最終章:いつもの朝と、特別な約束
事件から数時間後――。
一之瀬グループ本社ビルには、駆けつけた警察とサイバー特捜隊の車が慌ただしく横付けされていた。
ネメシスの実行部隊は全員身柄を拘束され、本拠地にいたシグマも、インターポールによってあっけなく逮捕されたという。
送られた証拠データがあまりにも完璧すぎたため、捜査は一瞬で決着がついたのだった。
「本当に……夢だったんじゃないかしら」
社長室で事後処理を終えた一之瀬冴子は、誰もいなくなった静かな役員フロアの窓の外を見つめていた。
手に持っているのは、あの緊迫した15分間で蓮が操作していた自分のタブレットだ。
画面には、復旧した『Aegis』のシステムログと、最後に蓮が残した一行のテキストファイルだけが残されていた。
『お嬢様、備品のタブレットはお返しします。少し画面が汚れていたので拭いておきました』
「ふふ……本当に、どこまでもマイペースな人」
冴子は小さく吹き出し、愛おしそうに画面を撫でた。
翌朝――。
早朝の澄んだ空気の中、一之瀬グループ本社ビルのエントランスには、いつも通り作業着に身を包み、黙々とモップを動かす蓮の姿があった。
その背中に、足音が近づいてくる。
「おはようございます、鷹野さん」
高級なスーツに身を包んだ冴子が、まっすぐ蓮の元へと歩み寄ってきた。
周囲の社員たちが「社長がなぜ清掃員に……?」と驚きの視線を向けるのも気にせず、冴子はいたずらっぽく微笑む。
「おはようございます、お嬢様。今日も良い天気ですね」
蓮はモップを止め、ごく普通の清掃員として丁寧にお辞儀をした。
「ええ。……ところで鷹野さん。うちのサイバーセキュリティ部門の最高責任者(CTO)のポストが空いているのだけれど、興味はないかしら? 年俸は今の十倍出すわよ」
「お断りします」
蓮は即答し、苦笑交じりに首を振った。
「俺は、今のこの仕事が気に入っていますので。床の汚れも、デジタルのゴミも、綺麗にする根本は変わりませんから」
「そう言うと思ったわ」
冴子は満足そうに頷くと、蓮の耳元へ少しだけ顔を近づけ、秘密めいた声で囁いた。
「じゃあ……また我が社に『手に負えないゴミ』が溜まった時は、15分だけお時間をいただいてもいいかしら?」
蓮は作業帽のつばをくいっと持ち上げ、かつて世界を震撼させた“Zero”の、けれどどこか温かい笑みを浮かべた。
「ええ、いつでも。……お嬢様のご依頼なら、いつでも『大掃除』に駆けつけますよ」
朝日が差し込むエントランスで、二人は静かに微笑み合った。
世界最強のハッカーは、今日もしずかにモップを手に取る。
この街の、そして大切な人を守るための「清掃員」として。
『【完結済】清掃員の俺、実は元・世界1位の天才ハッカー。ビルを占拠したテロリストを15分で叩き潰す』を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
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