第二十一話 結界
無言でソファに沈みながらゲームに熱中する男児を囲み、私達はひそひそと言葉を交わしていた。
とは言っても男児を連れてきた張本人であるにも関わらず、獏は相変わらず興味がなさそうに口を開けて天井を見ているし、覚は面白おかしそうにただ状況を傍観しているだけ。
猫又はというと、猫だった遠い昔に近所のクソガキに何度も尻尾を踏まれてから男児が嫌いになってしまったらしく、一切歩み寄ろうとはしない。
(詰みだ……)
「……ていうか、ただの迷子なら普通にあの川に行って、いつもみたいにあるべき場所へ送れば良くないですか?」
「それは難しいかな」
私の疑問に答えたのは覚だ。
メガネを外し、男児をじぃっと静かに見つめて言った。
「この子……霊力が高いね。幽霊とか普通に見えちゃってるはずだよ。
ただ、肉体は何の問題もなく元気に現世にいるし死ぬ予定も今の所はないから呼ばれたわけでもない。何らかのきっかけで迷い込んじゃったんだろうけど、それなら、ここに来る道を忘れるまじないを施さないと、魂を送った所でまたここへ来ちゃうよ」
霊感が強いとそんなことも有り得るのか。
こちらに目もくれずゲームに熱中する姿は本当にどこにでもいるただの子供でしかないが、もしかしたら今回に限らず霊感が強いことで何らかの不便があったり不遇な思いをしているのかも知れない。
かつての叔父がそうであったように。
私はしゃがんで、ソファに座る男児と同じ目線に立ってみる。
男児はそれでも、ちらりともこちらを見ようとはしなかった。
別に目を見て話してくれなくてもいい。
私は液晶パネルに釘付けのままの焦げ茶色の瞳を覗き込んだ。
「こんにちは。私の名前は渡良瀬沙耶です」
「………」
返事のかわりに、ぴこぴこん! という甲高いゲーム音が流れている。
「キミのお名前を教えてくれませんか?」
「…………」
シカトである。
私は無言で振り向き覚、猫又、獏の方を見る。獏は大あくびをかまし、猫又は爪を見つめ、覚だけは「ナイスガッツ」と親指を立てて励ましてくれた。
「集合」
指でちょいちょい、としながら号令をかける。渋々集合するあやかし三人。
「あの子供、さっさとまじないを施して現世に戻しましょう」
「渡し守志望としてどうなのよその発言は」
猫又が呆れたように言う。
「じゃあ皆さんが代わりに話を聞いてくださいよ! 」
「………」
「………」
「………」
全員がそっと目を逸らす。
なぜなら……その場にいる全員が、揃いも揃って子供との接し方がいまいち分からなかったからだ。
「ほらぁ」
「仕方ないでしょ! あのクソガキ感はアタシの担当じゃないの! ていうか獏が連れてきたんだから獏がなんとかしなさいよ!」
「無理。ていうか、俺より覚の方が子供ウケよさそうじゃん」
「いやいやいや。生まれてこの方、子供にウケた事なんかただの一度もないよ」
全員が迷子の子供を押し付けあっている情けなさ過ぎるこの状況に最初に石を投じたのは、まさかの男児本人だった。
「オレ、じぶんでここにきたんだよ」
「……へ?」
「まいごになったんじゃないよ。じぶんできたくてここにきた」
男児はゲームの画面から目を離さずにそう言った。
「……なんで?」
獏が問いかける。
「ねてたら、まくらのとこにオバケがたってたの」
その言葉に獏も覚も猫又も突然、真剣な面持ちへと変わる。
「ここにくれば、しんだママにあえるよってオバケがおしえてくれたんだ。だから、やりかたをきいて、からだからフワァってこころだけをはなして、こころだけここにきたの」
覚はポケットからスマホを取り出すと「続けてて」と私達に告げてどこかへ電話を掛けながら緊急対応室を出て行った。
獏は「うん、それから?」と男児から続きを聞き出そうと促す。男児は拙い言葉で一所懸命に説明を続けた。
「きづいたらここにいて、それで、そのオバケがママはじんじゃのなかにいるからいっしょにいこうってゆったの。
だからいっしょにいこうとしたらきゅうにいなくなって、そしたらそのしろいおにいちゃんがオレにはなしかけてきたんだよ」
獏と猫又は怖い顔をして黙り込んだ。
「……ちょっと、ふたりとも」
男児は二人の空気感に、なんとなく不安になってきてしまったのか少しずつ顔をくちゃくちゃにして、声を上げて泣き始めてしまった。
「わああああああああん!!!」
「わ、わ、ど、どうしよう」
私は慌てて男児に駆け寄り、慣れない手つきで頭を撫でる。
すると余計に男児は泣き出すから、私はあわあわしながら「お菓子たべる!? オレンジジュースは……ないんだった……! ええと、ええと」と半ばパニックになりながらもコミュニケーションを取ろうと試みる。
「うわあああああああん!!!」
男児は一向に泣き止まない。
「ど、どうしよう……!」
子供を相手にするようなバイトはまだしたことがなかった。
圧倒的に、知識も経験値も足りない。
「お、お絵かきでもする!?」
その辺にあったチラシの裏にうさぎやくまの絵を描いて見せてみても、やはり男児が泣き止むことはなかった。
空回りしまくる私を見て、猫又が「間違いなく渡良瀬の姪だわ…」と呟いたのが耳に入る。
不本意ながら、私もちょうどそれをひしひしと感じていた。
「……大丈夫。ここは怖くない。俺も、この二人も味方」
見かねた獏がしゃがみこんで男児と目を合わせながら静かにそう告げる。すると男児はしゃくり上げながらも、獏の目を見てゆっくりと頷いた。
「……この子、迷子なんかじゃないわ」
猫又の声に獏が同意をする。
「うん。悪いやつに、連れてこられた」
「……悪いやつ?」
「霊力の高い人間を食うあやかしもいる。子供なんかは騙しやすいし、連れ去りやすいから格好の餌食」
「そんな……」
にわかには信じがたい話だった。
幸いなことに私は未だ人間を食うような恐ろしいあやかしに遭遇したことがない。だからどこかで、あやかしは人間に友好的であると思い込んでいた。
人間を襲うようなあやかしは数々の創作物によってねじ曲げられた捏造なのだろう、と。
「あの神社、覚えてる?」
「浅田さんがいた神社?
……あ。確か、幽世の中心部に繋がってるっていう……」
「そう。幽世には色んな魑魅魍魎が跋扈してる。
あの世なんて言われてるけど天界とも地獄ともまた別。あやかしと、天に昇れなかった哀れな魂の末路が化け物になって行き場もなく彷徨っている昏い世界。そいつは、そこにこの子を連れ去ろうとしていた。
それがどういうことかわかる?」
突然落とされた恐怖に、呼吸が浅くなる。
だって、きっとそれは、死んだママに会わせてあげると最低の嘘をついて幽世へ連れ去り、この子の魂を食おうとしていた、ということなのだろう。
「……だからこの町が大事なの。幽世と現世の間にあるこの町が――渡し守が大事なの。
渡良瀬が死んで、迷い子があるべき場所に帰れないだけじゃない。渡し守が存在していたことで施されていた結界があちこち少しずつ綻んでる。
あの神社もそう。これまでは渡良瀬がいたから保たれていた」
「待って……。どういうこと…?
渡し守の仕事は迷い子を在るべき場所へ送り届けるだけじゃないの…?」
猫又は首を横に振る。
「渡し守は幽世と現世の対岸を結ぶ存在。アタシ達も結界がどんな風に施され、保たれていたのかは分からない。だけど幽世と現世を隔てる結界は、渡し守がいたことで機能していたのは間違いないわ」
叔父の秘密が知りたかった。
その為に私はこの町に留まっている。
それでも、いざ真実に手が届きそうになると、私の心はほんの少し知ることを躊躇う。
「――渡良瀬はずっと、この世界の秩序を守る為にここにいた」
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