第4話:月下のダンスは、予定外に
控えの間では、慌ただしくも静かな戦いが続いていた。
「大丈夫です、こちらをお召しください」
リリアは手早くクローゼットを開ける。
中には、万が一に備えた予備のドレスが数着。
色味も形も、夜会にふさわしいものばかり。
「こ、こんなものまで……」
令嬢が驚く。
「主催者として当然の備えでございます」
淡々と答えながらも、リリアの手は止まらない。
「こちらのドレスなら汚れも目立ちません。少々失礼いたします」
サイズを合わせ、裾を調整し、
乱れた髪を整え、涙で崩れた化粧を直していく。
その手つきは、まるで魔法のようだった。
「……すごい」
ぽつり、と令嬢が呟く。
「あなた、本当に……」
「時間がありませんので」
やわらかく遮る。
「仕上げますね」
最後に、そっと微笑む。
「――大丈夫。今度はきっと、うまくいきます」
その言葉に、令嬢は小さく頷いた。
大広間。
音楽がちょうど切り替わる。
「レオン様……」
少し緊張した面持ちで現れた令嬢に、
レオンは一瞬だけ目を見開き――
すぐに、いつもの笑顔を浮かべた。
「お待ちしていました」
自然な所作で手を取る。
その流れはあまりに滑らかで、
“用意されていた”とは誰も思わない。
遠くからそれを見て、リリアは小さく息を吐いた。
(……よかった)
任務完了。
肩の力が、ふっと抜ける。
壁際。
少しだけ人の流れから外れた場所で、
リリアは静かにホールを眺めていた。
その横に――
「終わったか」
アルトが立つ。
「ええ」
「相変わらずだな」
「何が」
「完璧すぎるとこ」
リリアは少しだけ目を瞬く。
「……褒めてるの?」
「一応な」
「一応って何よ」
「調子乗るだろ」
「乗らないわよ」
「乗る」
「乗らない」
いつものやり取り。
でも。
「……助かった」
ぽつりと、アルトが言う。
リリアは言葉を失う。
「さっきの件も含めてな」
「……仕事よ」
「知ってる」
少しだけ、視線がぶつかる。
「それでもだ」
短い言葉。
でも、ちゃんと届く。
リリアはふっと目を逸らした。
「……珍しいわね」
「何が」
「あなたが素直なの」
「今だけだ」
「じゃあ忘れるわ」
「忘れんな」
思わず笑いがこぼれる。
その空気を――
遠くから、レオンは見ていた。
(……なるほど)
胸の奥が、わずかにざわつく。
さっきまでとは違う種類の感情。
「……ちょっと、面白くないな」
小さく呟く。
そして同時に、
(……揺らしてみたい)
そんな欲が、芽を出す。
夜会は、無事に終わりを迎えた。
片付け、見送り、宿泊の手配。
すべてが終わった頃には、もう深夜。
静まり返った廊下に、足音だけが響く。
「……やっと終わった」
リリアが小さく息を吐く。
その時。
「リリア」
振り向くと、レオンが立っていた。
「少しいい?」
「……はい」
バルコニー。
夜風が、ひんやりと心地いい。
月明かりが、静かに差し込む。
「今日はお疲れ様」
「ありがとうございます」
「本当に助かったよ」
「務めですので」
いつものやり取り。
でも、少しだけ空気が違う。
レオンは、少しだけ間を置いてから――
「……本当はさ」
と、言った。
「君と踊りたかったんだけど」
リリアの目が、わずかに揺れる。
「断られちゃったから」
くすっと笑う。
「今から、どう?」
静かな夜。
音楽はない。
けれど。
レオンは手を差し出した。
「一曲だけ」
迷い。
ほんの一瞬。
そして――
「……一曲だけ、でしたら」
そっと手を重ねる。
引き寄せられる距離。
近い。
思ったより、ずっと。
(……近い)
リリアの心臓が、少しだけ速くなる。
レオンはそれに気づいているのか、いないのか。
ゆっくりと、ステップを踏む。
月明かりの下。
静かなチークダンス。
「……意外」
「何がですか」
「ちゃんと女性らしい」
「どういう意味ですかそれ」
「そのままの意味」
少しだけからかう声。
でも、どこか優しい。
「普段、仕事モードだからさ」
「仕事中ですので」
「今は?」
言葉に詰まる。
「……仕事では、ありません」
「じゃあ」
ほんの少しだけ、距離が近づく。
「ただのリリアだね」
その言葉に、胸がざわつく。
知らない自分を見られているようで。
でも――
嫌じゃない。
その頃。
バルコニーを見上げる影がひとつ。
「……何やってんだ、あいつら」
見回り中のアルトだった。
月明かりの中で踊る二人。
その距離。
その空気。
アルトはしばらく無言で見つめて――
「……はぁ」
小さく息を吐く。
胸の奥が、少しだけ重い。
理由は、まだはっきりしない。
でも。
「……仕事、戻るか」
視線を外す。
けれどその背中は、どこか落ち着かないままだった。
月の下。
静かに回る、二人。
そして、遠くで見ているもう一人。
それぞれの想いが、少しずつ形を持ち始める夜だった。




