第8話:余裕の仮面と、逃げ場のない問い
朝。
奥方のお茶会の日は、戦場になる。
「そのリボンは違う、今日のドレスにはこちら」
「はいっ!」
「手袋、替えを二組用意して。天気が読めないわ」
リリアは次々と指示を飛ばす。
視線は鋭く、動きは無駄がない。
小柄な体で部屋全体を掌握する姿は、まさに“有能侍女”。
「鏡、角度を少しだけ――そう、そこ」
「完璧です」
奥方が満足そうに微笑む。
その瞬間。
――コンコン。
扉がノックされた。
「どうぞ」
入ってきたのは――レオン。
「おはよう、母上」
優雅に一礼する。
そのまま、部屋の隅へ。
そして。
腕を組み、何も言わず――リリアを眺め始めた。
(……なんでいるの)
嫌な予感しかしない。
そして案の定。
「きゃっ」
「す、すみません!」
侍女の一人が手元を狂わせる。
別の侍女も、動きがぎこちない。
(……ほらね!!)
原因は明白。
「……レオン様」
にこり、と笑顔。
でも目は笑っていない。
「何かな?」
「お忙しいところ恐縮ですが」
一歩、近づく。
「お仕事の邪魔ですので――お帰りください」
ぴしり。
空気が一瞬凍る。
侍女たちが息を呑む。
レオンは――
「ふふ」
楽しそうに笑った。
「相変わらずだね」
「お帰りください」
「やだ」
「帰ってください」
「断る」
アルト並みに面倒くさい。
リリアは深く息を吸って、
「奥様」
と振り向く。
「この方のせいで作業効率が低下しております」
直球だった。
奥方がくすりと笑う。
「レオン、ほどほどにね」
「はーい」
全然反省してない返事。
そして次の瞬間。
「じゃあ、リリア借りるね」
「……は?」
「ちょっと用事」
リリアの腕を、ひょいと取る。
「お待ちください、まだ仕事が――」
「すぐ終わる」
「終わりません」
「終わるよ」
「終わりません!」
言い合いのまま、
そのまま部屋を出される。
「レオン様!!」
扉が閉まる。
取り残された侍女たちは――
「……が、頑張りましょう!!」
なぜか士気が上がった。
廊下。
そのまま、どんどん歩かされる。
「ちょ、どこへ――」
「静かなところ」
そして。
人気のない一室に連れ込まれた。
「……失礼いたします」
すぐに離れようとするが、
「まあ待って」
壁際に追い込まれる。
逃げ道、なし。
「な、何の御用でしょうか」
平静を装う。
でも心臓はうるさい。
レオンは少しだけ屈んで、目線を合わせる。
「ねぇ」
柔らかい声。
でも、逃げ場がない。
「僕のこと、どう思ってる?」
直球。
(きた……)
「……公爵家の次男様で、優秀で」
「それは知ってる」
遮られる。
「そうじゃなくて」
一歩、近づく。
「リリアとしては?」
距離が近い。
近すぎる。
「……からかってくる人、です」
なんとか絞り出す。
レオンはくすっと笑う。
「ひどいなぁ」
「事実です」
「否定はしない」
肩をすくめる。
「だって面白いんだよね」
「……」
「君、反応が分かりやすくて」
また一歩。
完全に逃げ場がない。
「リスみたいだし」
「……それ、やめてください」
「可愛いのに」
さらっと言う。
心臓が変な音を立てる。
「僕ね」
少しだけ声が変わる。
「興味あるんだ」
「……何に、でしょうか」
「君に」
間。
息が詰まる。
「どう揺れるのか、見てみたくなる」
「……悪趣味です」
「よく言われる」
でも、その目は――
さっきまでと少し違う。
「で?」
さらに詰める。
「レオン様」
壁に手をつかれた。
完全に囲まれる。
「逃げないで」
逃げられない。
だから――
リリアは、目を逸らさずに言った。
「……怖いんです」
レオンの動きが、ほんの少し止まる。
「恋愛とか、そういうの」
静かに続ける。
「前に……少しだけ、そういうことがあって」
思い出す。
あの時の言葉。
「……お金目当てだったんです」
小さく笑う。
「だから、あんまり……信じられなくて」
沈黙。
そして――
「そっか」
レオンは、あっさりと言った。
拍子抜けするくらいに。
「じゃあ」
すっと、体を離す。
「待つよ」
「……え?」
「怖くなくなるまで」
さらっと。
当然のように。
「急がない」
その言葉が、妙に優しい。
「……どうして」
思わず聞いてしまう。
レオンは少しだけ考えて、
「興味、あるって言ったでしょ」
と笑う。
でも。
その奥に、ほんの少しだけ本音が混ざっていた。
「それに」
ふと付け足す。
「この前、アルトと出かけてたよね」
「っ……!」
一気に心臓が跳ねる。
「見てたよ」
にこり。
逃げ場なし。
「僕にも、そのチャンスちょうだい?」
軽い調子。
でも断りづらい。
「……それは」
「不公平でしょ?」
「……」
言い返せない。
「一回だけでいいからさ」
「……」
「ね?」
ずるい言い方。
リリアは少し迷って――
「……一度だけ、なら」
小さく頷いた。
「ほんと?」
「……はい」
「やった」
子どもみたいに笑う。
そして、すっと距離を取る。
「じゃあ戻ろうか」
まるで何もなかったかのように。
部屋に戻る。
「お待たせしました」
完璧な礼。
動きも、声も、いつも通り。
「リリア、問題ない?」
「はい、すべて順調でございます」
指示を再開する。
ミスもない。
完璧。
でも。
(……なにこれ)
頭の中が、ぐちゃぐちゃ。
アルトのキス。
レオンの言葉。
「待つよ」
「チャンスちょうだい」
全部が混ざって、
落ち着かない。
(……無理)
平静を装いながら、
内側では――
完全に、嵐だった。




