからこれまで自覚症状はなかったが、本当に私は霊力が比較的高い方なのだと実感した。この少年もまた然り。そしてこの少年は私のように、それを上手く隠してくれる存在がいない。
同時に、自分も叔父がいなければこんな風に悪いあやかしに狙われ、命を落としていた可能性も十二分にあったのだと知った。
「ちょっとだけボクの額、見られる? 怖いかも知れないけど……ごめんね」
覚も人間風の出で立ちを脱ぎ、あやかしとしてそこにいた。メガネはなく、鈍色の双眸がはっきりと確認できる。そして額には第三の目が縦に妖しく青白い閃光を放ちながら開眼した。
覚――相手の心を読み、覗く能力を持ったあやかし。
そして本来はそれだけだったらしいが、彼は長い年月を経て、開眼した第三の目で視た相手の少し先の未来が見られるらしい。
男児はさすがに恐ろしいのか、唇を噛みながら今にも泣き出しそうな顔で私の服の裾を握った。
「……拓人くんって言うんだね。年齢は七歳かな。一年前に亡くなったお母さんに手紙を書いてきたんだね」
リュックをちらりと見る。
「拓人くんを騙したあやかしは――濡れ女」
濡れ女。
その名前が出た瞬間、猫又はうげぇと嫌そうに顔を顰めた。
「猫又。濡れ女ってどんなあやかしなの?」
「性悪クソ女よ」
「すごい。簡潔すぎてわからない…!」
雑過ぎる猫又に代わり説明してくれた天舞によると、濡れ女とは顔は人間、体は蛇のように細長い形をしており、水辺に現れては赤子を人間に渡してくるあやかしだという。
「え、なんですかそれ。情報量が多過ぎるんですけど」
「まだ続きがあんだよ。赤子を人間に渡して、濡れ女は牛鬼っていう同業の半グレを呼ぶ」
「は、半グレ……」
「で、それにビビった人間が急いで赤子を捨てようとしてももう遅い。持たされた赤子は急にデカい石のように重くなる。そして、手に張り付いて離れなくなった赤子は投げ捨てることも出来ず、もたもたしてる内に牛鬼に喰われる。そういうやり口だった。――昔はな」
なんと、濡れ女と牛鬼は大昔、喰らう人間の取り分で揉めて決別しているらしい。
そして長い年月を経て、濡れ女は天舞達のように人間の姿を模すことを覚える。体が適応していき、水辺以外へも出没するようになり、江戸の後期頃には一人で人間を喰い荒らす悪鬼となった。
だが、栄華は続かない。
この町が出来て、幽世と現世の境界が守られるようになってから、濡れ女は現世へと渡る許可をなかなかもらえず悪行はすっかり途絶えたのだとか。
しかし今回、渡良瀬凌が後継の引き継ぎもせず逝去したことで結界が緩んだことを知った濡れ女は、早速、無許可で現世へと渡り、人間を狙ったという話だった。
「結界……」
叔父がその身で引き受けていたという結界。渡し守がいかにして結界としての役割を果たすのかはわからない。わからない、が、実際に叔父が亡くなり、結界が弱まることでこうして境界を超えて悪事を働くあやかしがいるという事実に胸はざわつく。
聞きたいことは山ほどある。しかし今はこの少年――拓人くんを守ることに集中すべきだ。
私の服をぎゅっと握ったまま、今にも泣き出しそうな拓人くんの背中に手を添える。無力なただの人間である私が今やるべき事は、少しでもこの子が安心できる空気を作ることだろう。
拓人くんは背中の手の熱に気づき、ぎゅっと唇を噛みしめながら、ほんの少しだけこちらに寄りかかった。
「しっかし、厄介だね」
覚は霊視が終わったのか、額の第三の目を閉じて椅子に腰かけた。
心做しか顔色が悪く、あやかし相手に使う言葉として正しいのかは定かではないが血の気がない。
「拓人くんの中に濡れ女の気を感じる。どこにいても辿れるようにマーキングされてるね」
「……じゃあ、ここにいることもバレてるんだ」
獏の言葉に覚が頷く。猫又は「んげ……GPS仕掛けてるストーカーと変わらないじゃん」と心底引いていた。
「オレ……ママにあえないの……?」
拓人くんは掠れた声を絞り出した。獏も猫又も覚も何と答えれば良いのか考えあぐねているようで言葉を発しない。
だって、それは、濡れ女が拓人くんを誘い出す為についた嘘で、お母さんには会えないのだとみんながわかっているから。
だからこそ、私は許せない。
死んでしまった大切な人に会いたいかと問われたら、誰だって会いたいと答えるだろう。私だってそうだ。そういう祈りのような神聖な気持ちを私欲の為に踏み躙られて、許せるわけがない。
力任せに握りしめた手のひらへ爪が食い込んだ。
「ママには……会えない。ごめんな」
天舞が結界の外側から、少し困ったような顔をして拓人くんにそう言った。
天舞からは聞いたことのないくらい、柔らかくて、優しいけれど悲しい響きを持っていた。
拓人くんは俯いて、そっか……と声を震わせるだけで涙は流さない。
誰も何も言えなかった。
泣かない拓人くんの代わりに、染みのように広がっていく重苦しい空気を切ったのは天舞だった。
「……だが、マーキングされてんなら逆に都合がいい」
天舞の一言に空気が変わる。私だけがその意図を理解できずに首を傾げていた。
「都合がいいって……いつ襲われるかわからないのに?」
「だからだよ。なんせ俺は忙しいんだ。待ってる時間がもったいねぇ」
天舞が好戦的に笑う。さながらヴィランのような表情だ。
「探す手間すら惜しい。――向こうからさっさと来てもらおうじゃねぇか」




