第十話
「……ゆず」
「はい?」
「昨日、龍帝と精霊王が来たそうだね?」
朝の仕込み中、セインさんにそう尋ねられ、僕は危うく手にしていた布巾を落としかけた。
何で知ってるの?
いや、あの二人が来店したこと自体は隠していないけれど……それにしても伝わるのが早すぎないだろうか。この街の情報網、どうなっているんだ。
「ええ。お二人と、その……お子さんたちが」
「子どもかい?」
雷夢さんの声が、ほんの少し低くなった。
「はい。双子のお子さんで、一緒にお菓子を食べて帰られました」
「……そうか」
雷夢さんは静かに頷き、セインさんも笑みを浮かべている。
だが、二人ともその瞳の奥は妙に真剣だった。
なんだろう。子どもが店に来たことが、そんなに大事なのだろうか。
「ゆず。その子たちの名前は聞いたかい?」
「え? いえ、聞こうとしたんですけど、龍帝さんに止められてしまって」
「……なるほどね」
セインさんは顎に指を添え、深く思案する仕草を見せた。
雷夢さんも含みのある沈黙を守っていたが、やがて静かに口を開いた。
「ゆず。念のために言っておくが、あの二人……いや、あの一家には深入りしないほうがいいかもしれない」
「えっ?」
思わず聞き返してしまう。
ちょっと待ってほしい。子どもたちに深入りするなとは、どういうことだ。
「どうしてですか? お二人も子どもたちも、普通にお菓子を楽しんでいただけですよ?」
「それが問題なんだ」
「……はい?」
セインさんの表情は、いつになく鋭かった。
「龍帝と精霊王はこの世界でも特別な存在だよ。彼らの気まぐれ一つで、一国の情勢すら塗り替わりかねない。そんな二人が、わざわざ子どもを連れて君のお店に来た」
「は、はあ……」
「しかも、その子どもたちは原作に存在しない」
……え?
今、なんて?
いや、待って。僕、前世のゲーム知識(原作)の話なんて一度もしていないはずだ。セインさんがそんな言葉を知っているわけがない。
……いや、違うな。僕の聞き間違いだ。「本来の記録に存在しない」とか、そういう意味で言ったのだろう。そうに違いない。僕は必死に自分へ言い聞かせた。
「……ともかく、あの双子は普通の子どもではない可能性が高い」
雷夢さんが言葉を継ぐ。
「龍帝と精霊王の血を引いているというだけで異例中の異例だ。将来的にどれほどの力を秘めているか見当もつかない」
「でも、まだ幼い子どもですよ?」
「だからこそだよ」
雷夢さんは穏やかだが、どこか諭すような声で言った。
「子どもは、己の力を制御できないことがある。本人に悪意がなくても、周囲を容易に巻き込み、破壊してしまうんだ」
……それは、確かに否定できない。
あの双子はただのお菓子好きな可愛らしい子どもに見えた。けれど、親が親なのだ。油断して普通の子ども扱いするのは危険かもしれない。
「分かりました。気をつけます」
「ああ。何かあれば、すぐに私達を呼びたまえ」
「俺もすぐに駆けつける」
「ありがとうございます。でも、できれば何事もないのが一番ですからね?」
「もちろんだ」
二人は揃って頷いた。
……その顔が「何かあったら店ごと敵を吹き飛ばす」と言っているように見えたのは、きっと僕の気のせいだと思いたい。
◇
その日の夕方。
いつも通り開店準備をしていると、店の扉が勢いよく開いた。
「ゆずお兄さん!」
「こんにちは……!」
例の双子だった。
今日は両親も一緒だ。龍帝は威風堂々と店内へ入り、精霊王は優雅に微笑んでいる。
そして双子は、僕の姿を見つけるなりパタパタと駆け寄ってきた。
「今日はね、名前を教えに来たの!」
「……あ、そうだったんですね」
僕は接客用の笑顔を浮かべた。どうやら昨日の続きのようだ。
少年が胸を張る。
「ぼくは、リュウガ!」
続いて、少女が控えめに頭を下げた。
「……私は、セイラです」
リュウガとセイラ。
龍帝と精霊王の子どもらしい、力強くも美しい名だ。
けれど、やっぱり僕の知識にはない。
まあ、それも当然か。前世のゲームでは「夫婦」という設定こそあれど、子どもが存在するなんて描写は一切なかったのだから。
なのに、この二人は今、目の前で生きている。
僕の店でお菓子を食べたがっている。
つまり――この世界には、僕の知らない「歴史の変革」が起きているのだ。
その事実が、急にズシリと重く感じられた。
「……ゆずさん?」
精霊王の鈴を転がすような声で、ハッと我に返る。
「あっ、すみません! 少し考え事を……」
「ふふ。驚かせてしまいましたか?」
「い、いえ! そんなことは……」
大ありだ。ものすごく驚いている。
けれど、そんなメタ的な事情を言えるわけがない。
「それでね、お兄さん!」
リュウガが僕の袖を引っ張った。
「ぼく、今日はお父さまにお願いして、お兄さんのお手伝いをすることにしたんだ!」
「……はい?」
お手伝い? この双子が?
「お菓子を運ぶの!」
「いやいやいや! 大丈夫ですよ! お客様にお手伝いさせるわけにはいきませんから!」
「でも、ぼく力持ちだよ!」
リュウガがえっへん、と両手を握りしめた。
次の瞬間――みしり、と店の頑丈な床板が悲鳴を上げた。
「リュウガ」
龍帝の静かな声が響く。
「力加減を忘れるなと言ったはずだ」
「あっ……ごめんなさい!」
みしりという音が止まり、緊迫感が引いていく。
……うん。
やっぱり普通の子どもじゃない!!
力持ちなのは分かったけれど、無意識の気合いだけで床をへこませないでほしい!
「セイラも、お手伝いしたいです……」
少女が上目遣いに手を挙げた。
「ええと……気持ちはとっても嬉しいです。でも、危ない作業もありますから、今日はお客様としてゆっくり過ごしてくださいね?」
「……はい」
セイラが少し残念そうに俯く。
うっ……そのしゅんとした顔は反則だ。そんな表情をされたら断りづらいじゃないか。
けれど、ここで流されたら最後。
リュウガが木樽を軽々と持ち上げ、セイラが精霊の力で店内を一面の花園に変えてしまう未来が容易に想像できる。
僕は心を鬼にして言った。
「お手伝いのお礼……代わりに、今日は特別なお菓子を用意しますね」
「本当!?」
「……ありがとうございます」
二人の顔がパッと明るくなった。
よし、これで回避完了だ。
子どもたちはお菓子を食べる。僕は仕事をする。龍帝と精霊王はお酒と紅茶を楽しむ。
平和だ。実に平和な時間が流れるはずだった。
……のだが。
「ゆず」
聞き覚えのある声が響いた。
入口を見ると、セインさんと雷夢さんが立っていた。
二人の視線が、店内にいる龍帝と精霊王に留まる。
龍帝もまた、静かに二人を睨み返した。
精霊王だけが、変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
数秒間の沈黙。
誰も口を開かない。空気に目に見えない火花が散り、肌がヒリつくほど張り詰めていく。
ああ……これはまずい。ものすごくまずい。
強者同士が相見えたときに生まれる、この独特の重圧。
何より恐ろしいのは、彼らの顔ぶれだ。
第一部のラスボス。
第二部の裏ボス。
第一部の裏ボス夫婦。
なんで世界の存亡を握るような面々が、僕の小さなバーに集結しているんだ。お願いだから、店内でドンパチだけはしないでくれ。
「……久しいな、月詠」
龍帝が低く重厚な声で言った。
「ああ。君も相変わらずのようだね、龍帝」
セインさんが不敵に微笑む。
「おや。精霊王までお揃いとは」
雷夢さんが静かに間を取り持った。
「ええ。今日は家族でお邪魔していますの」
精霊王は優雅に首を傾げた。
そんな大人たちのピリついた空気のなか、リュウガが僕の袖をちょんちょんと引っ張った。
「ねえ、お兄さん」
「は、はい?」
「この人たち、みんなお兄さんのお友達?」
……僕は答えに詰まった。
友達。そう呼んでいいのだろうか。
世界を揺るがす力を持つ者たち。物語の裏で主人公たちと刃を交える運命にある存在。
けれど――僕にとっては、居心地の良い時間を共有してくれる大切なお客様だ。
「……ええ。大切なお客様ですよ」
僕が笑って答えると、リュウガは嬉しそうにニカッと笑った。
「そっか! じゃあ、ぼくたちもお友達だね!」
「……はい?」
「だって、お兄さんが大切にしてる人たちなんでしょ? なら、ぼくたちも仲良くしなきゃ!」
セイラも小さく頷く。
「……みんなで、仲良くできたらいいですね」
その言葉に、ほんの一瞬だけ四人の表情が変わった。
セインさんは目を細め、雷夢さんは双子をじっと見つめる。龍帝は何かを吟味するように黙り込み、精霊王の笑みが少し柔らかくなった。
僕にはその反応の意味までは分からなかった。
ただ、純粋に双子の言葉が嬉しかった。
この店で、誰かと誰かが繋がってくれたらいい。それが僕の願いだから。
……まあ、相手が世界最強クラスの面々でさえなければ、もっと素直に喜べたのだが。
◇
その日の営業終了後。
売上帳を閉じながら、僕はひとつの恐ろしい自由に気づいてしまった。
この店はもう、ただのバーではない。
主人公が訪れ、ラスボスが通い、裏ボス夫婦が子どもを連れてやってくる。そして、その全員が僕(と僕のお菓子)を妙に気に入っている。
……なんで??
僕は本当に、しがない普通の店主なんだけど。
深く息を吐き、店の灯りを消した。
明日もきっと、誰かが来る。できれば、今度こそ普通の平和なお客さんでありますように――そう祈りながら。
しかし翌日。
店の前に立っていた組み合わせを見て、僕は開店早々、絶叫することになる。
「な、なんで主人公と裏ボス夫婦が一緒に来店してるのさぁぁぁ!?」
――どうやら僕の日常に、「平和」という文字が刻まれる日は当分来ないらしい。




