猫カフェバイオレンス
どれだけ社交的で友人が多い人間であろうと、時には一人の時間が恋しくなることもある。それは偏差値十二の少女も例外ではないようで。
「今日のっ、なのは~、おひとり様~♪」
なのは放課後の一人散歩を楽しんでいた。目的を決めずに歩き回り、興味が引かれる店にフラッと入る気ままなぶらり旅。
食欲魔人のなのらしく、やはり大半は飲食店。スコーンを食べて、ハンバーグを食べて、クレープを食べて……どこから費用を捻出しているのか、全く不思議な食べっぷりである。小和水家のお小遣いが膨大なのだろうか。
普段は通らない道を、スキップしながら通り過ぎる途中で。
「およ?」
ふと、目を引く看板があった。
「猫……猫ちゃん!」
ラグドール、マンチカン、スコティッシュフォールド……種々雑多な猫がプリントされた、カラフルな看板。
『可愛い猫たちと遊ぼう!』という宣伝文句が躍っているそれは、極上の癒しを提供する空間。そう。
「これは、なのの推理によると……猫パフェ!」
ではなく、猫カフェである。
動物好きにとっての楽園、時間を忘れてくつろげる憩いの場。外見に違わず、なのは犬猫を始めとする動物が大好きである。
「猫ちゃん猫ちゃん、にゃんにゃんにゃーん♪」
だから迷わず、入店を選択した。
さあ、どんな癒しが待っているのだろうか。なのは平たい胸を膨らませて、まだ見ぬエデンへ足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ~」
「いらっしゃいました! なのです!」
「ふふ、おひとり様ですか?」
「今日はおひとり様の、なのです!」
頓珍漢な内容を吐き散らす恥知らずにも、猫カフェの店員は快く対応してくれた。動物と日頃から触れ合っている故に、大らかな心が育まれたのだろう。
案内されたブースは、まさにこの世の楽園だった。
「ふわわぁ~~……!」
白、茶、ぶち。色とりどりの毛色をした猫たちが、ちとちとと可愛らしい足音を鳴らしたり、ゴロゴロと寝転がったりしている。
なのの瞳は、特上の寿司を前にした時よりも輝き始めた。
「猫ちゃん、猫ちゃんだ~♪ よしよし、よし~♪」
『ニャー』
「可愛い~! えへへ、よしよし、よし♪」
なのの人畜無害な容姿は、猫にとっても親しみやすいのだろうか。フローリングの床に腰かけるなり、猫たちが『遊ぼ、遊ぼ』と言わんばかりにすり寄ってきた。あっという間に毛玉に取り囲まれるなの。
「あ、くすぐったいよぅ~♪ このもふもふさんたちめ~! なののもっちりお肌が気に入っちゃったんだなぁ? うりうり、ほっぺすりすりだよ~♪ えへへ~」
子猫に頬を擦りつけてじゃれつくなのは、まさに無垢な天使。
この場に壊涙や澪がいれば、尊さで失明していただろう。おひとり様で本当に良かった。
「わ~、猫さん肉球ぷにっぷにだね? 何を食べたらこんなにぷにぷにになるの? お餅? 桜餅? 柏餅かな?」
安心しきった様子で身体を預けてくる猫の肉球を堪能して、なのの笑顔がどんどん明るく輝いていく。楽しい、猫カフェ楽しい!
初来店を最上級の幸せで彩ろうとしていた時。
不意に、入店チャイムが鳴り響いた。
『!!』
「あ、あれっ?」
すると、それまでなのにじゃれついていた猫たちが急速にそっぽを向き、一斉に入口に目を向けだす。
「あら、いつもありがとうございます~」
「うす」
顔パスで通れる程度には、常連なのだろう。猫たちもその常連にメロメロなようで、ニンジンをぶら下げられた馬のように常連目掛けて殺到した!
「おぉ、元気だったかお前ら♪ よしよし、よーしよし」
『にゃー』
「よしよし、よし♪」
喉を擽られて、幸せそうに目を細める猫たち。ゴッドハンドだ、常連の手つきは猫を堕とす神の手だ!
私も僕も、と喉を差し出す猫たちの群れ。愛らしくも、一種宗教じみたその光景の中に、猫としては妙に大きな影が混ざっていた。
「よーしよし」
「んにゃ~♪」
「お、新入りか? 子猫にしては随分でかいし、ツルツルもちもちで……って、な!!!???」
常連が撫でていたのは、猫ではなかった。猫を撫でていると思ったら、いつの間にか人を撫でていた。その人というのは、しかし人間離れした卵肌で、もちもちしていて……何を言っているか分からないと思うが、常連にも理解ができなかった。
「お、お前はッ! 紅蓮塚のコバンザメ……小和水!」
「えへへ、こんな所で会うなんてびっくりだね、田中ちゃん!」
「~~~~~!!」
そう、常連に撫でられていた少女はなので、常連というのは何を隠そう、大柄な不良、木刀真剣の田中(笑)その人である。
なのが仲良くしている壊涙や澪とは犬猿の仲である田中だが、なのは妙に彼女に懐いている。
懐かれるようなイベントは、田中視点からだと存在しない。故に、無邪気に話しかけてくるなのを、理解できない存在に向けるような眼差しで見つめている。
「おひさしぶり! といってもサウナ以来だよね? あのサウナすっごくよかった~♪ 今度一緒に行く? あれなら二人で行っちゃう?」
「お、お前っ……な、なんなんだよ、なんでウチの行く先々に現われんだよ!」
ともすればナンパめいたセリフに対し、若干恐怖混じりで声を荒らげる田中。無理もない。自分が拉致したり、傷害未遂に巻き込んだ少女が、無防備に尻尾を振っているのだから。
腹に一物抱えていると考えるのが普通だろう。
だが当然、
「田中ちゃんも猫ちゃん好きなの? なのもね、猫ちゃん大好き! にゃんにゃん、わんわーん♪」
「途中から犬混じってるけど……」
なのには裏表が存在しない。
田中への嫌悪感・忌避感などこれっぽっちも持ち合わせていないのだ。悪く言えば舐め腐っている。
動物よりも単純ななのに付き合っていても埒が明かないと判断したのか、田中は肩を竦めて深く吐息した。
「お前って……バカだよな」
「えー、勉強いっぱいしてるよ?」
ぷくーっと頬を膨らませているなのに、思わず田中は噴き出した。
「なら一層大バカだ」
「わわっ」
猫にするより数段雑に、なのの頭をわしゃわしゃ撫でて。
「喉渇いてねえか? コーヒーくらい、奢ってやるよ」
どんな心境の変化か、太っ腹に提案した。
「なの、コーヒー飲めないよ! にがにがだもんっ」
「マジでガキだな。コーヒーの良さが分からんとは……分かった分かった。オレンジジュースでいいな?」
「うん! オレンジジュース好き!」
それから田中は、特に何も喋らなかった。カウンター席でなのと並んでコーヒーを飲み、それからひとしきり猫を撫でると、出口へと歩き始めた。
「田中ちゃん、ジュースありがとー! また、学校で! サウナで! 猫カフェで!」
「……じゃーな」
ぶんぶんと手を振るなのに、背中で返事をして。
なのより後に来店して、なのよりも先に退店するのだった。
何かしら、心境の変化があったのだろうか。今日の田中は、憑き物が落ちたように晴れやかな表情をしていた――
+++++
「小和水……か」
猫カフェを後にした田中は、花咲く道を歩きながら呟いた。それは、さっき会ったばかりの少女の名前。
――アイツ、本当に変な奴だよな。ウチのこと、これっぽっちも怖がらねえ。あんだけ、酷い目に遭わせたっつーのに。
今まで、暴力を振るった相手から向けられた視線は、恐怖と怒りのどちらかだった。長く血染めの世界に身を浸し過ぎた田中にとって、なのの純朴な視線は眩しくて……どこか懐かしかった。
いつから自分は、変わってしまったのだろう。
「ウチだって、本当は……」
田中は、生まれついての悪人ではない。むしろ、シングルマザーの母を支えるべく、まだ小さい妹二人の世話を買って出る程の孝行娘だ。
あと一年で、高校を卒業した後は働こうと考えている。働いて、少しでも母の負担を減らせれば……そんな優しい考えだ。
ではそんな田中が何故、不良として悪事に手を染めているのか?
それは、ちま高という環境に身を置きすぎた故だろう。
友人に悪ぶった人間が多かった田中は、誘われてちま高に入学した。
だがそれまで、喧嘩などしてこなかった彼女は、当然積極的に暴力を振るったりはしなかった。しかし、恵まれた体格の彼女は……目を付けられやすかった。
――喧嘩売られて、殴られて。でも退学なんかしたら、母さんに心配かけちまうし……強くなるしか、なかったんだよな。
四六時中付けられる因縁、ひっきりなしに売られる喧嘩。その全てに晒されながらも生きていくためには、悪になるしかなかった。
暴力で敵を捻じ伏せ、誰からも恐れられる存在になるしかなかった。
――なんてのは、言い訳に過ぎないけどな。
いつしか、心は荒んで。木刀真剣の田中の異名が付き、自分を慕う子分が現れ始めた時には。
弱者を叩き潰し、強者に阿る。そんな最低の人間になっていた。
そんな自分に違和感を感じる心さえ、凍り付いていた。
しかし最近、彼女の凍った心と、歪んだ悪意にヒビを入れる存在が現れた。
――紅蓮塚にボコられて、あんなチビに舐められて……イキり続ける方が、難しいっての。
紅蓮塚壊涙と、小和水なの。前者は誰にも負けない圧倒的なパワーと、無暗に拳を振るわない理性を以て、格の違いを見せつけてきた。
そして後者、なのは。田中のような歪んだ人間をも見下さず、その曇りなき眼で見つめてきた。心の奥底の、善の部分を見通すが如く。
なのと言葉を交わす度、瞳を覗かれる度。田中の内側に、爪で引っ掻かれるような痛みが走った。
それは心の悲鳴。こんな小さな少女に、妹によく似た少女に失望されたくない。底なしにバカななのとはいえ、悪意をぶつけ続ければ……いつか田中の汚い心に気が付くだろう。
その時、彼女が向けてくる目は。きっと今とは違う、侮蔑の色。
そう考えると、田中の好戦的な部分は水を掛けられたように萎縮してしまう。所かまわず怒鳴り散らし、気に入らないことがあれば暴力で解決する。そんな自分が、果てしなくダサいと思えた。
――別に、アイツの影響とかじゃねえけど。しばらく、喧嘩はいいかな。
今の田中に、不良としてのし上がろうという気概は存在しなかった。空気の抜けた風船のようにもぬけの殻。
欲のままに拳を、木刀を振るう気がどうしても起きない。
これでいいんだ。家族に胸を張れない行為など、続けない方がいいに決まっている。
田中は人知れず、不良から足を洗おうと決意した。自分をこれ以上嫌いになりたくないから。
今からでも自分を好きになれるだろうか? 難しいかもしれないけれど、頑張ろう。そんな前向きな希望を抱き始めた矢先。
「田中ちんじゃ~ん♪」
横合いから、甲高い声が飛んできた。田中はその声に聞き覚えがあった。いや、聞き慣れていた。
反射的に、冷や汗がとめどなく溢れ出した。
壊涙に対してすら感じない、絶対的恐怖。未来が閉ざされる予感、死の恐怖に襲われているのだ。
そんな田中を気遣う素振りも見せず、声の主は近づいてくる。
「ねえ田中ちん、アタシ聞きたい事あんだけどー」
「……っ」
偶然の邂逅を装っているが、この少女は初めから田中に用があって待ち伏せていたに違いない。
そういう人物なのだ。この狡猾で残忍な、悪魔は。
悪魔はニタニタと笑いながら、田中の腕に手を添えた。
「最近有名なチームあんじゃん? んーと、なんだっけー……あっ、思い出した♪ 『なのちゃんズ』……ってやつ」
「……!」
告げられたのは、なのや壊涙が組んでいるチームの名前。田中にとっても因縁浅からぬ人間が所属する、新進気鋭の不良チームだ。
不良チームといっても、彼女たちは破壊や暴力活動は一切しない。売られた喧嘩を買い、群がる不良を瞬殺しているだけだ。
この悪魔が目を付けるようなチームでは、ないはずだが。
「次……そのチームと遊ぼうかなって」
「な……!?」
「面白い子たちみたいだし、先輩として挨拶しなきゃでしょ? 仲良くしたいしさ」
友好的な言葉は、薄ら寒い虚言。あどけない顔の下では、舌を出して牙を剥いている。それがこの悪魔の本性だと、田中は知っている。重々承知している。
「んで、田中ちん。聞いたよ? 『なのちゃんズ』の連中に、こっぴどく負けたんだって? 一度ならず、二度三度……ダサすぎるよね? つーかさ、アタシなんにも聞いてないんだけど」
「そ、それは……っ」
「うんうん、恥ずかしかったんだよね? 下級生の、それもたかだか三人チームに負けちゃうとか……チームの面汚しだもんね?」
「ぅ……」
「田中ちんのことは大好きだけどぉ、分かってるよね?」
田中の膝も身体も、震えが止まらない。喉元に刃を突きつけられた方がまだマシだ。息が詰まるプレッシャーが、真綿のように田中を苦しめる。
田中を苦しめて笑っているのは、小柄な体に悪意をぎっしり搭載した邪悪。
田中が所属しているチームの、ボスに当たる人物だ。
「アタシら……『灰闇怒狼』に敗北は許されない。弱者はいらない。というわけで、田中ちん♪」
少女は田中に背を向けると、楽し気な声で吐き捨てた。
「今までありがとね……もうアンタ、いらないや」
「……っ」
指を鳴らす音が静寂の中、妙に大きく響いた。そして、それを合図に。
「がっ……ぐっ……!」
どこからか現れた集団が、背後から、脇から、正面から。田中を力の限り殴りつけ始める。
如何にタフな田中とはいえ、多勢に無勢。
「まあ安心しなよ、仇はちゃーんと討つからさ。『なのちゃんズ』はアタシら『灰闇怒狼』が噛み殺す、アッハ……♪」
――小和水、紅蓮塚……すまねえ……どうか、無事で……この人に、だけは……灰闇怒狼にだけは、逆らうな……!
膝を着き、薄れゆく意識の中。
田中が最後に聞いたのは。
「キャハハハハハハハハハ!!」
心の底から蹂躙の悦びを楽しむ、悪魔の笑声だった。




