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いつもの軽い口調ではない。研究室にいた近衛騎士たちが息を潜め、ジェイムズだけが肩をすくめて苦笑した。
「おやおや。本気で怒ったか? お前の魔力は昔から規格外だからな。さすがにこれ以上怒らせる気はない。じゃあな」
ひらひらと手を振りながら、ジェームズはその場を後にした。
「 大丈夫だった? ごめんよ、兄上に触られて嫌な思いをしたよね……消毒しといてあげる」
透明な液体をシュッシュッといきなり吹きかけるので、エリーゼは驚きよろけてしまう。
「おっと。ごめん、ごめん。これはただの消毒薬。少し強めだけど、良い香りもするでしょう? 雑菌を駆除するにはとても効果的だから」
そう言いながら、グレンヴィルはエリーゼを支えるように抱きかかえた。すぐに手を離されたが、ジェイムズの時のような違和感はなかった。
(なんでかしら? ジェイムズ殿下に触られた時と、グレンヴィル殿下に触られた時では、まったく感覚が違うわ。グレンヴィル殿下だったら緊張はするけれど、ゾクリと背筋が寒くなるような感じはしない)
しかしエリーゼは、それ以上先を考えるのはやめた。
フランシスも優しかったし、心から愛してくれる人だと思っていた。それなのに、最初から裏切っていたのだ。
グレンヴィルのことは、上司や人としては信頼できると思う。彼の夢も、そのためにひたむきに研究を続ける姿勢も、心から素晴らしいと思っている。
ただ、彼に特別な感情を抱くことだけは怖かった。もう二度と、優しくしてくれる男性に心を許して傷つきたくはなかったのだ。
「……はぁ」
グレンヴィルは大きく息を吐くと、水晶板へ視線を落とした。
「兄上が来ると、いつも調子が狂うんだよ。今日はもう実験はおしまいにしよう。あんな騒ぎの後じゃ、俺も集中できそうにないし」
苦笑しながら肩をすくめる。
「よろしいのですか?」
「うん。研究は焦ってやるものじゃないからね。中途半端に進めても、ろくな結果にならないんだ」
そう言うと、グレンヴィルは、ぱっと表情を明るくした。
「その代わり、気分転換に良いものを見せてあげるよ。研究所にはね、おとなしい魔獣もいるんだ。人を襲わない種類で、すごく可愛いんだよ」
「魔獣を……飼っているのですか?」
エリーゼはわずかに眉を上げる。
「怪我していたのを保護したのが始まりさ。百聞は一見にしかず。さあ、行こう」
グレンヴィルに案内され、エリーゼは研究棟の奥へと足を踏み入れた。たどり着いた部屋の扉は大きなガラスでできており、その向こうには柔らかな陽光が満ちていた。スノウには扉の前で待っていてもらう。
「ここだよ」
扉を開けた瞬間、花の甘い香りがふわりと漂った。室内には色とりどりの花々や低木が植えられ、小さな水盤には澄んだ水が静かに揺れている。天井まで届くガラス窓から差し込む陽射しは温かく、まるで小さな庭園のようだった。
ふわりと、三匹の蝶が花の間から舞い上がる。
「まあ」
エリーゼは思わず声を上げた。
蝶たちの羽は光を受けるたび、赤、オレンジ色、黄色、緑へと七色に輝きを変えていく。 その幻想的な光景は、まるで色鮮やかな宝石が空中を漂っているようだった。
「綺麗……」
思わずこぼれた呟きに、グレンヴィルが楽しげに微笑む。
「でしょ? 虹羽蝶という魔獣なんだ。人を襲うことはないよ」
「これも……魔獣なのですか?」
エリーゼは驚いたように蝶を見つめた。魔獣と聞いて思い浮かべていた姿とは、あまりにもかけ離れていたからだ。
「魔力を宿して生まれた生き物は、大きさや姿に関係なく魔獣と呼ばれるんだよ。三羽とも、強風で羽を傷めて飛べなくなっていたところを保護したんだ。傷はもう治っているよ」
「では、なぜここに?」
「天井をよく見てごらん」
エリーゼが見上げると、ガラスの一角だけが開いていて、青空が覗いている。
「あそこから自由に出入りできるんだ。帰りたくなれば、いつでも森へ戻れる。でも、この子たちはここが気に入ったみたいでね。たまに外に出ているけど、ここに帰ってくるんだ。居心地が良いみたい」
そう言うグレンヴィルの視線は、まるで自分の子供を見つめているかのように優しかった。その穏やかな眼差しを見ていると、彼は魔獣を研究対象として扱うだけではないのだと、エリーゼにも自然と伝わってきた。
「世話をしているうちに懐いちゃったんだよ」
そう言ったグレンヴィルの手にそっと止まる蝶。
「蝶が懐くなんて凄いですわ」
「エリーゼにもすぐ懐くと思うよ。普通の蝶より感情があるみたいだから。ほら手を出して」
エリーゼが手を出すと、蝶がエリーゼの手にもそっと止まる。
「可愛い……この子たちも魔獣で、ジェイムズ殿下は殺すとおっしゃっているのですよね? そんなことは許せませんわ。グレンヴィル殿下、なんとしても魔獣と共存する世界を目指しましょう。スノウもとても良い子です。互いを敵だと思わなくなれば、人と魔獣はきっと共存できるはずです」
グレンヴィルが眩しそうにエリーゼを見つめる。
「ありがとう、エリーゼ!」
そのまま勢いよくエリーゼを抱きしめた。




