第六話
その日の午後。
僕は、店主になって初めて「店を開けるのが怖い」という感情を味わっていた。
理由は単純至極。午前中に訪れた騎士団の面々が、あまりにも面倒なトラブルの種を蒔いていったからだ。
そして――さらに嫌なことに。
「マスター。扉の前に誰かいるようだが」
「……気のせいじゃないですか?」
「いや。気配が三つある」
「気配で数をカウントしないでください」
カウンターを拭く手を止め、おそるおそる入口へ視線を向ける。
……いた。
ガラス越しに浮かび上がる、三つの人影。
一人は午前中にも来た黒瀬さん。そしてその隣には、見慣れない騎士団の制服を身に纏った少年少女が立っていた。
少年は黒髪に鋭い眼光。
少女は栗色の髪をひとつに束ね、腰に細身の飾剣を下げている。
どちらも十代半ばといった年格好だ。
……うん。見覚えがある。
どころか、忘れるわけがない。
あの顔、あの制服、あの醸し出す「主人公感」。
間違いなく、【七の刃で天を断つ】第一部の主人公と、そのヒロインだ。
主人公、天城カナタ。
生まれつき絶大な異能を持ちながらも、ある事情から力を恐れていた少年。だが、様々な出会いと死線をくぐり抜けて成長し、やがて世界を救う英雄となる存在。
そして隣にいるのは、ヒロインの一人である神崎澪。
卓越した剣技を誇る騎士団の若きエースで、主人公の絶対的な相棒だ。
……どうして?
どうして物語のメインキャスト御一行様が、僕の店に勢揃いしているんですか!?
確かに昨日の誘拐事件は、彼らの所属する組織にも関わる件だったかもしれない。
だからといって、わざわざこんな裏道のバーまで足を運ぶ必要なんてないはずだ。
僕なんてただのモブですよ!? 原作のクレジットに名前スラ載らない、名無しのモブAなんですから!
「マスター?」
「……はい?」
「顔色が悪いようだが、大丈夫かい?」
セインさんが心底心配そうに、ぬっと顔を覗き込んできた。
「だ、大丈夫です。ちょっと、嫌な予感がしただけで……」
「嫌な予感?」
「ええ。胃が千切れそうなほど、嫌な予感です」
「……そうか」
セインさんは入口へ視線を走らせると、「ああ、なるほど」と納得したように頷いた。
「マスター、少し下がってい給え」
「え?」
「なに、心配はいらないよ。この私が『話』をつけてくるさ」
「ちょっと待ってください! 話をつけるって何をするつもりですか!?」
僕の悲鳴のような問いに、セインさんは優雅に微笑む。
「マスターに会いたいというのなら、まずは私という『関門』を通ってもらおうと思ってね」
駄目だ。絶対に駄目だ。
それ、主人公陣営とラスボスが第一部で遭遇して険悪になる最悪のイベントフラグじゃないですか!?
僕は慌ててセインさんの袖を固く掴んだ。
「セインさん! 普通に! あくまで普通に対応してください!」
「……普通に?」
「はい! 笑顔で挨拶して、穏やかにお迎えするんです!」
「分かったよ。マスターがそう望むのならね」
すんなり頷くセインさん。……本当でしょうね?
冷や汗を拭いながら、僕は意を決してドアを開けた。
カラン、カラン。
「いらっしゃいませ。ようこそ、【宵闇の涙】へ」
引きつりそうになる頬を必死に抑え、完璧な接客用スマイルを浮かべる。
「お忙しいところ申し訳ありません、白葉さん」
黒瀬さんが申し訳なさそうに頭を下げる。
「本日は、こちらの二人をどうしても紹介したく連れてまいりました」
「……初めまして。天城カナタです」
「神崎澪です。よろしくお願いします」
頭を下げて挨拶する二人。礼儀正しい。
さすがは物語の主人公とヒロイン。怪しげなバーの店頭でも礼節を崩さないあたり、実によくできた教育を受けている。
「ご丁寧にありがとうございます。店主の白葉ゆずと申します。どうぞ、お好きな席へ」
案内しようと足を踏み出した瞬間、カナタ君が真面目な顔で尋ねてきた。
「……あの。白葉さんは、本当に『普通の人』なんですか?」
思わず足が止まった。
「……はい?」
「昨日、右京雷夢さんとセイン・月詠さんが、あなたを助けるために犯罪組織のアジトを壊滅させたと聞きました」
「ええ、まあ……」
「そして今、その二人(超危険人物)がこの店に当たり前のように座っている」
カナタ君の視線が、店内の奥へと注がれる。
優雅にコーヒーを味わう雷夢さんと、いつもの穏やかな笑みを崩さないセインさん。
「……普通の人間が、あの二人とそこまで親しくなれるものなんでしょうか?」
やめてください。
その疑問、僕が一番神様に問い詰めたいんです。
「ええと……お二人は、本当にただの常連のお客様でして……」
「ただの客、ですか」
澪さんが怪訝そうに首を傾げた。
「右京雷夢は、過去に複数の国家級災害を単独で鎮圧した『規格外の半神』。セイン・月詠は、かつて騎士団全戦力を敵に回した『最悪の指名手配犯』として記録されています」
「……そう、なんですか?」
「ご存じなかったのですか?」
「い、いえ! 知っています! もちろん存じ上げておりますとも!」
しまった。あまりの圧迫感に、ついボロが出た。
だって二人の正体を詳しく知っているなんて認めたら、さらにややこしい裏事情を勘繰られるに決まっている!
「……マスター」
静かに響いたのは、雷夢さんの声だった。
「無理に答える必要はない」
「……え?」
「君は何ひとつ悪いことをしていないのだからな」
その静かな言葉に、カナタ君の眉がぴくりと動く。
「……あなたは、白葉さんをそれほど信頼しているんですか」
「当然だ」
雷夢さんは迷いなく即答した。
「マスターは、俺にとってかけがえのない恩人だからな」
「恩人……?」
「そうだ」
静かにコーヒーカップをソーサーに置く。カチャン、と硬い音が店内に響いた。
「俺は長い間、誰とも対等に話すことができなかった。誰もが俺を恐れ、さもなければその力を利用しようと近づいてきた」
「……」
「だが、マスターは違った。俺が何者であろうと、どれほどの力を持っていようと、ただ一人の『客』として温かく迎えてくれた」
雷夢さんの目元が、どこか愛おしそうに和らぐ。
「だからこそ、俺はこの場所が好きなのだ」
言葉の重みに、胸が温かくなると同時に胃が痛む。
雷夢さん、嬉しいです。心から光栄です。
でも、いまこのタイミングでそれを言うと――!
「……なるほど」
カナタ君が何かを思い知ったように、深く視線を落とした。
「だからあなた方は、この店に集まるのですね」
「……どういう意味かね?」
セインさんの声のトーンが、わずかに、しかし確実に低くなった。
「いえ。白葉さんは、あなた方にとって『絶対に失ってはならない聖域』なのだと理解しただけです」
「ふふ、まあ……その通りだね」
セインさんは目を細めて微笑む。
「マスターは私達にとって、何よりも大切な存在だよ」
……待ってほしい。
ただの日常会話のはずなのに、なんで一触即発の重圧が店内に充満しているんですか!?
たまらず僕はパパン!と手を打ち鳴らした。
「そ、それより! せっかく来てくださったんですから、何かお飲みになりませんか? コーヒーでも紅茶でも、すぐにお淹れしますよ!」
「……では、コーヒーをお願いします」
「私も同じものを」
「かしこまりました!」
よし! 話題の転換に成功!
僕は逃げるようにカウンターの中へ滑り込み、急いで豆を挽き始めた。
だが、背後から聞こえてくる会話は、一向に平和な方向へ向かわない。
「……あなた方は、白葉さんを守っているつもりなのですか?」
「つもりではない。実際に牙を剥く者すべてを排除している」
「ですが、危険の渦中にあるあなた方が傍にいること自体が、白葉さんを最大の危機に晒しているのでは?」
「……」
痛烈な問いかけに、ぴたりと空気が凍りつく。
職人の手技のように鋭く青い緊張が走り――
「それでも、私はマスターの傍に立つよ」
セインさんの穏やかで、どこか絶対的な声が響く。
「彼が……私達を拒まない限りはね」
コーヒーをドリップする手が止まりそうになるのを、必死でこらえる。
聞こえない。僕には何も聞こえていない。
これはモブの関わっていい領域じゃないんだ。僕はただのマスター。しがない喫茶バーの店主なんだから。
そう自分に言い聞かせていた、その時。
「白葉さん」
カウンター越しに、カナタ君がまっすぐな瞳を向けた。
「また、ここに来てもいいですか?」
「……え?」
「あなたと、もう少し話をしてみたいんです」
その言葉に、思考がフリーズする。
主人公が。
あの原作の主人公が。
僕の店を気に入って、また来たいと言っている。
……あ。
ついに来てしまった。
僕が密かに憧れていた『主人公たちが集う隠れ家バーのマスター』というポジションが、今ここに結実しようとしている……!
「も、もちろんです! いつでも大歓迎ですよ!」
思わず声を弾ませて答えると――
「……そうか」
雷夢さんが静かに呟く。
「マスターがそう望むのなら、止める権利はないな」
「そうだね。マスターの意思は何よりも優先されるべきだよ」
セインさんも穏やかに微笑む。
ただし。
二人の瞳の奥には、一切の光が宿っていなかった。
その絶大な威圧感を正面から受けたカナタ君は、どこか苦笑いのような困惑の表情を浮かべている。
……どうして?
なんで僕の預かり知らぬところで、こんなデスゲームみたいな空気が出来上がってるんですか!?
心の中で頭を抱える僕を余所に、【宵闇の涙】に初めて訪れた主人公陣営の来店イベントは終わりを迎えた。
だがそれは、僕が思い描いていたような平和で微笑ましい交流などでは断じてなかった。
なにしろ帰り際、カナタ君は真剣そのものの顔で僕の手を握り、こう囁いていったのだから。
「……白葉さん。もしあの二人から圧力を受けたり、困らされているなら、いつでも僕たちに相談してください」
「……はい?」
「あなたが望むなら、僕たちが全力であなたをあのアジト(店)から救い出しますから」
誤解が! 誤解のスケールが大きすぎる!
後ろ振り返ったら、雷夢さんとセインさんが極上の笑顔(威圧100%)で佇んでいるんですけど!
「あ、ありがとうございます……」
引きつりきった笑顔でそう答えるのが精一杯だった。
お願いです。主人公もラスボスも、僕の店を戦場にするのだけは勘弁してください。
その願いが叶うかどうかは、神のみぞ知る。
……もっとも、この店にはその神すら一目置くようなバケモノたちが、毎日呑気にコーヒーを飲みに来るのだけれど。
深く考えるのはやめよう。胃に穴があく。
ただ一つ確かなのは――明日からの僕の店は、これまで以上に胃の痛い日常が待っているということだけだった。




