第九話
龍帝と精霊王が初めて店を訪れてから、三日が過ぎた。
その間、僕は何度も首を傾げた。
あの双子は一体何者なのか。
なぜ「原作」のどこを探しても存在しないのか。
特になぜあの規格外な夫婦は、僕の店を知っていたのか。
いくら知恵を絞っても答えは出ない。
そもそも僕は、異世界の片隅で小さなバーを営むただの店主だ。世界の真実を解き明かす探偵でもなければ、物語の裏側を司る神様でもない。
僕にできることと言えば、仕入れの帳簿を比べ、酒の在庫を確かめ、常連さんの好みに合わせて日替わりのつまみをこしらえることくらい。
だから、深く考えるのはやめた。
——三日も悩み抜いていたくせに、というセルフツッコミは謹んで却下する。
朝と昼が入れ替わる四日目の昼下がり。
「こんにちはー!」
カランコロンと鈴の音とともに元気な声が弾け、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ……って、あれ?」
入ってきたのは、例の双子だった。
少年が先頭を切って駆け込み、少女がその裾を掴むように後ろをついてくる。
だが、あの圧巻の存在感を放っていた龍帝も精霊王もいない。
「えっ? あの、ご両親は……?」
「おとうさまとおかあさまなら、外でお話ししてるよ!」
少年は胸を張って無邪気に答えた。
「ぼくたち、ゆずお兄さんに会いに来たの!」
「……え?」
僕に? なぜ?
いや確かに前回「またいつでも来てください」とは言ったけれど、まさか子どもたちだけで凸してくるとは思わないじゃないか。
慌てて扉のガラス越しに外を伺うと、路上に立ち尽くす二つの影が見えた。
龍帝は腕を組み、鋭い眼光で周囲を警戒するように仁王立ちしている。
その隣で精霊王は、こちらの視線に気づくと可憐に微笑み、そっと手を振ってくれた。
……なるほど。完全ガードの保護者同伴だった。
よかった。本当に、心底よかった。
胸を撫で下ろした僕は、二人をカウンター席へ案内した。
「今日はどうしたんですか?」
「この前のお菓子、すっごくおいしかったから!」
少年が満足げに胸を張る。
「また食べたい!」
「わ、私も……っ」
少女もそっと控えめに、だが確かな意思を込めて小さな手を挙げた。
なるほど、お目当てはお菓子か。それなら大いに納得できる。子どもというのはそういうものだ。
僕は厨房へ戻ると、焼きたての焼き菓子を丁寧に皿に並べた。軽く温め直して甘酸っぱい果実を添え、子ども用の甘い果汁ジュースも用意する。
「お待たせしました」
「わぁっ……!」
少年の瞳がキラキラと輝く。少女もどこか照れくさそうに、けれど嬉しそうにお皿を見つめていた。
「ありがとうございます……!」
「いえいえ、ごゆっくりどうぞ」
僕が言葉を添えると、少年は待ちきれない様子で焼き菓子をひとつ掴み、口いっぱいに頬張った。
「おいしい!」
その弾けるような笑顔を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
うん、こういうのでいいんだ。
世界の命運とか、裏ボスの陰謀とか、主人公との血塗られた因縁とか。そういう胃が痛くなるような大層な話は、全部ゲーム本編の中でやってくれればいい。
僕は自分の店で美味しいものを出し、目の前の客に喜んでもらえれば、それだけで十二分に幸せなのだ。
「お兄さんって、ずっとここにいるの?」
「ええ、この店の店主ですからね」
「じゃあ、ずっとここにいてね!」
「……え?」
少年は、まるで明日太陽が昇るのを疑わないような当たり前のトーンで言った。
「ぼくたち、また絶対来るから!」
少女も、こくりと力強く頷く。
「……また、来たいです」
真っ直ぐな瞳に射抜かれ、僕の口元からも自然と笑みがこぼれた。
「はい。いつでもお待ちしていますね」
少年が誇らしげに頷いたその光景を、店の外から覗き込んでいた精霊王が、愛おしそうに目を細める。
「……あの子たちが、初対面の相手にあんなに懐くなんて」
「むう……あの男、何か怪しげな術でも使っているのではないか?」
龍帝が低く唸るように呟いた。
「いいえ。私が診た限り、彼には何の異質な力も感じられませんでしたわ」
「ならば、なぜだ……?」
「さあ……」
精霊王は優しく微笑んだ。
「だからこそ、あの子たちも……私達も、気になるのでしょうね」
店内では、双子が楽しそうに身を乗り出していた。
「ねえ、お兄さん! ぼくの名前、まだ教えてなかったよね?」
「あ、そういえば」
僕は手を止めた。言われてみれば、まだ互いの自己紹介すら済んでいなかった。
「僕は白葉ゆずと言います。よろしくお願いしますね」
「うん! ぼくは——」
少年が元気よく名乗ろうとした、その瞬間。
「待て!」
店の外から、地響きのような龍帝の制止が響き渡った。
びくっ、と僕も双子も同時に肩を跳ね上がらせた。
えっ、何!? 何か禁忌でも犯した!?
まさかお菓子の値段設定が安すぎて龍帝のプライドを傷つけたとか!?(※子ども料金は設定していません)
重厚な圧を纏って店内へ足を踏み入れた龍帝は、我が子たちを見下ろした。
「二人とも。名を明かす前に、父から一つ言い含めておくことがある」
少年がきょとんと首をかしげる。
「なぁに?」
「この店の主は、我らにとって極めて大切な客人となるやもしれぬ。ゆえに、決して非礼や粗相のないよう振る舞え」
「えー? ぼく、ちゃんとお行儀よくしてるよ?」
「……私だって、ちゃんとしてます」
少女がふくれっ面で小さく抗議する。
後ろからついてきた精霊王が、くすりと鈴を転がすように笑った。
「あなた。子ども相手にまで、そんなに肩を肘張らなくてもよろしいでしょう?」
「む……だが、王家の礼節として重要なことだ」
「ふふ、そうですね」
……何なんだ、このハイエンドすぎる家族は。
僕は完全に置いてけぼりだった。ただのしがないバーの店主に対して、そんな大層な評価と扱いをしないでほしい。
僕は本当によくいる普通の人間なのだ。ちょっと童顔で、ちょっと客層の癖が強すぎる店を営んでいるだけの、ただの料理人なのだから。
「ゆずさん」
精霊王が、花がほころぶような笑みを僕に向けた。
「この子たちのこと、どうかよろしくお願いしますね」
「えっ……あ、はい……?」
いやいやいや。
よろしくって、具体的に何を!?
僕は託児所の先生でもなければ、王家の家庭教師でもない。そもそもここは酒場だ。未成年のたまり場ではないのだ。
……まあ、今はジュースとお菓子を楽しんでいるだけだけれど。
僕の内心のパニックを露知らず、双子は再び眩しい笑顔を取り戻した。
「また来るね、お兄さん!」
「……また、来ます」
「は、はい。お待ちしております……」
何とか笑顔を取り繕い、パタパタと走り去る二人を見送った。
そして扉がパタンと閉まった瞬間、僕は厨房の壁にそっと額を押し当てた。
疲れた。
まだ陽も高いというのに、魂が抜け出たような疲労感が押し寄せてくる。
原作のシナリオには存在しない双子。
しかも、世界最強の龍帝と精霊王の血を引く子どもたち。
この二人が将来どんな波乱を巻き起こすのか、僕にはさっぱり分からない。
けれど、少なくとも今この瞬間は——お菓子を頬張って瞳を輝かせる、どこにでもいる愛くるしい子どもに見えた。
……だからこそ、余計に不可解だった。
あの二人は、なぜ僕なんかにここまで懐いたのだろう。
僕には世界をひっくり返すような特別な能力も、宿命を変えるような英雄の力もない。
ただ、店を訪れたお客様に「美味しかった」と笑ってもらえるよう、精一杯おもてなしをする。それだけだ。
それだけのはずなのに。
「……まあ、いっか」
僕は小さく息を吐き出した。
答えのないことを考えても始まらない。
明日もいつも通り店を開ける。お客様が来たら、とびきりの笑顔で迎える。
それが、バーテンダーである僕の仕事なのだから。
ただし。
翌日、セインさんと雷夢さんが双子の来店を知り、揃って妙に物静かな威圧感を漂わせ始めた理由について——
僕がその真実に気づくのは、もう少し先の話である。




