プロローグ
「いらっしゃいませ」
カランカランと、重厚な木枠の扉に取り付けられたブラスベルが澄んだ音色を響かせる。
その音が告げるのは、僕が経営するバー——【宵闇の涙】への来客だ。
「やぁ……久しいね、マスター。二週間ぶりだが、私の顔を覚えていてくれたかな?」
カウンター越しに声をかけてきたのは、肩口で切り揃えられた艶やかな銀髪を揺らす美女——セイン・月詠さんだ。
「何度も言っている気がしますけど、僕が常連客の顔を忘れるわけがないでしょう? セインさんみたいな美人なら、なおさらです」
グラスをクロスで丁寧に磨きながら答えると、彼女は少しだけ目を細め、悪戯っぽく微笑んだ。
「分かってはいるさ。だが、こうして君と言葉を交わさないと、帰ってきた気がしなくてね……血みどろの殺伐とした日常から、この平穏な日常へと」
……後半の恐ろしいフレーズは、全力で聞こえなかったことにしよう。
下手にツッコめば、裏社会の闇に首を突っ込む羽目になりかねない。触らぬ神に祟りなしだ。
「ところでマスター。私の聞き間違いでなければ……今、私のことを『美人』と言ってくれたかい?」
カウンターに肘をつき、ニヤニヤと楽しそうに覗き込んでくるセインさん。
……貴女みたいな地獄耳が、聞き間違えるはずもないでしょうに!
言葉の揚げ足を取って、僕をいじる気満々じゃないですか!
「は、話はこれで終わりです! 僕をからかおうとしたって、そう簡単に乗せられませんからね!」
気恥ずかしさでカッと顔が熱くなるのを隠すため、僕はそっぽを向いて無理やりグラス磨きに集中するフリをした。
「フフッ……やはりマスターは可愛いな。私と同年代の男とは思えないほどに。あまりに可愛すぎて、一思いに食べてしまいたくなるよ」
……悲しいかな。
自分の精神衛生を守るための防御姿勢すら、彼女にとっては格好のエサでしかないらしい。
というか、何ですか「可愛い」って!
寝言は寝て起きてから言ってください!
あと最後、絶対に何か不穏で物騒なこと言いましたよね!?
「セインさんは僕のことがまったく見えていません! いいですか、しっかり目を見開いて見てください……このキリッとしたダンディな顔立ちと、男らしい筋肉でゴツゴツした頼もしい身体を!」
自分なりに目力を込め、胸を張って『男らしさ』をアピールしてみせる。
……が、セインさんはどこか同情を孕んだ、何とも言えない表情で困ったように苦笑した。
「いや、その……自分の男らしさに自信を持っている君には、非常に言いづらいことなのだがね……」
「なんでしょう? 意見があるなら躊躇わずに仰ってください!」
「君の顔はどうあがいても、儚げでおしとやかな美少女にしか見えないんだ。身体に関しても、完全に華奢な少女のそれだな。どんなに贔屓目で見ても、未成年の美少女店主としか思われないだろう」
……嘘だ。そんなの、嘘だあああぁぁぁっ(泣)!!
神様、こんなのってないですよ!
じゃないと、こんな酷すぎる現実があっていいはずがない!
僕はその場に崩れ落ち、カウンターの陰で膝をついてひたすら慟哭した。
そんな僕の情けない姿を見かねたのか、セインさんがカウンター越しにそっと手を伸ばし、優しく頭を撫でてくれる。
……もしも今、セインさん以外の常連客がいたら、確実にニヤニヤしながら冷やかされていただろう。
「まぁなんだ……落ち込むなマスター。それが君の最大の魅力なのだから、気にする必要はないさ」
頭に伝わる温もりに癒やされつつも、僕は未だに信じられない気持ちでいっぱいだった。
この世界のもととなっているゲームのラスボスであったセインさんと、ただのモブである僕が、こんなにも親しく話しているなんて。
しかも、彼女だけじゃない。
僕が前世でやり込んでいた学園異能バトルゲーム——全三部作の『七の刃で天を断つ』に登場するラスボスや裏ボス、果ては極悪な悪役キャラたちが、なぜか僕のバーを隠れ家のように訪れてくるのだ。それも、かなりの頻度で。もはや「超・常連客」と言ってもいいペースで。
そう、僕はなぜか世界の悪役たちに絶大な支持を得てしまっているのだ。
理由?
完全に不明だ。
僕に悪のカリスマがあるわけでもない。
そもそも、人を惹きつけるような特別な才能なんて欠片持ち合わせていないのだから。
本当に、首を傾げたくなる謎でしかない。
まあ、店内で暴れられたり酷いことをされたりはしていないし、お客様が悪役だろうと何だろうと気にしてはいないけれど。
べ、別に横暴な態度を取って彼らの機嫌を損ねるのが怖いから諦めている……なんてことじゃないんだからね!
……あぁ、でも。一つだけ高望みを許してもらえるのなら。
悪役の溜まり場じゃなくて、主人公とそのヒロインたちが集うような爽やかなバーが良かったなぁ……。
まっ、今さらそんな都合のいい願いを抱いたところで、現実が変わってくれるわけもないのだけれど。
これは僕——白葉ゆずが、変わり映えのしないごく普通の日常(?)を送る物語。
そう。
僕はこれからも、この世界の恐ろしい悪役たちに「可愛い、可愛い」と愛でられ、いじられ倒すだけの日常を送っていくのだ。




