第12話:選ばれる側の作法
朝の王城は静かに動き始めていた。
まだ人の少ない廊下を、リリナは足早に進む。
手には小さな手帳。
今日の予定と、接待準備の要点が細かく書き込まれている。
(……香りは弱め、室温は一定、入室後3分で緊張解除……)
頭の中で確認しながら、扉をノックした。
「失礼いたします」
中に入ると、レオンが鏡の前に立っていた。
まだ上着の途中。
「おはよう」
視線が鏡越しに合う。
「おはようございます」
いつもの距離。
いつもの朝。
――のはずだった。
「今日は接待だよね」
レオンが軽く言う。
「はい。女性の高官との会談です」
リリナはすぐにネクタイに手を伸ばす。
結び目が少し甘い。
指先で直そうとして――
(……あれ)
思ったより高い。
届かないわけじゃない。
でも、少しだけ背伸びになる。
その瞬間。
レオンが、ほんの少しだけ首を傾けた。
自然に、距離が縮まる。
「……すみません」
「いや」
短い返事。
でも動かない。
リリナは集中する。
(ここで気にしたら負け)
指先で結びを整える。
結び目の角度、締め具合、襟とのバランス。
無駄なく、正確に。
「……君さ」
ふと、レオンが言った。
「どこでそれ覚えたの?」
「何をですか?」
「こういうの全部」
視線が、ネクタイではなくリリナに向いている。
一瞬だけ、止まる。
「……現場です」
「現場?」
「失敗して覚えました」
さらっと言う。
「最初は、配膳も時間も全部ずれてましたから」
小さく笑う。
「直すしかなかったので」
レオンは、少し黙る。
その沈黙が、いつもと違う。
「……そっか」
それだけ言う。
でも視線は外れない。
(見てる)
そう気づいてしまうくらい、まっすぐ。
「今度の接待なんですけど」
リリナは話を戻す。
仕事に戻せば、距離は保てる。
「相手は“評価され慣れている人”です」
「うん」
「なので褒めは逆効果になります」
レオンの眉が少し動く。
「逆効果?」
「はい。代わりに“選ばせる形”にしてください」
「選ばせる?」
リリナは頷く。
「例えば席順や話題の主導権です。相手に“自分がコントロールしている”と思わせる方が安心します」
淡々と続ける。
香りは主張しない。視線は正面ではなく斜め。最初の話題は軽い判断系。
会話の主導権は3回以内に一度だけ渡す………
止まらない。
気づけば、かなりの数を話していた。
レオンは途中で一度、言葉を失う。
(……これ、全部考えてるのか)
ただの感覚じゃない。
経験でもない。
設計だ。
「すごいね」
ぽつりと出た言葉。
「え?」
「いや……」
少しだけ笑う。
「そこまで考えてるんだって思って」
その時。
リリナはネクタイから手を離す。
完了。
「できました」
一歩下がろうとして――
「……待って」
レオンの声。
視線が合う。
少しだけ近い。
「もう少しだけ」
「何をですか?」
「そのままで」
意味が分からない。
でも、動けない。
レオンは、ほんの一瞬だけ黙る。
そして――
「君ってさ」
静かに言う。
「気づいたら見てるんだよね」
(……え)
「別に派手じゃないのに」
「でも、目が離れない」
リリナの指先が、わずかに止まる。
(それは……)
仕事の話じゃない。
「たぶん」
レオンは少しだけ視線を逸らす。
「こういうところなんだろうな」
「……こういうところ?」
「ちゃんと考えて、ちゃんとやってるところ」
その言葉は軽いのに。
少しだけ重い。
「参考になりましたか?」
リリナは距離を戻そうとする。
いつもの仕事の声。
「うん」
レオンは笑う。
でも、すぐに付け足す。
「でも、それ以上かも」
(……それ以上?)
沈黙。
仕事の空気に戻すには、少し遅い。
「行ってくる」
レオンが言う。
いつもの調子に戻して。
「いってらっしゃいませ」
扉が閉まる。
残ったのは静けさ。
リリナは手を見下ろす。
(……今の、何)
“仕事の話だったはずなのに”
でも、胸の奥が少しだけ落ち着かない。
そしてふと。
思い出す。
背伸びした瞬間の距離。
視線。
沈黙。
「……気のせい」
小さく言う。
でも。
その“気のせい”が、やけに残る。




