第9話:「揺れる心③:触れてしまった温度」
部屋の中は、静かだった。
ランプの灯りが、やわらかく揺れている。
リリアはベッドの端に座り込んでいた。
外したアクセサリー。
机の上に置かれた、小さなブレスレット。
(……どうしよう)
ぼんやりとそれを見つめる。
レオンの言葉。
優しさ。
あの腕の中の感触。
(……なんで)
胸の奥が、落ち着かない。
でも。
(……アルト)
思い出すのは、別の体温。
別の距離。
(……分からない)
ぎゅっと膝を抱える。
その時。
――コンコン。
「……リリア」
声。
一瞬で分かる。
「……なに」
「開けろ」
短い言い方。
少しだけ迷って、
立ち上がる。
扉を開けると――
アルトが立っていた。
「……」
一瞬、沈黙。
アルトの視線が、
ゆっくりとリリアをなぞる。
髪は下ろしたまま。
化粧も落としている。
薄い寝間着に、カーディガンを羽織っただけの姿。
「……なんだその格好」
「寝る準備してただけよ」
「無防備すぎ」
「部屋の中なんだからいいでしょ」
「普通、もう少し気にするだろ」
「誰も来ない前提なの!」
「来てるけどな」
するりと、横をすり抜けて入ってくる。
「ちょ、勝手に入らないで――」
「今さらだろ」
そのまま、当然のようにベッドに腰掛ける。
深く座って、
膝に肘をつく。
完全にくつろいでいる。
(……なんなのよもう)
リリアは扉の前に立ったまま。
距離が、変にある。
でも。
視線は、離れない。
「で?」
アルトが口を開く。
「デート」
単刀直入。
「……違うわよ」
「へぇ」
興味なさそうな声。
でも目は見ている。
「楽しかったか?」
「……普通」
「嘘つけ」
即答。
「顔に出てる」
「出てない!」
「出てる」
「出てない!!」
言い合い。
でも、少しだけぎこちない。
アルトはふっと息を吐く。
「……あいつ、何した」
「なにって」
「何でもいい」
視線が鋭くなる。
「何された」
(……なんでそんな聞き方)
少しだけ、胸がざわつく。
「……ご飯食べて、歩いて」
「それだけか?」
「……あと」
一瞬、迷う。
でも、
「プレゼント、もらった」
机の上をちらりと見る。
アルトの視線もそちらに動く。
ブレスレット。
「……ふーん」
短い声。
表情は変わらない。
でも。
空気が少しだけ、重くなる。
「似合ってるんじゃねぇの」
軽い言い方。
でもどこか刺がある。
「……ありがと」
小さく返す。
沈黙。
ぱち、とランプが揺れる音だけ。
「……で?」
アルトがもう一度言う。
「お前はどうなんだよ」
「え?」
「どう思った」
その目は、逃がさない。
リリアは視線を逸らす。
「……優しかった」
正直に言う。
「ちゃんとしてて……」
言葉を探す。
「安心、できる人」
その瞬間。
アルトが、わずかに眉を動かした。
「……そっか」
短い返事。
それだけ。
でも。
なぜか、少しだけ寂しそうに見えた。
(……なんで)
胸が、ちくりとする。
「……でも」
気づけば、口が動いていた。
アルトが視線を上げる。
「なんか……違うの」
「何が」
「うまく言えないけど」
言葉にできない感情。
「落ち着くのは……アルトの方」
沈黙。
空気が止まる。
(……言っちゃった)
自分で驚く。
アルトも、少しだけ目を見開いていた。
次の瞬間。
立ち上がる。
距離が、一気に詰まる。
「っ……」
反射的に息が止まる。
「……それ」
低い声。
「どういう意味か分かって言ってるか?」
逃げられない距離。
でも、
目は逸らさない。
「……分からない」
正直に答える。
「分からないけど」
鼓動がうるさい。
「そう思ったの」
アルトは数秒、黙る。
そして――
手を、取った。
「っ……!」
強くはない。
でも、逃がさない握り方。
「……あいつといる時も、そう思ってろよ」
ぽつりと落とす。
少しだけ、自嘲みたいに。
「じゃないと」
一歩、引き寄せる。
距離、ゼロ。
「俺が勘違いする」
そのまま、
抱き寄せられる。
「……っ」
息が詰まる。
さっきのレオンとは違う。
もっと近くて、
もっと乱暴で、
でも――
(……落ち着く)
胸の奥が、じんわり温かくなる。
「……なんで」
小さく呟く。
「なにが」
「こんな……」
言葉にならない。
アルトは答えない。
ただ、
少しだけ腕の力が強くなる。
しばらくして。
ふっと離れる。
何事もなかったように。
「……もう寝ろ」
いつもの声。
いつもの顔。
「風邪ひくぞ」
「……なによそれ」
さっきのは何だったのか。
分からないまま。
「おやすみ」
背を向ける。
扉に向かう。
「……アルト」
思わず呼ぶ。
少しだけ止まる。
でも振り返らない。
「……なんでもない」
言えない。
聞けない。
「……そうか」
それだけ言って、
出ていく。
扉が閉まる。
静寂。
リリアはその場に立ち尽くす。
「……なにこれ」
胸がうるさい。
苦しいのに、
少しだけ、嬉しい。
ベッドに座り込む。
さっき触れられた手を、ぎゅっと握る。
(……分からない)
レオンの優しさ。
アルトの温度。
どっちも、消えない。
夜は、まだ終わらない。




