第二十話 雨上がり、ガチ迷子
「え、なにこれ、うま」
雨上がり。二本の傘をぶら下げて猫又と一緒に緊急対応室へと戻った私は、珍しく血相を変えた覚に迎えられた。
「……っ沙耶ちゃん!」
「覚さん……?」
思いがけず覚に両肩を掴まれて私は固まる。
「あんな雷雨の中、勝手にいなくなっちゃ駄目だろ! あやかしなら身体的に問題なくてもキミは人間なんだよ!?」
「ご、ごめん……」
「せめてちゃんと誰かに声掛けて……」
覚の真剣な声に、私の胸はチクリと痛む。勝手にいなくなって心配させたこともそうだが、こんなにも心配してくれる人を完全に信用しきれていない自分がなんだかすごく薄情に思えた。
叔父の死の真相が知りたい。いっそそう告げてしまったら、覚や獏――天舞はなんと言うのだろうか。
(下手に深入りすればこの町から追い出されて本末転倒、なんてことも有り得る)
それを思うと、まだ正直には言い出せそうになかった。
「ごめんなさい……」
項垂れる私を見て覚はふっと息を吐くと、奥から二枚タオルを持ってくる。私と猫又の二人の頭に置いて「わかれば良し」と笑った。
――そして場面は冒頭へと戻る。
猫又がおにぎらずを一口頬張り、嚥下しきる前にそう言った。そして二口、三口と間髪入れずに口へ運ぶ。
いい食べっぷりだ。
「天舞のやつ、ほんと……ごくっ……料理の腕だけはいいわよね……ごくんっ」
凄まじいスピードでなくなるおにぎらずと猫又の華奢な体とのギャップに、脳の処理が追いつかない。
「……え、噛んでる? 丸呑みしてない?」
「失礼ね! 噛んでるわよ!」
「犬猫は丸呑みしがちだからねぇ」
「噛んでるってば!」
「はいはい」
見慣れているのか覚はソファで長い脚を組みながらゆったりコーヒーを嗜んでいる。
猫又はおにぎらず三つをぺろりと平らげると「ねぇ、オレンジジュースが飲みたい!」とソファにふんぞり返りながら私を見た。持ってこいってか。
「ええ……? ここの冷蔵庫にあったかなぁ」
すっくと立ち上がり緊急対応室内の小さめの冷蔵庫を漁る。仕事場なのだから当然だが冷蔵庫の中には必要最低限の物しか入っていない。
「猫又、オレンジジュースないや」
「はぁ? 天舞のやつセンス無」
そんな私達のやりとりを見ていた覚は感心したように「すごいな。もう猫又を手懐けたかぁ」と漏らした。
それに黙っていないのは猫又。
「は? 手懐けたって何!? 人を犬猫みたいに!」
「猫だろ?」
「ただの猫じゃない! 気高く可愛い猫又様よ!? 大体、アタシが手懐けてやった方なんだから!」
ふんっと鼻を鳴らし更にふんぞり返る。もうそれ以上はソファも迷惑だからやめた方がいい。
「……って言ってるけど、どうなの? 沙耶ちゃん」
「どっちでもいいかなぁ」
「はぁ?! 何よその投げやりな態度! まるでアタシだけがムキになって騒いでるみたいじゃない!」
「いや実際そう……」
「むっっっかつく小娘ね! 渡良瀬は姪の教育がなってない! ちょっと寝てる場合じゃないわよ渡良瀬! さっさとこの無礼な姪を教育し直しなさい!」
「あはは、渡良瀬は死んでからも大変だ」
キィキィ騒ぎ立てる猫又と不意に目が合う。
猫又は、特徴的なつり目を少しだけ細くして笑った。
私も笑う。
猫又がどう思うかはわからないけれど、叔父が大切にしていた猫又との縁を私も大切にしていきたいと思った。
人知れず亡くなった叔父を今でも想い続けてくれているこのあやかしとの絆を。
「……んにゃ?」
どこへ仕舞っていたのか猫又の頭から二つケモミミがぴょこっと生える。フワフワの真っ白い耳に胸が高鳴る。可愛い。
「誰か歩いてくる。このやる気のない歩き方は……獏だわ」
猫又の耳がぴょこぴょこ動く。あやかしといえど耳の良さはやはり猫のようで、少し遠くても誰が歩いてくるかは知人なら分かるらしい。
それから数秒も経たずに緊急対応室の扉が開いた。
そこに立っていたのは相も変わらず怠そうな獏で、私は思わず「おぉ…! 本当に獏だ」と感嘆の声を上げて猫又を見た。
猫又はわかりやすくドヤ顔をしながらフワフワの耳を動かす。
「……なに?」
獏は面倒くさそうに顔を顰めたが私は首を横に振って「なんでもない」と答えた。面倒くさそうにしている相手に一から説明をするのはもっと面倒くさいからだ。
「はは、雑だなぁ」
覚はなぜかそんな私達を見て笑った。
「……その人たち誰?」
突然、獏が開けたままのドアの向こう側から声が聞こえた。私達はぎょっとしてドアの方に視線を移す。
ひょこっと顔を出してこちらの様子を伺っていたのは――
「え、人間の……子供……?」
小学校低学年くらいの男児だった。
私が呆然としている間に男児はずかずかと室内まで入ってくる。そして自然にソファに座り、背負っていた黄色いリュックサックを下ろすと、そこから小さな袋菓子を開けてぼりぼりと食べ始めた。
「ああああ……! こぼしてる! すっごいこぼしてる! せめてティッシュか何かを敷いてその上で……!」
食べカスが床やソファに散らばるのを騒いでいると男児は私を一瞥して、チッと舌打ちをした。
「……へ? 私、今、もしかしてこの小僧に舌打ちされましたか?」
「思いきりされたわね」
「ちょっ……親! 親はどこです!?」
それでも尚、男児はマイペースにお菓子を貪り続けている。それどころかリュックを再び漁り始めたかと思うと、携帯ゲーム機を取り出しスイッチを入れた。
自由が過ぎる。どこまで肝が据わってるんだ、この男児は。
私達は揃って顔を見合わせた。
人間がこの町に迷い込む、ということは大抵は死期が近いということだ。
つまりこの子も――
複雑な思いでゲームに熱中している男児を見つめていると獏は「いや、この子は違う」と言った。
「違う? え、どういう事ですか?」
覚が苦笑を浮かべながら代わりに答える。
「これは――がちがちの迷子だね」




