第4章 : 令嬢の重荷
第4章:令嬢の重荷
管理人室の重苦しい空気の中、冴子は自分の爪が手のひらに食い込むほど拳を固く握りしめていた。
蓮と久我原がコンソールに向かう背中を見つめながら、猛烈な苛立ちが胸を焼く。何もできない自分、守られるだけの存在であることへの無力感だ。
(……父さんなら、こんな時どうした?)
一之瀬勝征。三年前に急逝した父。
一代で巨大グループを築き上げた怪物。冴子にとって父は絶対的な憧れであり、目標だった。
だが、社長を継いでから知った決算資料の不自然な歪み、そして久我原たち古参幹部の不自然な歯切れの悪さ。父が遺したのは、光だけではない。巨大な“陰”だ。
ネメシスが狙う「亡き父の秘密データ」。
それが会社を揺るがす致命的な爆弾であることを、冴子の経営者としての直感が告げていた。
「お嬢様」
久我原の低い声に、冴子は視線を向けた。
「顔色が優れません。……あちらの椅子で休まれては」
気遣うような言葉。だが、冴子は逃さなかった。
久我原の視線が微かに泳ぎ、そのおでこに薄っすらと滲む汗を。
「久我原さん」
冴子は背筋を伸ばし、静かに、だが氷のように冷たい声で言い放った。
「あなた、何か知ってるわね」
久我原の身体がピクリと跳ねる。
「……何を仰っているのですか。私には——」
「嘘をつかないで!」
冴子の鋭い声が、狭い室内に響き渡った。
「いつものあなたなら、真っ先にセキュリティチームのバックアップ手順を指示し、警察への連絡ルートを確保しようとするはずよ。なのに今夜のあなたは、ずっと何かに怯えて、私から視線を逸らしている。……父さんの“データ”のこと、知っているんでしょう?」
「……っ」
久我原は言葉を詰まらせ、力なく視線を落とした。その沈黙こそが、何よりの肯定だった。
長年、家族同然に信頼していた秘書の裏切りにも似た隠蔽。胸を刺すような痛みが冴子を襲う。
だが、今は傷ついている暇すらない。
冴子はくるりと向きを変え、キーボードを叩き続ける蓮の背中に歩み寄った。
「ねえ」
蓮は作業の手を止めず、画面を見つめたまま短く「何です」と応じる。
「あなたが何者でも、過去にどんな罪を背負っていても、どうでもいいわ。……私は一之瀬勝征の娘よ。父が命を削って作った会社を、こんな闇の悪党どもに踏みにじらせるわけにはいかない」
冴子は蓮の作業着の肩を強く掴んだ。力強い、逃げ場を与えない眼光。
「私を使いなさい。令嬢の立場でも、社長の権限でも、使えるものは全部差し出す。……その代わり、あいつらを叩き潰して」
蓮の手が止まった。
ボサボサの前髪の隙間から見えた蓮の目が、驚きに微かに見開かれる。
そして——どこか投げやりだった彼の口元に、初めて本物の「勝負師の笑み」が浮かんだ。
「……へえ。ただのお嬢様かと思ってましたが、なかなか腹が括れてる」
「バカにしないで。腹なんて、とうに括ってるわ」
その時だった。
キィィィィィン——!
スピーカーから耳を刺すような高周波のハウリング音が響き、コンソールの全画面が真っ黒に反転した。
赤と緑の文字列が消え、代わりに巨大な【カウントダウンタイマー】が浮かび上がる。
『 00 : 29 : 59 』
『 00 : 29 : 58 』
数字が赤く刻まれ始める。30分のタイムリミット。
続いて、血のような赤い文字で要求がタイプされた。
『一之瀬冴子へ。交渉の時間は終わった』
『30分以内に“勝征の遺産(裏帳簿データ)”の暗号キーを開示せよ。拒否、あるいは“Zero”によるハッキング工作が継続された場合、本社の全バックアップデータを完全消去し、メインサーバーを物理爆破(過負荷発火)させる』
「物理爆破……!?」
久我原が悲鳴を上げた。
ビル全体のシステムを過熱させて火災を起こす、最悪のサイバー攻撃。
刻一刻と減っていくタイマーを見つめながら、蓮は首の骨を鳴らした。
「……30分か。生意気なカウントダウンだな、シグマ」
蓮はドライバーをポケットに放り込むと、両手の指を鳴らし、キーボードへと構えた。
「お嬢様、命令を受諾します。……15分で引きずり降ろしてやる」
(第4章・了)
4章までお読みいただきありがとうございました!
以降は【週2回・20時頃】に更新していく予定です。
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