第15話:揺れているのは、私だけじゃない
午後の光が差し込む、奥様のサロン。
柔らかな紅茶の香りが、静かに部屋を満たしている。
「いらっしゃい、レオン」
穏やかな声。 レオンは一礼して足を踏み入れた。
「お呼びでしょうか」
「ええ、少し話をね」
奥様はソファに腰掛けたまま、対面を軽く示す。
レオンは静かに腰を下ろす。 姿勢は崩さない。
いつも通り。
「今回の接待、うまくいったそうね」
「問題なく終わりました」
「そう」
カップを手に取り、一口。
それから、ふと視線を上げる。
「リリナを連れて行ったのね」
一瞬だけ、間。
「はい」
否定はしない。
「理由は?」
試すような問い。
「現場を回せるからです」
淡々と答える。
「それだけ?」
静かな圧。 レオンはわずかに視線を伏せる。
ほんの一瞬だけ。
「……任せられると判断しました」
「そう」
奥様は微笑む。
「いい判断ね」
一拍。
「でも」
少しだけ声が柔らかくなる。
「それだけじゃないでしょう?」
沈黙。 紅茶の湯気がゆっくりと揺れる。
レオンは、少しだけ息を吐いた。
「……そうかもしれません」
正面から否定はしない。
「どう思ってるの?」
まっすぐな問い。 逃げ道はない。
レオンは少しだけ視線を外し、 それから戻す。
「優秀です」
短く言う。
「それは分かってるわ」
奥様が笑う。
「そうじゃなくて」
言葉を選ぶようにして、
「“一人の女性として”は?」
空気が、少しだけ変わる。
レオンは一瞬だけ黙る。
それから、 静かに答えた。
「……欲しいと思っています」
嘘のない声。 でも、続ける。
「ただ」
少しだけ視線を落とす。
「乗り越える壁もあると思っています」
身分、立場――関係。 すべてを含んだ言葉。
奥様はそれを黙って聞く。
「そう」
小さく頷く。 それ以上は何も言わない。
ただ、カップを置く指先が、ほんの少しだけ静かになる。
(……この子は、本気ね)
心の中で呟く。
(でも)
視線がわずかに揺れる。
(あの子は――)
リリナの姿が浮かぶ。
(アルトに惹かれている)
それは、はっきりと分かる。
距離、視線、そして無意識の反応。
(あの距離は、簡単には変わらない)
それでも。
(この子の気持ちも、分かるわ)
母として。どちらも、否定できない。
「レオン」
名前を呼ぶ。
「急ぐ必要はないわ」
柔らかく言う。
「でも」
少しだけ、意味を込める。
「待ってくれる子でもないわよ」
静かな警告。 レオンはそれを受け止める。
「……分かっています」
短く答える。 でも、その目は揺れていない。
――― その頃、リリナは自室にいた。
扉を閉めた瞬間、背中から力が抜ける。
「……はぁ」
そのままベッドに腰を落とす。
静か。何も音がない。 なのに、頭の中だけがうるさい。
(……なんなの)
手で顔を覆う。 浮かぶのは、レオンの声。
――近くにいてくれると助かる 次に、アルトの声。
――俺が
「っ……」
息が詰まる。 胸が、苦しい。
(なんでこんな……)
分からない。 レオンは優しかった。
落ち着いていて、ちゃんと見てくれている。
(安心する)
でも。 アルトは――
(……近い)
触れられた距離。 逃げられない視線。
(怖いのに)
胸が、強くなる。
「……なんでよ」
布団に倒れ込む。
「分かんない……」
声が小さく漏れる。 レオン……アルト……。
どっちがいいかじゃない。
(どっちも……違う)
でも、どっちも消えない。ぎゅっとシーツを握る。 そして、ぽつりと呟く。
「……アルト」
自分で気づかないまま。
――その名前が、零れていた。




