第9話:「揺れる心②:優しさのかたち」
石畳の通りに、やわらかな灯りが落ちている。
リリアは店の前で足を止めた。
ガラス越しに見える、落ち着いた店内。
静かな弦楽の音。
(……ここ、で合ってるよね)
胸元をそっと押さえる。
少しだけ、息が浅い。
(……帰る?)
そう思って、一歩引きかけた瞬間。
「来てくれて、嬉しいよ」
すぐ後ろから声がした。
レオンが一歩近づく。
そのまま、言葉を続けずに――
リリアを見る。
頭の先から、足元まで。
ゆっくりと。
「……」
一瞬、沈黙。
(……なに?)
落ち着かない。
その視線が、少しだけ長い。
そして、
「よく似合ってる」
静かに言う。
さらっと。
「今日の雰囲気に、すごく合ってる」
一言、付け足す。
(……え)
思考が止まる。
「ちゃんと選んできたんだね」
少しだけ、柔らかく笑う。
「……はい」
それしか言えない。
いつもの柔らかい笑顔。
でも、その目は――ほんの少しだけ、真剣だった。
「待たせた?」
「い、いえ……今来たところで」
「そっか」
一歩、近づく。
距離が自然に詰まる。
「入ろうか」
扉を開ける手つきが、迷いなくて。
それだけで、“慣れている人”だと分かる。
席に案内される。
椅子を引かれ、座る。
視線が合う。
少しだけ逸らす。
「緊張してる?」
「……少し」
正直に言うと、
レオンは小さく笑った。
「よかった」
「え?」
「僕だけじゃなかった」
さらっと言う。
でもそのあと、
ほんの一瞬だけ、言葉が途切れた。
「……こういう時間、大事にしたいから」
小さく付け足す。
(……え)
今のは、
少しだけ――
軽くない。
料理が運ばれる。
静かな音。
落ち着いた空気。
リリアはナイフを手に取って、
ほんの一瞬、止まった。
(……どうだっけ)
その動きを、
レオンは見逃さない。
「こうだよ」
自然に、自分の手元を見せる。
見せつけるでもなく、
教えるでもなく、
ただ“そこにある”感じで。
「……ありがとうございます」
「気にしなくていい」
さらりと返す。
「初めての場所って、疲れるでしょ」
優しい言葉。
(ちゃんと見てる)
その事実に、胸が少しだけ揺れる。
やがて、デザートが運ばれてくる。
小さな皿の上に並ぶのは――
「……ブルーベリー」
思わず呟く。
レオンは少しだけ目を細めた。
「好きだったよね」
「……覚えてるんですか」
「忘れる方が難しいかな」
軽く言う。
フォークを持つ手が、
ほんの少しだけ止まっていた。
――昔。
庭の奥。
日陰の低木。
「見つけた!」
小さな手で実を摘むリリア。
「それ、酸っぱいやつじゃない?」
笑うレオン。
「違うもん!」
ぱくっと口に入れて、
「……すっぱい」
「ほらね」
二人で笑う。
あの頃は、
何も考えなくてよかった。
「……懐かしいですね」
リリアが言うと、
レオンは静かに頷いた。
「うん」
「戻りたいって思う?」
問いかけ。
リリアは少し考えて、
「……思いません」
と答えた。
「どうして?」
「今の方が……ちゃんと、考えられるから」
言葉を選びながら。
「距離も、立場も」
少しだけ笑う。
「分かってしまったので」
その言葉に、
レオンは一度、視線を落とす。
長いまつ毛が、影を落とした。
そして、すぐに顔を上げる。
「……そうだね」
否定しない。
「だからこそ、今こうしてるのは」
少しだけ声が低くなる。
「意味があると思ってる」
まっすぐ。
逃げられない。
(……ずるい)
店を出たあと、
夜の空気が少し冷たい。
「少し歩こうか」
「……はい」
並んで歩く。
さっきより、少し近い距離。
立ち止まったのは、
明るい灯りの店。
アクセサリーが並ぶショーケース。
「最近、人気らしいよ」
中に入る。
視線が並ぶ品に吸い寄せられる。
(……綺麗)
その中で、
ひとつだけ、目に留まる。
小さなブレスレット。
控えめなのに、目が離せない。
「……それ?」
声をかけられて、はっとする。
「い、いえ……」
誤魔化そうとする。
レオンは少しだけ沈黙したあと、
「それ、いいね」
と静かに言った。
すぐには手に取らない。
一度、リリアを見る。
ほんの少しだけ、迷うように。
「似合うと思う」
そのあとで、店員に告げる。
「これを」
「え、待ってください」
思わず止める。
「そんな……」
言葉が詰まる。
(もらっていいの?)
「……高いですよね」
小さく言う。
レオンは少しだけ困ったように笑う。
「値段で選んでないよ」
一歩、近づく。
「君に似合うと思ったから」
その言い方が、
軽くなくて。
逃げられない。
差し出されるそれを、
すぐには受け取れない。
手が、止まる。
沈黙が落ちる。
「……無理にとは言わない」
静かな声。
「でも、受け取ってくれたら嬉しい」
押さない。
でも引かない。
「……ありがとう、ございます」
そっと、受け取る。
胸が、熱くなる。
嬉しいのに、
少しだけ怖い。
帰り道。
「――危ない」
腕を強く引かれる。
「っ!?」
体が引き寄せられる。
直後、暴走する馬車がすぐ横を通り抜けた。
悲鳴と、人々のざわめき。
何が起きたのか分からない。
ただ、
「……大丈夫?」
すぐ近くで声がする。
気づけば―――腕の中だった。
「……あ」
息が浅くなる。
遅れて、恐怖が押し寄せる。
「っ……」
力が抜ける。
レオンの手が、
ほんの少しだけ強くなる。
「ごめん」
低い声。
「気づくの遅れた」
(……え)
その一言。
余裕なはずの人の、
ほんの少しの“焦り”
それが、胸に刺さる。
「……助けてくれて、ありがとうございます」
「当然だよ」
すぐに、いつもの声に戻る。
でも、
完全には戻っていない。
そのまま、
少しだけ長く抱き寄せられる。
守るように。
離すタイミングを、
ほんの少しだけ迷ったあとで。
「……帰ろうか」
静かに言う。
屋敷の前。
別れ際。
「今日はありがとう」
「……こちらこそ」
少し沈黙。
レオンが一歩だけ近づく。
でも、
それ以上は来ない。
「また、こういう時間もらっていい?」
問いかけ。
でも、どこか確信してる声。
「……はい」
小さく頷く。
その瞬間、
レオンは少しだけ笑った。
「よかった」
それだけ。
触れない。
でも、
十分距離が近い。
部屋に戻ると、
リリアはそのまま立ち尽くした。
手の中のブレスレット。
胸の奥に残る体温。
(……なんなの)
優しいのに。
余裕なのに。
少しだけ、本気。
そして、
ふと浮かぶ。
黒い髪。
意地悪な目。
乱暴な温度。
「……分かんない」
小さく呟く。
夜は、まだ終わらない。




