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番外編 かつてのハッピーバレンタイン

 中学三年生の二月。それは卒業式を目前に控えた、別れの香りを纏う感傷的な時期。そしてそんなセンチメンタルな時期だろうと、カレンダーは例年と変わらずその日の訪れを告げる。

 そう、意中の人物に好意を伝える大義名分を与えられる日。


 男子はそわそわ色めきだち、女子はもじもじとはにかみだす。そんなビッグイベントの名は、バレンタイン。


「はぁ……」


 どんよりと溜息を吐きながら、手にしたスマホに目を落としているのは、才色兼備・容姿端麗、超が付くほどの美少女、時時雨澪である。

 中学三年生、高校進学間近の彼女が頭を悩ませているのは、他ならぬバレンタインだ。


 ちら、と周囲を見渡せば、皆誰にチョコを渡そうだの、本命? 義理? だのくだらない雑談に忙しそうだ。

 澪はそれどころではないというのに。


 ――なのちゃん、こういう時以上にモテるんですよねー……。


 澪が見ているスマホの画面には、席に座って笑顔を振りまくなのの姿が映し出されている。ちなみに、なのとは別クラスのため、ゴリゴリに盗撮映像だ。盗撮映像では、なのの周囲に行列ができていた。

 オープン直後のラーメン屋以上に。


『ありがとう! なの、チョコだーいすき!』

『きゃー! なのちゃん可愛いー!』

『ぁぅ、ほっぺぷにぷに、強いよー』

『かーわいいー!』


 バギッ、と澪のスマホが悲鳴を上げた。危うく握りつぶしてしまうかといったところで、澪は自分の爪を噛むストレス解消に切り替えた。


「浮ついたメス猿どもが……」

「ひっ」


 たまたま耳にしたクラスメイトが飛びあがったが、澪は気にしない。なのを取り巻く現状で、頭がいっぱいなのだ。

 そう、なのは毎年バレンタインになると、大量のチョコを渡される……同性から。そもそもこの中学は女子校のため、男性は存在しない。

 まあ、仮に存在したとしても、なのに群がった瞬間コンマ二秒で細切れにする。勿論、澪が。


「ガジガジガジ……」

 綺麗に手入れされた爪に歯型を付けながら、澪は頭を悩ませていた。


 ――いや分かってますよ、分かってますってば。あのメス猿共が渡してるのは、友チョコ。なのちゃんは私以外にも友人が多いですから、それはまあいいですよ。いいですけど……面白くないです。


「死ね死ね死ね死ね」

「ヒッ」

 

 またしてもとばっちりを受けたクラスメイトに、澪は気づかない。ただただ、バレンタインを呪い続ける。


 ――もし、相手が意識してなくても、なのちゃんが意識してしまったら? 美味しすぎる手作りチョコで、懐柔されてしまったら? そのリスクを考慮すると、やはり指を咥えている場合ではありません……ですが、しかし……。


 そう、なのは無類のお菓子好き。しかも警戒心ゼロ。

 優れたチョコを作った女に、のこのこ付いていってしまうかもしれない。動物じゃあるまいし、とは思うが、なのの行動は予測不可能だから否定できない。


 ならば、なのが貰ったチョコを片っ端から破壊してしまえばいい……とも思うが、澪も薄々気づいている。そんなデストロイな手段を取らずとも、正々堂々バレンタインに参加すればいいのだと。


 ――チョコを、なのちゃんに渡す……勿論私は、私だけは本命チョコです。ですが……うぅ、一応作りはしましたけど、私は甘い物苦手ですし……納得いくクオリティに達しているかどうか。半端な代物を、なのちゃんの体内に入れるわけにはいきませんし……やはり、踏ん切りがつきません。


 分かってはいるのだが、手作りチョコとなるとハードルが高い。澪は甘い物を美味しいと思えないため、味見もロクに出来やしない。

 そんな状態で、理想のチョコを作るのは困難。というか不可能。

 だが市販の物を渡すのは論外だ。本命チョコなのだから。


 そんなジレンマに悩まされ、なのとはかれこれ十年来の付き合いだが、一度もバレンタインチョコを渡したことがない。

 本命故に、なのを愛しているが故に渡せないのだ。

 だが今年こそは、今年だけは逃すわけにはいかない。


 ――中学を卒業すれば、なのちゃんとは離れ離れ。最初はよくても、時を経れば私のことなど忘れてしまいます。そうなる前に……なのちゃんの特別に、ならなくては。


 幼稚園、小学校、中学校……片時も離れなかったなのと、とうとう別の道に進んでしまう。澪自身は、墓に入るまでなのを想い続ける自信がある。

 しかしなのにとって、自分がそこまで特別な存在だと自惚れる気にはなれない。


「なのちゃんは、誰にでも優しいですから……」


 ナチュラル八方美人。それがなのである。

 差別をしない、と言えば聞こえがいいのだが、それは特別扱いしないという事の裏返しでもある。

 なのの特別になりたい澪としては、面白くない。

 面白くはないが、そんな優しさに惚れている身としては複雑な心境で。


 懐に忍ばせている、ラッピングされた可愛らしい小箱を。

「他の人みたいに、気軽に渡せればいいのに……意気地なし」

 指で弄ぶことしかできなかった。

 



「はぁ……」


 結局澪は、なのにチョコを渡すことができなかった。折角作ったチョコを渡すどころか、なのと顔を合わせることすらできなかったのだ。

 一緒に過ごせる残り僅かな時間を、空費してしまった。それを思えば、自然と澪の心はどんよりと曇ってしまう。


 ――でもいいんです。下手に恋心を伝えて、今の関係が崩れてしまうくらいならば。ただの友人として、仲良くできればそれで。例え、いずれ崩れる絆だとしても……。


 どうしよう、ちょっぴり泣きそうだ。澪が立ち止まり、肩を震わせ始めた時――


「あ、いたいた! 澪ちゃーん! 待って、待ってー!」

「……!」


 一番愛しくて、今だけは聞きたくない声が近づいてきた。


「なのちゃん……」

「はぁ、はぁ……うん! なのだよっ! ……あれ、澪ちゃん泣いてる? 泣かないで―、ごめんね、急に話しかけたから」

「ちが、うんです……ぐすっ……ちがい、ます……」

「あわわ、えと、あっち! 公園、行こ?」


 最悪だ。声を掛けられた安堵と、想いを告げられない自分への嫌悪が入り混じって。なのに泣き顔を見られてしまった。

 消えたい。跡形もなく消えてしまいたい。澪は心の底から、弱り切っていた。


 そんな澪の腰に手を回し、公園まで支えてくれたなの。ベンチに並んで腰かけ、なのに背中を撫でられて。

「……ありがとうございます、もう、大丈夫です」

 本調子ではないが、何とか落ち着くことができた。


 だがまだ、なのと目を合わせることができない。俯いたまま、問いかける。

「それで、なのちゃん。私に何か用ですか?」

「うん、その、えとね? んとね? んー……んー」

 いつでも明朗快活ななのとは思えない程、歯切れが悪い。


 言葉を探しているのだろうか。長い思案を経て、ようやく。

「もうすぐ、中学校終わっちゃうね」

「……はい」

 そう切り出した。


 澪が、来ないでほしいと願っている未来の話だ。

「きっと高校に行ったら、新しい友達いっぱいできるね。色んなワクワクが待ってるよね」

「……はい」

「勉強も難しくなって、部活? とか頑張って、きっと毎日楽しいよね」

「……」


 自分のいない未来を楽しいと形容するなのに、とうとう澪は言葉を返せなかった。なのの言葉を無視するなど、あってはならないのに。

 もう聞きたくない。続きを話さないでほしい。


 澪がそう思うのと同時。

「でもね」

 ぴとっ、と小さく暖かな手が、澪の手に重ねられた。


「なの、変なんだー……凄く、寂しい」

「え……」

「なんかね、悲しいこととかじゃないのに、ずっとお別れってわけじゃないのに」

 

 なのの柔らかな手が、澪の手をぎゅっと握り込んだ。思わず顔を上げると――泣きそうな瞳と目が合った。


「澪ちゃんと会えないって思うと……すっごく寂しい」

「……っ」

「ずっと、小さい頃から一緒だったから……学校別々になるだけなのに、なの……悲しくて、辛いんだー……」

「なのちゃん……っ」


 心が溢れ出しそうになった。なのは、今澪だけを見ている。自分と同じで、長年寄り添った親友との別れを惜しんでくれている。

 望外の喜びを噛みしめていると、なのがポケットをゴソゴソとまさぐり……。


「それで、あのね? これ……貰ってくれるかな」

「え、これ……は?」

 分かっていた。それでも直接、なのの口から聞きたかった。


「チョコだよ。今日、バレンタインでしょ? 大好きな人に、チョコあげる日なんでしょ? ……だから、澪ちゃんに。なのの手作りだから、嬉しくないかもだけど」

「そんなことないです! 嬉しくないなんて、そんなこと……あるわけ、ないです」

「澪ちゃん……えへへ、ありがと」


 なのからのプレゼントを大切に胸に抱いた。まさか手作りチョコを貰えるなんて。本命だろうか、義理だろうか? 

 確認するのは野暮だと、知っているけれど。


「……他の人にも、あげたんですか?」

「ううん、澪ちゃんだけ」

「何でですか……?」


 欲張りな気持ちが、とめどなく溢れて。禁断の質問をしてしまった。

 どうか、同じ想いであることを望んで。

 そしてなのは、恥ずかしそうにはにかむと。


「だって、澪ちゃんの事が……いっちばん、大好きなんだもん」

「……!!」

「やっぱりね、皆仲良しさんだけど……澪ちゃんは、特別。特別、いっちばん大好き」

「……ぅ、ぅぅ」

「み、澪ちゃん? どうして泣いてるの!?」

「感激、して……私も、なのちゃんが……一番好きですから」

「え、えへへ……そっか、なんか照れちゃうね。両想いって、やつかなー……あっ」


 自分で言っておいて、『やっぱなし!』と顔を赤くして手を振るなの。

 変な所で恥ずかしがり屋ななのは、恋愛を連想させるワードが酷く苦手なのだ。きっと澪への気持ちも、恋愛とは無関係な『好き』なのだろう。


 それでも、

「ありがとうございます。なのちゃん……私からも、はいこれ」

「えっ、なのにくれるの!? わー、澪ちゃんからバレンタインだ! 初めてだよね、嬉し―!」

「ふふ……渡すのが遅くなって、申し訳ありません」

 十分過ぎた。


 心が軽くなって、あれだけ渋っていたチョコを渡す澪。

「大好きですよ、なのちゃん」

「……うん! なのも!」

 きっと、その大好きの形は違うけれど。


「ね、澪ちゃん。一緒に、せーので食べない? なの待ちきれないよっ!」

「あ……はい」

「澪ちゃん甘い物苦手でしょ? だからね、お野菜パウンドケーキにしてみた!」

「え、どうして知ってるんですか? 甘い物苦手なんて、言った覚えがないですよ?」

「ふふん、親友ですから! 見てれば分かっちゃうよ~♪」

「ありがとうございます……いただきます」

「いただきまーす!」


 きっと、お互いを想い合う気持ちは同じくらい大きくて。


「美味しいです、とても」

「ん~♪ 今までで一番美味しい~♪」


 ある意味では、両想いなのかもしれない。

 中学生活最後のバレンタインは、友情に恋心をトッピング。最高の結果に終わったのだった。


 だが、まあ。


 ――ふふ、なのちゃんが大好きって……私に大好きって! いわゆる友情の好き、でしょうが好きは好き、時間をかけて、恋愛の好きにすれば……勝ち確定! 未来は明るいです♪


 下手に餌を与えられたストーカーが狂暴化したのは、不幸と言える。

 なのが蒔いた種なので、自業自得だが。


 やはり小和水なのは、女心を弄ぶ魔性である――

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