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(……これでわたくしの十八年の人生も終わるのね)
ナイフを握ってみても、どう戦えばいいのかまったくわからない。
「聖女や王太子妃教育では必要のない知識だったもの。自分の身を守る術を学ぶのも王太子妃教育であったら良かったのに」
ボソリと呟いたその時、ダイアウルフの腹が鳴った。
――グゥ……キュルルルル
エリーゼは一瞬きょとんとする。思いのほか可愛い音に思わず苦笑してしまった。
急いで魔導収納バッグを開き、ハムの塊を前へ放った。ダイアウルフはぴたりと足を止める。銀色の瞳が、地面に転がったハムへ向いた。低く唸りながらも、その鼻先がゆっくりと近づいていく。やがてハムに食らいつき、警戒したまま咀嚼を繰り返した。それでも視線だけは、一瞬たりともエリーゼから逸らさない。
(魔獣は農作物を荒らすことはあっても、人を餌にはしないわ。縄張りを侵されたり、敵と認識した時だけ牙を剥くはずよ。だから次はソーセージをあげて、とにかく持ってきたものを全部食べさせよう。そしてなんとか、わたくしが敵じゃないことをわかってもらえると良いのだけれど……)
そう考えていた矢先、ダイアウルフの耳がぴくりと動く。次の瞬間、さきほどまでエリーゼへ向けられていた鋭い眼差しが、右手の茂みへと向けられた。
――ガサガサッ!
何かが木々の間を高速で駆け抜ける音がする。それはこちらに迫ってくるようで、やがて茂みの向こうから姿を現したのは、巨大な魔獣だった。
鋭く湾曲した牙を持つタスクボア――猪型の魔獣だ。鼻息も荒く地面を蹴ると、一気にエリーゼへ突進する。
ダイアウルフは前へ踏み出し、タスクボアの首元へ鋭い牙を突き立てた。タスクボアは短く悲鳴を上げると、そのまま地面へ崩れ落ち、動かなくなった。
「すごい……」
あっという間の出来事だった。ダイアウルフは倒れた獲物を一瞥すると、ゆっくりとエリーゼの方へ戻ってきた。
しかし、その歩き方にわずかな違和感がある。
「……あなた、その前足」
右の前足を地面につくたび、小さく顔をしかめている。
エリーゼは恐る恐る近づき、白い毛並みをかき分けた。すると、乾いた血の下から太い棘が覗いた。傷口は少し腫れており、新しい傷ではない。
「これ……前から刺さっていたのね。少しだけ我慢してね」
ダイアウルフは警戒するようにエリーゼを見つめていたが、襲いかかろうとも逃げようともしない。
エリーゼは棘をしっかりと掴み、一気に引き抜く。ダイアウルフの傷口から血が流れた。
「まあ、痛そう……治癒魔法が使えるかどうかわからないけれど一応、やってみましょう。……この傷を癒やして――ヒール!」
使えるはずがないと思いながら唱えた魔法が、思いがけず力を発揮した。
白い光がエリーゼの手のひらから溢れ、傷口を優しく包み込んだ。ゆっくりと腫れが引き、血も止まる。
ダイアウルフは何度か前足を地面につけ、痛みが消えたことを確かめるように体重をかけた。不思議そうに首を傾げる様子が可愛い。
「痛みが消えてよかったわね。さっきは魔法が使えなかったけど、今は使えた……なぜかしら? でも、あなたの怪我が治せて良かったわ」
理由はわからないが、失ったはずの魔力がほんの少し戻ってきたのかもしれない。今はそう考えることにした。
エリーゼは安堵の息をつき、倒れているタスクボアへ視線を向ける。魔獣討伐の野営では騎士たちが魔獣を解体する様子を見守り、実際一緒にそれを食べたこともあった。
「なにごとも挑戦よね……やってみようかしら」
ナイフを取り出し、記憶を頼りにタスクボアを解体する。決して手際が良いとはいえない。それでもどうにか食べられそうな肉を切り分けることはできた。
集めた枯れ枝へ生活魔法で火を灯し、肉を串に刺して炙る。串はそのあたりに生えていた細い枝を使った。
じゅうっと脂が滴り落ち、香ばしい匂いが辺りへ広がった。その間に周りに生えていた木から大きな葉を取り、焼き上がった肉をそこに乗せ、ダイアウルフの前に置く。
「あなたも食べるでしょう? まだお腹が空いているはずよ」
ダイアウルフは一度エリーゼを見つめ、それから静かに肉を咥えた。
エリーゼも焼きたての肉を少し口にする。持ってきたミルクは火のそばで温め、自分の金属製のコップと、ダイアウルフ用の深皿へそれぞれ注いだ。パンも焚き火で軽く焼き、切り分けた林檎と一緒にダイアウルフの前へ置く。
温かい食事は、張り詰めていたエリーゼの心を少しずつ解きほぐしてくれた。
焚き火の向こう側では、ダイアウルフも黙々と肉を食べている。
食べ終わるたびに、エリーゼは新しく焼けた肉を葉の上へ乗せてやった。パンや林檎も気に入ったらしく、ダイアウルフは嬉しそうに頬張った。
ぱちぱちと薪の爆ぜる音を聞きながら、エリーゼはほんの少しだけ肩の力を抜いて食事をすることができた。
ダイアウルフは、もうエリーゼを敵とは思っていないらしい。やがて、向かい側にゴロンと寝転がり、ゆっくりと目を閉じた。
(ふふっ。お腹がいっぱいになったら眠くなってしまったのね)
残った肉は全部焼いてから魔導収納バッグに放り込む。そしてエリーゼも寝袋を取り出し、そこにすっぽりと体を潜り込ませて眠ることにした。
時折、ガサリと葉のこすれる音に目を覚ました。そのたびに、隣にはダイアウルフがいた。周囲を警戒するように目を光らせ、低く唸っている。
「良い子ね。まるで、わたくしを守ってくれているみたい。この森を抜けるまで、一緒にいてくれる? わたくし、あなたと友だちになりたいわ」




