第5話:はじまりは、大きすぎる門の前で
――その門は、あまりにも大きかった。
「……ここ、が……?」
8歳のリリアは、ぽかんと口を開けたまま見上げていた。
空に届きそうなほど高い鉄の門。
その向こうに広がる、見たこともないほど広い敷地。
不安と、ほんの少しの期待。
小さな手をぎゅっと握りしめる。
「ここで働くのよ」
隣に立つ叔母が、どこか事務的に言った。
「いい? 迷惑かけないようにするのよ」
「……うん」
小さく頷く。
けれど。
(……こわい)
両親を亡くしてから、いくつもの家を回った。
優しい人もいたけれど、長くはいられなかった。
ここも、同じかもしれない。
そう思うと、足がすくむ。
「ほら、行くわよ」
手を引かれ、一歩踏み出す。
その瞬間。
門が、ゆっくりと開いた。
――ギィ、と重たい音。
まるで、別の世界に入るみたいだった。
数日後。
慣れない仕事に、リリアはくたくたになっていた。
水を運び、床を拭き、言われたことをこなすだけで精一杯。
「……はぁ……」
休憩時間。
裏庭の隅に座り込み、小さく息を吐く。
(……帰りたい)
思わず浮かぶ言葉を、ぐっと飲み込む。
帰る場所なんて、もうないのに。
その時。
「――おい」
頭の上から声。
びくっとして顔を上げると――
「なにやってんだ、お前」
黒髪に眼鏡の少年が、腕を組んで立っていた。
その隣には、金の髪の少年。
二人とも、同い年くらい。
「……えっと……」
「新入りだろ?」
「う、うん……」
「ふーん」
じろじろ見られる。
なんだか、怖い。
すると――
「こいつ、リスみたいじゃない?」
金髪の少年が、くすっと笑った。
「……リス?」
「ほら、ちょこちょこしてる」
「確かに」
黒髪の少年も納得したように頷く。
「ちっちゃいし」
「ちっちゃくない……」
思わず反論する。
「声ちっちゃ」
「ちっちゃくない!」
二人が同時に笑った。
(……なにこの人たち)
怖いはずなのに、少しだけ悔しくて。
でも――
なんだか、嫌じゃない。
それから。
リリアの日常に、二人はよく現れるようになった。
「おいリス、これ持ってこい」
「リスじゃない!」
「じゃあなんだよ」
「リリア!」
「へー、名前あるんだ」
「あるに決まってるでしょ!!」
笑われる。
からかわれる。
でも。
「逃げるなよー!」
「待ってってば!!」
気づけば、一緒に走っていた。
仕事の合間、ほんの少しの時間だけ。
ちょっかいをかけられて、振り回されて、
でも最後には、笑っている。
そんな日々。
ある日。
いつものように二人に巻き込まれて走っていると、
「こら、あなたたち!」
ぴしり、と声が飛んだ。
三人そろって、びくっと止まる。
振り向くと――
一人の侍女が立っていた。
背筋がすっと伸びて、無駄のない所作。
でも、どこか柔らかい雰囲気。
「またそんなことして」
「……すみません」
アルトがしぶしぶ頭を下げる。
レオンは笑ってごまかそうとするが、
「あなたもです、レオン様」
ぴたり、と止められる。
「う……」
「そしてリリア」
名前を呼ばれて、びくっとする。
「はい……」
「あなたは巻き込まれてるだけね」
優しく微笑む。
「怪我はない?」
「……ないです」
「そう、よかった」
ほっとしたように頷く。
その仕草が、あまりにも綺麗で。
リリアは、目を離せなかった。
(……すごい)
叱っているのに、怖くない。
ちゃんと見てくれている。
その後も、その侍女はてきぱきと指示を出し、
場を整えていく。
無駄がなくて、綺麗で、迷いがない。
(……あんなふうになりたい)
初めて思った。
ここで、生きていくなら。
ただ置いてもらうだけじゃなくて。
「……ねぇ」
小さく呟く。
「なに?」
アルトが覗き込む。
「私……ああいう人になりたい」
二人は一瞬きょとんとして、
「無理じゃね?」
「無理だな」
即答だった。
「なんで!?」
「泣き虫だし」
「さっきも泣きそうだったし」
「泣いてない!!」
「泣いてた」
「泣いてないってば!!」
また笑われる。
でも。
(……なってみせる)
胸の奥で、小さく決意する。
それから、二年。
10歳になった頃。
その侍女は――結婚して、この家を去った。
「……おめでとうございます」
見送りの日。
リリアは、精一杯の言葉を絞り出す。
「ありがとう、リリア」
優しく頭を撫でられる。
「あなたなら、きっとなれるわ」
「……本当に?」
「ええ」
迷いなく頷く。
「とてもいい目をしているもの」
あの日と同じ言葉。
胸が、じんわり熱くなる。
「頑張りなさい」
「……はい」
小さく、でも確かに答えた。
その背中が見えなくなるまで、見送って。
リリアは、ぎゅっと拳を握る。
(……なる)
あの人みたいに。
強くて、優しくて、頼られる人に。
「で?」
横から声。
「なれそうか?」
アルト。
「無理だろ」
レオン。
「なるもん!!」
振り返って言い返す。
二人は顔を見合わせて、
「じゃあ見ててやるよ」
「途中で泣くなよ?」
「泣かない!!」
また、笑われる。
でも今度は――
少しだけ、悔しくて。
少しだけ、嬉しかった。
そして今。
あの時の“泣き虫のリス”は――
夜会を切り盛りする侍女になった。
でもきっと。
本当に大切なものは、あの頃から変わっていない。




