第一話
その日の朝、僕は実に晴れやかな気分で目を覚ましました。
目覚まし時計に頼ることもなく、頭も視界も驚くほどすっきりとしています。
「今日みたいな日は、きっと何か良いことがあるに違いない」
そう本気で思っていたからこそ、まさかその数時間後にこんな悲惨な目に遭うとは微塵も想像していなかったのです。
あらかじめお断りしておきますが、僕が小さなバーを営んでいるこの街——『異能都市ヒノマル』の治安は、お世辞にも良いとは言えません。
……いや、前世の価値観から言わせてもらえば「最悪」の部類でしょう。
なにせ、人体実験のための人攫いや違法薬物の密売なんて犯罪が、都市の裏側では日常茶飯事で行われているのですから。
ですが、これでも他の都市に比べれば格段にマシな方なのだそうです。
凶悪犯罪が表沙汰にならずギリギリのところで踏みとどまっているのは、各区域を巡回する治安維持部隊や、異能学園の生徒たちで構成された『騎士団』のおかげとのこと。
……ちなみにこの情報は、僕の店によく来る“裏ボスクラスのお客さん”から聞きました。
ついでに言えば、この世界の「主人公」様はヒノマルのとある異能学園に通う生徒であり、当然のようにその騎士団に所属しています。
さて。
なぜ僕が何の脈絡もなくこんな街の解説をしたのか。
勘の良い方なら、もうお察しですね?
そうです。僕も見事に犯罪に巻き込まれました!!
まあ、巻き込まれた原因の百パーセントは自分の余計な正義感(自業自得)なんですけどね。
裏路地から子供の悲鳴が聞こえたので嫌な予感がして向かってみたら、黒ずくめのいかにもな男たちが、絶賛誘拐の真っ最中だったという……。
そこからの展開は瞬く間でした。
プロの素早い動きで背後から口元を塞がれ、怪しい薬で意識を絶たれる僕。
そして次に目が覚めた時には、薄暗くカビ臭い廃墟の牢獄に、子供たちと一緒にぶち込まれていました。←イマココ。
「はぁ……今日の営業は取りやめですかね。こんな状況ですから当然なんですけど、常連の皆さんとしばらく会えないと思うと、少し寂しいですね」
情けなくも子供と一緒に捕まってしまいましたが、気を失う直前に治安維持部隊へ通報端末のボタンを押せたのは我ながらファインプレーでした。
あとは助けが来るのを気長に待つだけですが……果たしてそれだけで無事に済むでしょうか。
僕と共に捕まったのは、男子二人と女子一人の三人組。
しかし少年二人の間には、今にも殴り合いが始まりそうな険悪な空気が出始めていました。その間に挟まれた少女は、恐怖で今にも泣き出しそうな表情で身を縮めています。
「どうすんだよ、コレ……! 俺たち、これからどうなっちまうんだよ……っ!?」
「どうなるも何も、どこかの闇市場に売られるに決まっているだろう。あるいは……ヤバい組織の人体実験のモルモットにされるかだ」
「んなっ、ヤベーじゃねえか!! どうにかしろよ昴!!」
「無茶を言うな! そもそもこうなったのは君の身勝手な行動のせいだろうが、大智!!」
「んだと!? オメェらもノリノリでついてきたじゃねえか! なんで俺だけのせいになるんだよ!!」
ヒートアップしていく怒号。
まったく、こんな絶体絶命の状況で責任の擦り付け合いを始めるなんて……本当にお子様ですね、彼らは。
やれやれ、仕方がありません。仲裁に入るとしましょう。
もしこれが平和な日常の一コマだったなら、僕は生温かい目で見守るだけで止めはしなかったでしょう。
誰の命も脅かさない、よくある子供の喧嘩なのですから。
ですが、今は状況が悪すぎます。
この騒ぎで万が一、見張りの誘拐犯を刺激してしまったら……ロクなことにならないのは火を見るより明らかです。
「落ち着いてください、二人とも。こんなところで誰のせいか言い争っても、事態は一向に解決しませんよ」
◇
「閉……店……中……!?」
ゆずがマスターを務めるバー『宵闇の涙』。
その入り口の前で、一人の金髪の優男が呆然と立ち尽くしていた。
彼の名は、右京雷夢。
店の常連客であり、この世界に片手で数えるほどしか存在しない『半神』の生物兵器。
ゆずのような原作知識を持つ転生者であれば、彼を「第二部の裏ボス」と呼ぶことだろう。
世界最強の一角に数えられるほどの絶大な力を持つ男が——今、地面に両膝をつき、この世の終わりのような顔で絶望していた。
「いったい、なぜだ……っ! なぜ世界は俺にこれほどまでに残酷な仕打ちをするのだ……!?」
雷夢にとって、この店で過ごす静かな時間は、荒んだ心を満たす唯一無二の癒やしだった。
自分が『半神』という異形である事実を忘れ、ただの一人の客として扱ってもらえる特別な場所。
それなのに、週に一度の密かな楽しみのために足を運んだ今日という日に……何の前触れもなく、冷酷に扉は閉ざされていたのだ。
項垂れ、セーフティハウスへ失意のまま戻ろうとした雷夢の背後から、足音が近づいてくる。
「失礼。貴殿はマスター……ゆずの知り合いかな?」
声をかけてきたのは、静謐な雰囲気を纏った銀髪の美女——セイン・月詠。
「……マスターとは知人の間柄だが。まさか貴女も、彼の店の常連か?」
「ああ。君もマスターの知人なら話が早い。……単刀直入に言おう。マスターが、攫われた」
セインの顔には一切の感情が浮かんでおらず、まるで能面のように冷ややかだった。
雷夢はその異様さに一瞬眉をひそめたが、続く言葉を聞いた瞬間、すべてを理解した。
マスターが、何者かに不当に連れ去られた。
ならば、この怒りはあまりにも当然だ。
雷夢の胸から先ほどまでの失望は一瞬で吹き飛び、代わりにゆずを攫った名も知れぬ愚者たちへの呪詛が渦巻く。
彼の表情からもまた、あらゆる感情が綺麗に消え失せていた。
ただ、その瞳の奥に宿っているのは——世界をも焼き尽くしかねない、凍てつくように濃密な絶対の殺意。
「月詠さんと言ったか。俺から一つ、提案があるのだが……」
「奇遇だな。実は私からも、提案したいことがあったのだ」
「「一緒に犯人をぶち殺しに行かないか?」」
声が寸分の狂いもなく重なる。
こうして、たった一人の「モブマスター」を救い出すためだけに、世界最高峰の戦力を持つボスキャラたちによる、最悪で最強の共同戦線が結成されたのだった。




