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23話 こんなにも満たされるんだ

 眠剤が効いて眠ったと思ったら、景色が変わった。

 どこが上か下か分からない、真っ黒な宇宙空間に浮いている。あるとしたら、白い扉がいくつもあるだけ。

 その扉には、デジタル時計のように時間が書いてあり、減っている。

 20ある扉のどこかに、駆馬くんが。

 1枚ずつ、探すしかない。

 その度に、私は私の死ぬ未来を見る事になる。


「うん。やっぱり怖いよね」


 震える手で、気付く。

 けれど、その手で、ドアノブを掴み取る。


「駆馬くんが待ってるもん。やっと会えるもん。会えなくて苦しいのは、もう嫌だ!」


 ドアノブを回す。


「え? あれ、開かない」


 押しても、引いても、扉が開かない。


「鍵……でも、そんなの分かんないし」


 無いものは無い。

 今は、今出来る事をやるだけやってみよう。

 そう思って、隣の扉を開け───


「これもダメ」


 開かない。

 その隣も、開かない。

 その奥も。そのまた奥も。


「これで……最後」


 全部で20ある扉の、19枚が開かなかった。

 一番奥にあったその白い扉を見ると、時間は4年後。ここだけ極端に短い。


「え、待って……これ」


 駆馬くんの言葉を思い出す。

 駆馬くんと結婚して、出産の時に26歳で死ぬ未来を見た。

 今は22歳。という事は。


「駆馬くんと……結婚した場合の未来、って事かぁ」


 嬉しい気持ちと、悲しい気持ちが、両方とも手に巻き付いてきて、ドアノブを回せなくなった。


「……」


 奮い起こす心の炎が、こんなタイミングで消えてしまった。

 やっぱり嫌なものは嫌だ。話に聞いただけでも嫌なのに、ママと同じ死に方を、私もする未来なんて、見ないで済むなら見たくない。

 きっとこの扉の先では、私は最期の別れをするのだろう。駆馬くんに。生まれてきた子どもに。その子の成長を見届けられない事や、私がしてきた苦しみを2人にはその先ずっと同じようにさせてしまう事を、駆馬くんに謝るのだろう。

 駆馬くんの、泣き崩れる顔を、見るのだろう。


「……じゃあ。そんなワガママ言ってばかりの弱い私に問う。全部が望み通りに、駆馬くんと結婚出来て、子どもを産んでも死ななくて、長く生きれたとしても、人はいつか死ぬよ。その時にも、泣かずにお別れ出来ると言い切れる? バァバが言っていた言葉を思い出しなさい。人生何が起こるか分からない。どんな人でも明日死ぬかもしれないから、今この瞬間を大切に、大切な人と一緒に過ごしなさい。なるべく悔いの残らない未来を選んでいれば、振り返った時に長生きして幸せだなって……」


 その言葉の意味が、今なら、改めて深く理解出来る。

 22年の短い人生を振り返れば、つらい事も楽しい事もいっぱいあった。けれど、その中でも一番大事にしたいと思える存在が、苦しみの中にいる。一緒に生きていきたいと思える存在が、遠くにいる。

 そんなのは嫌だ。

 私は、駆馬くんと結婚したい。またあの頃のように笑顔いっぱいな時間を過ごしたい。

 私がそう思うし、同じくらいに駆馬くんも思っている。


 変わらなきゃ。


 今まで守られて、幸せをもらってばかりだった。

 今度は、私が支える番。私が駆馬くんを幸せにする番。

 たとえ、涙が枯れるような未来を目の当たりにするとしても、いい。

 残された時間が4年だけになるとしても、いい。

 駆馬くんには、また、幸せいっぱいな笑顔になって欲しいから。


「産まれてくる子には……いっぱい手紙とレシピ本を書かないとなぁ。4年かけて、伝えたい事を、全部。それでも足りないと思うけど、きっと、少しだけでも分かってくれるよね……ママ」


 その返事は、聞こえない。

 でも、もう私は、待たない。

 これからは、自分で選ぶ。

 心の雑音が消える、この感覚を信じて。


「駆馬くん。待たせてごめんね。今、行くから」


 刻一刻と時間が減る白い扉のドアノブを回す。なぜか触れる前から開く安心感があったそれが本当に開くと、白く眩い光が私を包んだ。




◇◇◇◇◇




 ふと気付くと、どこを見ても、色を失ったような白色と黒色だけの景色。でも、現実と違うのはそれくらい。

 私は今、止まっている車の中。助手席に座っている。隣には、ハンドルを握る、駆馬くん。


「…………っ!?」


 あまりにも自然で、すぐ目の前にいて、私は驚くタイミングが遅れてしまった。

 見間違う筈がない。駆馬くん。26歳になった駆馬くん。顔付きがキリッと引き締まってて大人な男性の雰囲気になっている。


───グン


「ひゃ!?」


 お腹の中で何かが転がった。私の体なのに、勝手に動いた。


「どうしたの?」

「えっ、その、お腹が」

「痛い?」

「い、痛くない、けど」


 というか、何だこのお腹は。大きい。太ってるような感じじゃなく、張りがあって圧迫感があって……そして動く………まさか……


「ごめん、花恵さん、後にしよう。降りれる?」

「へっ!?」


 急に、だけど優しく落ち着いた声で。駆馬くんはドアを開けて路上に出ると、私の方のドアを開けて、手を差し出してくれた。


「ゆっくりでいいからね」

「あ、う、うん」


 この白黒の世界に来て、分からない事がどんどん増えてばかり。だけど、やっぱり駆馬くんは、夢の世界の存在であろうと関係ない。笑顔で私に寄り添ってくれる。

 私は、ひとまず駆馬くんを信じて、言われた通りに降りる。

 立ってみると、よく分かる。想像以上にお腹が重く、重心が取りづらい。ただ車から降りるだけなのに、油断したら転んでしまいそうだ。

 駆馬くんの手や腕に掴まり、呼吸を整え、ゆっくり時間をかけて、何とか立ち上がる。駆馬くん、鍛えているのかな。安心して掴まっていられるし、全然ふらつく事なく立てた。


「ちょっと歩くよ。頑張って」


 なんて考えて腕を見ていた私は、駆馬くんに手を引かれて、その言葉の意味を遅れて理解した。


「え、歩く? 車はどうするの?」

「いいんだ。さ、行こう」


 そう言って駆馬くんは優しく微笑んで手を引く。信号待ちの車の間を迷いなく進んでいく。足取りの遅い私が転びそうにならない絶妙な速さで。

 そうして歩道にたどり着くと……駆馬くんは私に振り返って。


「ちょっと動かないでね」


 駆馬くんは前からギュッと抱き締めてくれた。抱き締めながら、両手で私の耳を塞いで。


「ちょ、急にどうしたの!?」


 訳の分からない事の連続に慌ててしまうが、駆馬くんは慌てていない。堂々としている。何か意味があるんだなと体で感じると、私の心は穏やかになって───



───ガシァアアアアアア



 激しい衝突音。

 アスファルトの地面が揺れる。

 抱擁を離して見ると、トラックが車の列に突っ込んでいた。その位置は、さっきまで私と駆馬くんが乗っていた車で、くしゃくしゃに潰れている。

 あのまま乗っていたら、私たちも……


「もう大丈夫」


 横から優しい抱擁。頭が撫でられる。震えが和らぐ。


「さあ、帰ろう」


 駆馬くんは、こんな状況でも変わらず優しく微笑んで私の手を取り、少し先に止まっているタクシーへと私を誘導した。

 もう、何がなんだか分からない事ばかりだけど、今ので改めて分かった。

 出産で死ぬ未来ではなく、出産する前にあれで死ぬ。ここは、そんな未来が見られる世界なんだ。




◇◇◇◇◇




 タクシーが止まる。たどり着いたのは、レンガが整列して綺麗なエントランスのマンション。エレベーターがあって、今の私でも移動しやすい。

 そうして、駆馬くんが慣れた手付きで鍵を開け、部屋に入る。

 白い壁紙、磨かれたフローリングが綺麗な部屋。物が片付けられていて、足元を気にせず歩けそうだ。


「何か飲む?」


 リビングの椅子に腰掛ける私に、駆馬くんがキッチンに立って言う。


「黒豆茶? それともコーンスープ?」

「じゃあ……コーンスープ」

「おっけー」


 ポットに水を入れたり、付き合っていた時に買った懐かしいマグカップを用意したり。そんなテキパキ動く駆馬くんを、私はぼんやりと見て……マグカップを置いてくれた時に、駆馬くんの左手薬指に指輪が付いているのが見えた。そして、私の左手薬指には……。


「指輪、無い」

「え? どうしたの急に」

「駆馬くんは付けてるのに」


 すると、駆馬くんが、玄関の方へ行って、戻ってきた。その手には小さな箱が。


「玄関にあるよ」


 箱の中に、小さく透明な石が光る、銀色の指輪が。


「妊娠して、指がきつくなったもんね」

「……そう、なんだね」


 聞いて、ホッとした。無くしてはいなかった。


「ほら、見て。僕のは傷が付いてるけど、花恵さんのは綺麗だよ」


 見比べてよく見ると、確かに光沢が違う。


「花恵さん、お仕事の時は外してるもんね。衛生面もそうだけど、綺麗にしていたいって」

「……そっか」


 きっと、未来の私は、パン屋の仕事に行く時に玄関に指輪を置いていって、帰ってきたら付ける。今聞いても、違和感は無い。

 パン屋も、プライベートも、どちらも充実した、そんな毎日を、私は過ごすのだろう。


「……そっかぁ」


 指輪を付いていないその左手を、お腹の上にポンと置きながら、思う。

 駆馬くんと結婚すると、こんなにも満たされるんだ。


「またパン屋を再開したら、檜並さんに一番に教えないとね」

「え、知ってるの?」

「……うん。道端ですれ違う度に言われてるよ、ははは」


 駆馬くんが笑う。

 きっと誠実な檜並さんは、私が駆馬くんと結婚した後も、変わらずパンを買いに通ってくれるのだろう。

 そんなパン屋が休業中。その理由は……


「私たちの子が元気に産まれて、落ち着いたら、ね」


 未来のお腹には、私と駆馬くんの子どもがいる。

 駆馬くんが、嬉しそうに見つめている。

 私も、嬉しい気持ちは確かにある。けれど、それより他の気持ちが大きくて素直に喜べない。私は、この子を産む時に───


「……」


 我に返る。返ってしまった。

 指輪と、お腹で元気に動く命と、駆馬くんと過ごせる空間が、あまりにも幸せで心地良くて、ここに来た目的を忘れてしまっていた。

 ここは白黒の世界。夢の中。

 私は、駆馬くんが眠り続けて未来の世界に入り続けている原因を見つけて、駆馬くんを幸せにする為に来たんだ。


「ねぇ、駆馬くん」

「んー? 何?」


 私は飲まずに、駆馬くんを見る。マグカップを冷まそうと息をかけている。


「駆馬くんはどうして、2ヶ月眠ったままなの?」

「……」


 駆馬くんが固まる。飲もうする寸前のマグカップを持ったまま、目が合う。口元はマグカップで見えない。


「花恵さん、今、何歳?」

「22」

「そっか。ふふ、同い年だ」


 ゆっくりとマグカップを置いて、小さく笑って……。


「久しぶりだね」


 さっきよりも嬉しそうな目尻で、駆馬くんはにっこり笑った。


「さっきから気になってたんだ。指輪の場所が分からなかったり、檜並さんと僕の面識を知らなかったり。でも、ようやく分かったよ。花恵さんもこの世界に来れたんだね。どうやったの?」

「駆馬くんの左の薬指をおでこに当てて眠ったよ」

「へぇ……そんな事も……知らなかった。それで? 花恵さんは僕が心配になったの?」

「うん。私だけが幸せになって、駆馬くんが不幸になるのが、どうしても見過ごせなくて」

「わざわざありがとう。でも、僕は大丈夫。幸せだよ。だって───」


 駆馬くんの、目の色に、光が消えた。


「この夢をずっと繰り返し見ているから」

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