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――話は少し前に遡る。
グレンヴィルが魔獣の言葉を人の言葉に変換する魔導翻訳機を完成させてから、まだそれほど経っていない頃のこと。
研究室には、術式の描かれた紙が何枚も散らばっていた。
「翻訳機は完成したが、この前はエリーゼに助けられた。やっぱり魔力が途中で途切れずに魔獣がおとなしくなるところまで持ちこたえさせないと」
グレンヴィルは額を押さえ、小さく息をつく。浄化そのものは発動する。しかし魔獣の魔力量が多ければ多いほど、途中で出力が落ち浄化しきれないことがわかった。エリーゼと何度も魔導浄化器の改良を重ねたがだめだ。
「最後の仕上げは、私が浄化魔法を使いますわ。ですから、この形で完成ということにしませんか? それに……完璧な魔導浄化器は、作らないほうがいい気がします」
「えっ? どうしてそう思うんだい?」
「もし、そんな魔導具が心ない人の手に渡ったらどうなるでしょう。魔獣を好きなように利用したり、傷つけたりするために使われるかもしれません」
「確かに、エリーゼの言うことも一理あるな」
そんなわけで、魔獣の浄化の仕上げはエリーゼが担当することになった。
そして研究室の一角では、今日もスノウの言葉教室が開かれている。
「ではスノウ。今日は『持ってくる』を覚えましょう」
床に座ったエリーゼが、少し離れた場所へ小さな籠を置く。
「その籠を、私のところへ持ってきて」
『わかった!』
首に付けた魔導翻訳機からスノウの鳴き声に重なるように人の言葉が聞こえた。
スノウはすぐさま籠へ駆け寄り、持ち手をくわえる。そのままエリーゼの前まで運んで、ぽとり。
「正解。お利口さんね」
『褒められた!』
ぶんぶんぶん、と尻尾が床を叩く。
「もう理解したの?」
「覚えるの早いなぁ」
見守っていたフィリシアとグレンヴィルが感心する中、エリーゼは次の課題に移った。
「では今度は『運ぶ』よ。フィリシアさんのところにある籠を、グレンヴィル殿下のところまで運んで」
『うん!』
スノウはフィリシアの足元から籠を回収すると、少しだけ迷いながらもグレンヴィルの前へ置いた。
「すごい。よくわかったわね」
エリーゼは満足げだ。
「では最後に、一番大事な言葉を覚えましょう」
そう言って取り出したのは、真っ赤な林檎だった。
途端にスノウの耳がぴんっと立つ。
「これはご褒美よ」
『ご褒美』
「頑張って仕事をすると、ご褒美がもらえるわ」
『仕事すると、ご褒美』
「そうよ。はい、どうぞ」
エリーゼが林檎をスノウの口元に近づける。
『ご褒美、おいしい!』
シャリッ!
スノウは勢いよく林檎にかじりついた。
「……ご褒美がおいしいって覚えちゃったみたいね」
「まあ、働く理由としては非常にわかりやすいから、良いよね」
フィリシアとグレンヴィルが苦笑する。
ところが林檎を食べ終えたスノウは、突然立ち上がった。
『仕事する!』
スノウは籠をくわえる。グレンヴィルの前からエリーゼの前へ籠を運び、ぽとりと落とす。
『ご褒美!』
今度はエリーゼの前からフィリシアの前へ、籠をぽとり。
『また仕事したよ! ご褒美!』
「スノウ、それは仕事じゃないわよ」
『運んだよ?』
「自分で勝手に運んだでしょう? 頼まれたことをしてくれたらご褒美なのよ」
エリーゼが困ったように眉を下げた。
『でも運んだ!』
得意げに胸を反らすスノウを見て、フィリシアがとうとう吹き出した。
「この子、『ご褒美』だけ完璧に理解してる!」
「交渉を覚えさせる前に、報酬請求を覚えちゃったね」
研究室に笑い声が広がる。
その真ん中でスノウだけが首を傾げていた。
『ご褒美は?』
エリーゼは笑いながら大きな林檎をふたつあげたのだった。
数日後、エリーゼとスノウ、グレンヴィルは森の奥へと足を進めていた。上空が一瞬暗くなる。
「グレートイーグルだ! まずは魔導具で浄化魔法だ」
巨大な翼を広げた魔獣が鋭い鳴き声を上げ、二人を威嚇する。グレンヴィルは魔導浄化器に魔力を流し、「術式を起動する」と叫ぶ。白い光がグレートイーグルに向かって放たれグレートイーグルを浄化していくが、あと一歩のところで止まる。
「エリーゼ! 最後の仕上げをお願い」
「はい! 任せてください」
エリーゼは両手を前に突き出し、浄化魔法を発動した。両手から放たれた白い光が、激しい滝の流れのようにまっすぐグレートイーグルへ向かい、その全身へ一気に浴びせられた。やがて魔獣の険しかった眼差しから敵意が消え、 エリーゼはスノウへ視線を向ける。
「スノウ。グレートイーグルに『わたくしたちを背中に乗せて運んでほしい』と伝えて」
スノウは頷くとグレートイーグルへ向き直り、低く鳴いた。しばらく言葉を交わしたあと、スノウがエリーゼたちへ振り返る。
『運んでもいいってさ。ただし、この辺りでは滅多に獲れない大きな魚が欲しいんだって』
グレンヴィルが口元を緩める。
「交渉成立だね。トリストン王国の王宮まで行ってくれ。そこでご褒美の大きな魚をあげるよ」
『わかった!』
スノウがグレートイーグルに説明すると、返事をするように頷いた。次の瞬間、グレートイーグルはゆっくりとその巨体を低くした。
エリーゼとスノウ、グレンヴィルがその背に乗ると、グレートイーグルは大きく翼を広げた。力強く地面を蹴り、あっという間に空高く舞い上がる。
眼下の森がみるみる遠ざかり、やがてトリストン王国の王都の街並みを通り過ぎ、広大な敷地に建った王宮が見えてきた。
「スノウ、王宮の庭園に降りるように言って。あの芝生のところだよ」
『うん!』
スノウが伝えると、グレートイーグルは大きく翼を傾け、庭園へ向かって高度を下げていった。
突然、空から巨大な魔獣が舞い降りてきたのだから、宮殿の者たちが平静でいられるはずもない。
「ま、魔獣!?」
「グレートイーグルだ!」
「どうして宮殿に……!」




