第十三話 だし巻き玉子
冷蔵庫を開いてみる。
中には魚肉ソーセージ、カニカマ、調味料くらいしか入っておらず、私は今も尚ぐぅぐぅと泣き止まないお腹を摩った。
渡し守をやると決めてそのまま叔父の家に住み着いた私だが、当然のように冷蔵庫の食材は底をつく。
そしてこの町にはスーパーもコンビニもない。
一体この町の住人はどこで食料を調達しているのだろうか。
畑や田んぼは沢山あるから自給自足前提なのかも知れない。そうなった時、今から野菜を育て始めたとして、私がありつけるのは一体いつになるのだろうか。
気が遠くなる。
とりあえず魚肉ソーセージを一本取り出しフィルムを剥がす。そしてマヨネーズをブチュッとかけてそのままワイルドに齧り付いた。
「うん、おいしい」
とはいえ魚肉ソーセージも残りあと二本。これでは節約して食べたとしても明後日まで持つか持たないか微妙なラインだ。
私はもう一口魚肉ソーセージを丸かじりし、決心をする。
♢♢♢
「どうか食糧をわけてください!」
もはや恒例行事の土下座である。
天舞はこちらに目もくれず忙しく書類の束に目を通していた。
「お前の土下座は安いな」
「うぐっ……」
痛い所をつかれてしまったが背に腹はかえられない。私は切り替えてすくっと立ち上がる。土下座が駄目なら正攻法で情に訴えるしかないのだ。
「お願いします! もう叔父が冷蔵庫に残していた食糧が底を尽きそうなんです〜〜!」
「そうか」
「もっと関心を持ってください!」
「可哀想にな」
「心がこもっていない!」
その間もお腹からは絶えず轟音が鳴り響く。学生時代からお腹の音が他人より大きくてよく恥ずかしい思いをしていたが、今となっては恥じらいなどない。生きるか死ぬかの死活問題だ。
「というかこの町、コンビニもスーパーもないじゃないですか! 皆さんどうやって買い物してるんですか!?」
「もちろん買う」
「どこで!?」
「週に二回、現世からたんまり仕入れて売りにくる業者がいるんだよ。当然だがそいつもあやかしだ」
「なんと! その人は次いつ来るんですか?」
「……昨日来たばかりだから次は三日後だな」
「三日後……」
膝から崩れ落ちる。
私に残された食材はもう、魚肉ソーセージ二本とカニカマのみ。
この限られた食糧で私は残り三日、飢えと戦い続けなければならないということだ。
マヨネーズは高カロリーだし、直で吸うという手もある。
「吸おう。マヨネーズ。いける。大丈夫」
「さーやちゃん」
「ケチャップもいけるか……?」
「あはは、逞しいねぇ。……あ、そうだ」
ぶつぶつと不穏なことを呟き続けている私にその話を持ち掛けてきたのは覚だった。
相変わらずの神出鬼没っぷりである。
「じゃあさ、次の販売日まで、沙耶ちゃんのご飯は天舞に用意してもらおうよ」
「……は?」
♢♢♢
カッカッカッカッと箸で卵を溶きほぐす音が響く。
凄まじい速さで箸をくるくるしながら天舞は覚を睨みつけている。当の覚はそんな視線など何処吹く風、コーヒーを嗜みながらテレビを観ていた。
覚の提案により、私は残り三日分の食事を天舞に用意してもらえることになった。
元々、覚は天舞の自宅に居候しているようで「女の子ひとり増えたところで何も変わらないからさ!」と家主の許可なく安請け合いをした。私にとっては願ったり叶ったりなので断る理由はない。
天舞はもちろんだが怒り狂っている。怒りがさっきから卵を溶きほぐす音にも、玉ねぎを切る音にもすべて反映されており、私はビクビクしながらも料理が出来上がるのを今か今かと待ち侘びていた。
一応、まだ渡し守ではない私の扱いとして書類上は天舞が雇用主となってくれており、だから私は人間でありながらもこの町で暮らせている。
そしてあやかし界のルールとして、雇用主は従業員の衣食住を一定水準は補償する、という絶対的な決まりがあるのだと覚は教えてくれた。
ルールを持ち出されると根が真面目な天舞は何も言えなくなり、唇をぎゅっと噛みしめながら「……三日だけだぞ」と呻いた。
じゅわぁぁあ
よく熱しられたフライパンに卵液が流し込まれる音だ。
天舞は箸を器用に使い、くるくると巧みに玉子焼きを巻いていく。
数回巻いて、また卵液を流し込む作業を繰り返し、まな板の上にぷるんっと肉厚でふっくら、黄金に輝くだし巻き玉子が乗った。
「店だ……」
私の呟きに天舞が、ふんっと鼻で笑う。
どこか誇らしげな表情を浮かべ、次に鍋の方へと向かった。
コトコトと煮込まれたそれは既に茶色に染まって、いい感じに味が染み込んでいるのが伝わる。
見るからに出汁がしみしみなのに形が崩れていないじゃがいも、彩りの人参、くたくたに煮込まれた玉ねぎに良い色に染まったしらたき――そして、牛肉。
ぐうぅぅぅ……
またお腹の音が鳴った。
天舞の呆れた顔など今はどうだっていい。このおいしそうなご飯にもうすぐありつけるのだから。このお腹の音はイントロみたいな物だ。
♢♢♢
「わぁぁぁ!」
ダイニングテーブルに並べられた料理を見て私は感嘆の声を上げた。
ほうれん草の胡麻和え、ひじき煮、山芋の梅肉和え、豆腐と油揚げの味噌汁、だし巻き玉子、ほかほか炊き立てご飯、そしてメインの肉じゃが――
「完璧……」
並んでいたのは理想の母の味だ。
「お母さん……」
「誰がお母さんだ!」
天舞は割烹着を外し使っていない椅子の背もたれにかけて、その隣の席に座った。
覚の定位置は天舞の斜め前らしく、私は余っている天舞の正面の椅子を引いた。
「それじゃあ皆さん、お手をあわせて」
覚の言葉に反射的に手を合わせた。天舞がしっかり手を合わせていることが意外で、ぎょっとしていたら、不機嫌そうに舌打ちをされたのでそれ以上は追求しない方向で。
「いただきます」
「いただきます!」
「いただきます」
見れば見るほど完璧な献立に食べる前からワクワクしていた。何から食べようか……。
まずはほっとひと息、おふくろの味の大定番、お味噌汁からいこう。
お椀を持って顔を近付けると、ふわっと鼻を掠めた出汁の匂いでさらに空腹感は増す。匂いがもう美味しい。
「ああああ……しみるぅ」
しっかりと取られた昆布と鰹節の味わい深い出汁に優しい味噌の風味、そしてその美味しい汁をたっぷり吸った油揚げの美味しさといったら……。
「しみてるしみてる」
覚は笑いながら、ひじき煮に箸を伸ばす。
次に私が手を付けたのはメインの肉じゃがだ。
好きな物はお腹が空いている早い内に食べる主義なのでベジファーストという今どき女子の概念は私には存在しない。
箸をスっと入れただけでほろほろに崩れるじゃがいも。この絶妙に崩れて、汁に溶けだしたじゃがいもも美味しいんだ……。
しっかりと味が染みた玉ねぎ、しらたきがまた良い味を出している。
何よりこの良い味を率先して出しているのが牛肉だ。
「美味しい……美味し過ぎるぅ……」
肉じゃが、米、肉じゃが、米で交互に口に放り込む私の食べっぷりを見て「おい、ゆっくり食え」と天舞は呆れたように言った。
噛みながら次なる獲物を探し、視線を動かしていると、目が合ったのは綺麗に切られただし巻き玉子だ。
「…………」
不意に、遠い夏の日、叔父が作ってくれた玉子焼きを思い出す。
叔父の朝ごはんは米よりトーストのことの方が多かったけれど、卵料理はなぜか大体玉子焼きだった。なぜオムレツやスクランブルエッグじゃないのか聞けば、叔父は「玉子焼きが好物なんだ。しかも甘いやつ」と少し恥ずかしそうに笑った。
(ああ……また食べたかったな、叔父さんの玉子焼き)
先程までがつがつと食べ進めていたのに急に箸を止めた物だから、天舞は味噌汁の椀を持ちながら「……どうした」と聞いてきた。
どう伝えようか考えたが、事情を知る彼らに誤魔化す意味もないと思い正直に打ち明ける。
「叔父さんも前に玉子焼き、作ってくれたんですよね。……美味しかったなぁ」
せめてあと一度くらい食べたかったな、と笑う。
上手く笑えているだろうか。わからないまま、もう一度肉じゃがに手を伸ばした。
すると、だし巻き玉子が一切れ、私の皿に追加された。
「……天舞さん?」
「食え」
ぶっきらぼうに置かれた言葉とだし巻き玉子に、不覚にも鼻の奥がつんとした。
「いただきます……」
分けてもらっただし巻き玉子を口に運ぶ。天舞はもう何事もなかったように味噌汁を飲んでいた。
(ああ……あったかい味だなぁ……)
天舞の作るだし巻き玉子は、叔父さんが作る玉子焼きよりも店で出てくるような本格的な味がして、だけど温かくて、柔らかくて、とても美味しかった。




