第七話
「また来てもいいですか?」
「もちろんです!」
即答だった。
いや、即答せざるを得なかった。
だって、主人公だよ?
天城カナタ。
第一部『七の刃で天を断つ』の主人公にして、後に世界を救うことになる、正真正銘の物語の中心人物だ。
そんな彼が、僕の店に「また来たい」と言ってくれたのだ。
嬉しい。ものすごく嬉しい。
今まで僕の店にやってくる客と言えば、どう考えても物語の終盤で主人公たちに倒される側の人間ばかり(しかも全員やたら顔が良くて物騒)だったのだ。
それがどうだ。
ついに、ようやく主人公側の人間が、僕の店を気に入ってくれた。
このまま良好な関係を築ければ、原作知識を生かして陰から主人公たちをサポートすることだってできるかもしれない。
もちろん、僕自身が危険な事件に首を突っ込むつもりなんて毛頭ない。
あくまで、一人の店主として。
そう、しがないバーの店主としてである。
「ええ、ぜひ。またいらしてください。いつでもお待ちしています」
「ありがとうございます! 今度はもっとゆっくり話したいです」
カナタは眩しいほどの晴れやかな笑顔を向けた。
隣に立つ神崎澪さんも、どこかホッとしたように胸を撫でおろし、柔らかく微笑んでいる。
うんうん、なんていい子たちなんだ。
こういう健全で光に満ちた子たちが主人公なら、この世界の未来もきっと安泰だろう。
僕は心の中で盛大な拍手喝采を送っていた。
しかし――。
「……マスター?」
背後から、やけに低く落ち着いた、氷のように冷ややかな声が届いた。
振り返ると、カウンターの端でセインさんが微笑んでいた。
相変わらず息を呑むほど美しい笑顔だ。
ただし、目がまったく笑っていない。完全に据わっている。
「随分と楽しそうだったね?」
「えっ? そ、そうですか?」
「ああ。カナタ君がまた来ると言ったときなんて、今まで見たことがないくらい嬉しそうだったからね」
「そ、それは……! ほら、うちは『お客様大歓迎』がモットーですから!」
店主として至極当然の反応である。
客が増えれば売り上げが増える。
売り上げが増えれば生活が安定する。
生活が安定すれば、僕は安全で平和な余生を送れる。
完璧な論理的思考だ。
「ふうん……お客様、ね」
セインさんは妖しく目を細め、意味深に呟いた。
……怖い。
何が怖いって、彼女は第一部のラスボスなのだ。
主人公の成長を促すための壁として立ち塞がり、最終的には世界の命運を懸けて殺し合うことになる、あの『セイン・月詠』その人なのである。
そんな絶対強者が、なぜか僕の店で嫉妬に狂ったような顔で拗ねている。
原作の設定と感情のベクトルが違いすぎて頭が痛い。
「まあまあ、セイン。ゆずくんは何も悪いことをしていないだろう」
そこへ、雷夢さんが助け船を出してくれた。
ありがとう、雷夢さん!
やっぱり頼りになるのは第二部の裏ボスだ!
「ただ――あの少年がゆずに妙な期待を抱いているようなら、少しばかり釘を刺しておく必要はあるかもしれないが」
「助け船に見せかけて、超弩級の別船を出さないでください!」
「ははは。冗談に決まっているだろう?」
全然冗談に聞こえないんですよ!
あの人、半神の生体兵器ですよ!?
冗談のつもりで一撃放てば、学園騎士団が半壊するような超規格外ですよ!?
お願いだから主人公陣営と喧嘩しないでほしい。
僕のささやかな店を最終決戦の戦場にしないでほしい。
「僕はただ、ごく普通にお店を経営したいだけなんですけど……」
「おや? 私は普通に君のお店に通っているだけだよ?」
「俺もだな」
「その『普通』の基準、僕と天と地ほどの差がありませんか……!?」
二人は揃って綺麗に首を傾げた。
やめてほしい。
そんな超絶美男美女に無垢な顔で首を傾げられたら、まるで僕の方が頭のおかしいことを言っているみたいじゃないか。
僕は普通だ。
どこにでもいるごく普通の成人男性だ。
見た目が少々――いや、客観的に見てかなり可愛らしくて幼く見えてしまうだけで、心は至って健全で普通のバーの店主なのである。
僕の切実な願いも虚しく、カナタたちが去ったあとの店内には、えも言われぬ重苦しい空気が残っていた。
セインさんはいつもより露骨に距離を詰めてグラスを傾け、雷夢さんはいつもより頻繁に入口のドアに視線の向けている。
……なんなの、この過剰すぎる警戒体制。
「ところで、マスター」
「は、はい?」
「もしあの少年が、君を危険なトラブルに巻き込もうとしたら……遠慮なく私に言ってくれたまえ」
「俺にも言ってくれ。迅速に排除しよう」
「いや、あの、カナタくんは絶対にそんな物騒なことしないと思いますけど……!」
「そうだといいね」
セインさんは優雅な手つきで紅茶を口に運んだ。
雷夢さんも、どこまでも穏やかな笑みを浮かべている。
だが、その二人の背後に、幻覚ではないレベルで濃厚な黒いオーラが立ち昇っているのが見えた気がした。
……気のせいだ。
きっと疲れが出ているんだ。そう思い込むことにした。
――その日の夜。
営業を終え、僕は店の帳簿をつけながら思案を巡らせていた。
主人公と仲良くなるのは良いことだ。
そして、これまで店を支えてくれた悪役の常連さんたちとも、今まで通り平和に付き合っていきたい。
ならば、僕の取るべき方針はただ一つ。
全員に等しく、平等に最高のおもてなしをする。
誰か一人を贔屓したり特別扱いしたりしない。
そして何より、絶対に店内で流血沙汰を起こさせない。
よし。
これで完璧だ。
……完璧、だよね?
この時の僕は、まだ何も知らなかったのだ。
主人公とラスボスの緊迫した冷戦状態なんて、これから巻き起こる破天荒な大騒動の、ほんのプロローグに過ぎなかったことを。
まさか、第一部の裏ボス――
原作では夫婦でありながら、互いに世界の均衡を壊しかねない危険存在として恐れられていた、あの『最凶の二人』まで店に押し寄せてくることになろうとは。
しかも。
原作のどこを探しても存在しない、可愛らしい双子の子どもまで引き連れて。
そんな未来、予測できるわけがない。
僕はただ、明日の仕込みのために重い冷蔵庫のドアを開けた。
明日も変わらない、静かで平和な日常が続いてくれると信じて。
……本当に、純粋に信じていたのだ。




