第三話
建物が揺れる。
床が軋む。
そして、どこか遠くから――悲鳴が聞こえる。
……ええと。
これ、僕たち本当に助かるんでしょうか?
助けに来てくれたのは、素直にありがたいです。常連客のお二人が僕を心配して駆けつけてくれたのも、心から嬉しい。
ただですね。
僕の知っているセインさんと雷夢さんは、ここまで容赦のない人たちではなかったはずなんです。
少なくとも、僕のバーでお酒を飲んでいるときは。
「お、おい! 何をぼさっとしてやがる! お前ら、武器を持て!」
誘拐犯の男の一人が怒鳴り散らす。
「侵入者はたった二人だぞ! こっちは何十人もいるんだ! さっさと始末しろ!」
……あー。
これは駄目ですね。
この人たち、相手が誰なのかまったく分かっていない。
僕は思わず頭を抱えた。
右京雷夢。
作中における、第二部の裏ボス。
人間と神の血を併せ持つ半神であり、数々の強敵を圧倒してきた規格外の存在。
そして、セイン・月詠。
第一部のラスボス。
かつて世界の秩序そのものに牙を剥き、主人公たちを幾度となく絶望の淵へ追い込んだ銀髪の剣鬼。
そんな二人が、たった今、このアジトの中で大暴れしている。
……うん。終わった。
誘拐犯の皆さんの人生が、綺麗さっぱり終わりました。
「おい、チビ! お前も来い!」
男が鉄格子を開け、強引に僕の腕を掴んだ。
「ひゃっ!?」
思わず変な声が出た。
いや、だって痛いんですよ! 僕の身体、見てのとおり華奢なんですから!
「お前を人質にすりゃ、あいつらも手を出せねぇだろ!」
「い、いやいやいや! ちょっと待ってください! 僕を人質にしたところで、何もいいことはありませんよ!?」
「黙れ!」
ああ、もう! 話を聞いてくださいよ!
必死に抵抗したものの、成人男性の力に抗えるはずもなく。ずるずると牢獄の外へ引きずり出されてしまう。
その間にも、建物の奥からは絶え間なく轟音が響いていた。
「……お兄ちゃん!」
同じ牢に囚われていた少女が、不安そうに叫ぶ。
「大丈夫です! 心配しないでください!」
そう答えはしたものの、まったく大丈夫ではない。
僕の人生、どうしてこうなってしまったんでしょう。
◇
「……見つけた」
その声が響いた瞬間、廊下の空気が氷点下まで凍りついた。
そこに立っていたのは、銀髪の美女――セインさんだった。
相変わらず息をのむほど美しい顔立ちで、姿勢は優雅、服装にも一切の乱れがない。
ただし。
その双眸には、普段見せるからかうような笑みなど欠片も浮かんでいなかった。
「マスター」
僕の姿を捉えたセインさんが、静かに名を呼ぶ。
「……無事かい?」
「は、はい。僕は大丈夫です! それよりセインさん、ここは危ないですから――」
「そうか」
彼女はうっすらと微笑んだ。
「マスターが無事なら、何よりだよ」
そして、冷ややかな視線を男へ向ける。
「じゃあ――その手を離してもらえるかな?」
男は僕の腕を掴んだまま、ひっと声を漏らして後ずさった。
「く、来るな! こいつがどうなってもいいのか!?」
「……なるほど」
セインさんは小さく首を傾げた。
「あなたは私に、交渉を持ちかけているのだね?」
「そうだ! 分かったら――」
「断らせてもらおう」
「……は?」
「マスターを傷つける可能性のある交渉に応じるつもりは少しもない。君たちが何を要求しようと、私がそれを受け入れる理由はない」
あの、セインさん?
助けられる側としては、ものすごく不安になる発言なんですけど!
僕の身を案じてくれているのは分かります。分かりますけど!
もう少し穏便に解決するという選択肢はないのでしょうか!?
「ふざけるな! だったらこいつを――」
男が僕を強く引き寄せようとした、その瞬間。
カチリ。
何かが床に落ちる小さな音がした。
次の瞬間には、男の手から僕の腕が離れていた。
何が起きたのか理解するより早く、僕の身体がふわりと浮き上がる。
「……え?」
気づけば僕は、セインさんの腕の中にいた。
彼女は僕を綺麗に抱き上げたまま、満足そうに微笑んでいる。
「はい。確保完了」
「せ、セインさん!? あの、自分で歩けますから! 下ろしてください!」
「駄目だよ」
「どうして!?」
「マスターは怪我をしているかもしれないからね。念のため、私が運ぼうじゃないか」
「怪我なんてしてませんよ!?」
「では、私がそうしたいからということで」
……この人、絶対にノリでやってますよね!?
「セインさん! 僕はもう大人なんですから!」
「ああ、もちろん知っているよ」
「だったら!」
「けれど、私から見れば、こうして抱き上げられるマスターも大変愛らしいものだから安心してくれ」
「話を聞いてくださいぃぃぃ!」
僕の叫びが廊下に虚しく響き渡る。
一方、先ほどまで僕を人質にしていた男は、床にへたり込んだままカタカタと震えていた。
……何が起きたのかは皆目わからない。ただ、男の手元には握っていたはずのナイフが転がり、セインさんの剣はいつの間にか鞘に収まっていた。
うん、見なかったことにしよう。知らなくていい真実も、世の中には存在するのだ。
「おや。セイン、マスターを見つけたのか」
廊下の奥から、ゆったりとした足取りで金髪の男性が歩いてきた。
雷夢さんだ。
彼もまた服装に乱れはない。
ただし――彼の背後にある壁には、人間一人など余裕で通れる巨大な穴が開いていた。
……壁。
壁に穴が開いていますよ、雷夢さん。
そこ、絶対にドアじゃないですよね?
「雷夢さん! 助けに来てくれたのは本当に嬉しいです! でも、あの、建物を壊すのは――」
「マスター」
雷夢さんは僕の言葉を遮ると、
「怪我はないか?」
「え? あ、はい。大丈夫です」
「そうか」
心底安堵したように、彼は柔らかく目を細めた。
「ならばよかった」
声はいつもの穏やかなものだった。
しかし次の瞬間、彼の視線が床で震える男へと注がれる。
「……ところで、セイン」
「なんだい?」
「この男は、マスターに何をした?」
「腕を掴んでいたよ」
「そうか」
雷夢さんが、ふっと完璧な笑みを浮かべる。
「ならば――少し、話を聞く必要がありそうだな」
「ま、待ってください!」
僕は慌てて声を張り上げた。
「もういいでしょう!? 僕は無事ですし、あとは治安維持部隊に引き渡せば済む話です!」
二人が同時に僕を振り返る。
「……マスター」
「……ゆずくん」
「な、なんでしょう?」
セインさんは困ったように微笑み、雷夢さんは真剣な表情を浮かべていた。
「キミは、本当に優しいな」
「まったくだ。自分を攫った相手にすら、慈悲を与えようとするとは」
「いや、普通ですよね!?」
至極まっとうな対応ですよね!?
どうしてそんな『聖人を見つめるような目』をするんですか!?
「……分かった。マスターがそう言うのなら、引き渡すとしよう」
雷夢さんが折れると、セインさんも頷いた。
「ええ。マスターのご意向を尊重しましょう」
よかった。ようやく話が通じました。
僕は胸を撫でおろした。
……もっとも。
「ただし引き渡しが終わるまでは、私たちが責任を持って監視する」
「逃亡を試みた場合は、私が『対処』しよう」
「…………」
ああ。
僕の知っている元ボスたちだ。
普段は僕のバーで穏やかにグラスを傾けているけれど、根っこの部分はやっぱり規格外で恐ろしい。
僕は深いため息をついた。
「……はぁ。店を空けちゃったし、今日の営業どうしよう」
その呟きを聞き咎めた二人が、顔を見合わせる。
「マスター」
「ゆずくん」
「「(飛び出すときに壊した)店の修繕費なら、私(俺)たちが補填しよう」」
……いや。
そういう問題じゃないんですよぉぉぉ!!




