番外編:春の別荘と、二人の采配(前編)
春の朝。
柔らかな光が差し込む中、リリナは控え室で手帳を開いていた。
(……来客は一泊二日。到着は明日の昼前)
(王都へ向かう途中の滞在……)
指先で軽くページをなぞる。
「難しい顔してんな」
後ろから声。
振り返るまでもない。
「あなたのせいよ」
「俺?」
アルトが壁にもたれながら首を傾げる。
「今回の別荘の仕事。あなた一人でやってた仕事でしょ」
「前はな」
「それを急に同行ってどういうこと」
アルトは肩をすくめる。
「指示だ」
「誰の」
「公爵様」
間髪入れない。
リリナがじっと見る。
「……本当に?」
「疑うな」
「疑うでしょ」
アルトが少しだけ視線を逸らす。
「今回は“女の視点がいる”って話だ」
「……」
「調度、香り、食事、距離感」
淡々と並べる。
「全部、お前の領分だろ」
リリナは少しだけ黙る。
「……そうだけど」
否定はできない。
「だから同行」
短く言い切る。
「仕事よね?」
「どう見える」
一瞬だけ、間。
「……仕事ね」
「だろうな」
でも。 その空気は、 少しだけ違っていた。
馬車が王都を離れる。
窓の外には、新緑と柔らかな日差し。
「……春ね」
リリナがぽつりと呟く。
「見りゃ分かる」
「会話を広げて」
「必要あるか?」
「あるわよ」
即答。
アルトが小さく笑う。
「変わったな」
「何が」
「そういうこと言うようになった」
リリナは少しだけ目を細める。
「あなたが言わせてるの」
「俺のせいかよ」
「ええ」
間髪入れない。
その瞬間、 馬車が大きく揺れる。
「っ……!」
体が傾く。
すぐに、 腕を掴まれる。
「危ねぇだろ」
ぐっと引き寄せられる。
距離が、一気に近くなる。
(……近い)
息が少しだけ詰まる。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
軽い声。
でも、 手はすぐには離れない。
ほんの一瞬。 リリナが先に手を引く。
「……もういい」
「そうかよ」
アルトもそれ以上は追わない。
でも、 視線だけが少し残る。
別荘に到着したのは、昼過ぎだった。
白い瀟洒な館。
公爵家の中では比較的小ぶりの別荘はだった。
昨日の雨に濡れた芝は、柔らかい光を浴びてキラキラと輝いている。
遠くで鳥の声が響き、風が木々の葉を揺らす。
静かで、整っている――はずの場所。
「……空気が重いわね。せっかくの建物が泣いてるわ」
門をくぐった瞬間、リリナが小さく呟いた。
「入って三歩でそれか」
隣でアルトが軽く言う。
「三歩で分かる程度には暗いのよ。落ち着いてるといえば響きがいいけど、ちょっとね」
石畳の先、白い外壁の別荘は美しく整っている。
だが――どこか違う。
「建物はいいのに、中身が死んでる」
リリナが静かに言う。
「言い方きついな」
「事実よ」
アルトは一瞬だけ口元を緩める。
「……じゃあ、やるか」
「ええ」
その一言で空気が切り替わる。
扉が開く。
中に入った瞬間、香りが鼻に残る。
「強い」
リリナが眉をわずかに寄せる。
「花だな、それと香油。今度来られるお客様には合わない」
「種類も量も間違ってる」
歩きながら、視線が動く。
カーテンの厚み。
光の入り方。家具の配置。
「滞在が一泊でも、印象は残るのよ」
「“通過点”だからこそ軽くするべき」
淡々とした声。
アルトはそれを横で聞きながら、別の視点で全体を見る。
(……確かに重い)
「使用人は?」
「三班に分かれてるわね」
「配置は?―――動線が交差してる」
ほぼ同時に言う。
一瞬、目が合う。
「入口側、俺が整理する」
「室内、私がやるわ」
「任せる」
「任された」
短い。
でも、それで十分だった。
「カーテン、一度外して」
リリナの声が静かに通る。
「光を散らすように生地を変えましょう。倉庫を探してきて。」
「香りは一段落とすわ。花の種類をリストにして」
使用人たちが一瞬戸惑う。
だが。
「やって」
その一言で動き出す。
迷いが消える。
別の部屋。
「食器、これだと並びが違う」
リリナがテーブルに手を置く。
「この国の食器はこの種類のほうがいいわ」
「それから、並び順はこうね」
迷いなく並び替える。
すっと、流れが整う。
アルトが横から見ている。
「……どこで覚えた」
「調べたわ」
「全部か?」
「全部」
一切ブレない。
アルトが小さく息を吐く。
「……ほんと無駄がねぇな」
「あなたもでしょ」
「俺は現場だ」
「私は積み重ね」
「似たようなもんだろ」
一瞬だけ、笑う。
外。
アルトが他の使用人たちに指示を出している。
「人の流れを一本にまとめろ」
「交差させるな」
「迷わせるな」
声は低い。でも、よく指示が通る声。
誰も逆らわない。
リリナがその様子を少し離れた場所から見る。
(……やっぱり)
無駄がない。
判断が速い。
そして、誰よりも“場”を見ている。
昼過ぎ。
空気が変わる。軽く、柔らかく、静かに整う。
その時。
「公爵様ご到着です」
馬車が止まる。
アルトが一歩前に出る。
扉を開き、畏まった姿勢で、頭を下げる。
「お待ちしておりました」
公爵が降り立つ。
続いて奥さまが、公爵の手を借りながら降り立ちゆっくりと周りを見渡す。
風がふわりとドレスを揺らす。
「準備は」
短い問い。
アルトが迷いなく答える。
「整っております」
その一言に、確信がある。
奥様が室内へ進み、視線を向ける。
カーテンや香り、
――風の流れが空間を明るく軽やかに変えていた。
ゆっくりと歩く。
「……ええ、いいわね」
小さく頷く。
その視線が、リリナへ向く。
「この色、合わせたのね」
「はい」
「公爵様と奥様が、並んだ時に調和するように」
リリナが一歩前に出る。
「明日の装い、色や生地など合わせて軽めに整えております」
公爵と奥様。
色の調和。素材の統一。
並んだ時の“格”が揃う。
奥様がふっと笑う。
「さすがね」
そのまま、公爵を見る。
「ね?」
公爵がわずかに頷く。
「ああ」
短い。
だが、十分だった。
そして、小さく続ける。
「あの二人に任せれば問題ない」
奥様が穏やかに微笑む。
「昔からそうだったものね」
「気づいたら、ずっと一緒にいたわ」
その言葉に、リリナがほんの少しだけ目を伏せる。
アルトは何も言わない。
でもその距離は、ずっと変わっていなかった。
「来客は明日ね」
奥様が言う。
「はい」
リリナが答える。
「ここまで整っていれば大丈夫」
「安心して任せられるわ」
その言葉が、
静かに落ちる。
リリナは一礼する。
「お任せください」
アルトも、わずかに頭を下げる。
その横顔を、
奥様が優しく見つめていた。
まるで、
昔から知っている二人を、少しだけ誇らしそうに。
外に出ると、
春の風がやわらかく頬を撫でた。
「……終わってないわよ」
リリナが言う。
「明日が本番」
「ああ」
アルトが隣に立つ。
「しくじるなよ」
「誰に言ってるの」
軽く返す。
一瞬、沈黙。
風の音だけが通る。
「……でも」
リリナが小さく言う。
「悪くないわね」
アルトが横を見る。
「何が」
「こういうの」
少しだけ視線を上げる。
「あなたとなら」
空気が止まる。
アルトが一瞬だけ黙る。
それから、
小さく息を吐く。
「……そうかよ」
短い。
でも、
どこか柔らかい。
二人の距離が、
ほんの少しだけ近づいたまま。
春の光が、静かに差し込んでいた。
――中編へ続く




