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21話 これで、いいのかな

 それから私は、パパとバァバにも話した。

彼が、私の命を幾度となく守ってくれた事も。10年後を守るために別れる決断をしてくれた事も。

 すると、2人とも驚いたけれど、すぐに理解してくれて、バァバは私を抱きしめて、パパは頭を撫でてくれた。

 「つらかったね」「何もしてやれなくてごめんね」と、バァバは何度も囁いてくれた。何で? そんな事ない。バァバは彼と私を見守ってくれた。お見合いしようかと冗談交じりに言って、彼を信頼してくれた。だからバァバは何も悪くない。誰も悪くなんて思ってない。本当に、こうするしか無かっただけ。分かっているのに。返してあげられる言葉が出なかった。

 パパは、「生きてくれ」と一言だけ、苦しそうに言った。パパはきっと、同じ理由で亡くなったママを思い出していると思う。だって、自分が苦しそうなのに、私を撫でるこの手がふわりふわりと優しいから。この優しい感じは、時折見る。ジグソーパズルを完成させた後に撫でている時は、特にそう。ママに長く生きてほしかったと思っているのは、もう充分すぎるくらい私にも分かる。ママと私、2人とも亡くす事になれば……想像しただけで胸が苦しい。

 私が出来る事は、バァバとパパにこれ以上心配をかけないくらい、強く、長く、生きる事。

 それは、彼も、望む事だから。

 ……。

 それからも、月日だけが流れていく。

 彼とは、別れた関係を維持した。

 学校の授業で共同作業をする時くらいは、クラスメイトとして会話をするようにした。その時でも、私は、彼の目を見ないようにした。見ると、彼と私が名前で呼び合っていたあの頃を思い出してしまうから。

 ……。

 そうして、月日は流れ流れて。

 高校3年生になって、クラス替えで別々のクラスになった。接点は、廊下ですれ違う時くらい。やっぱり目を合わせない。挨拶もしない。本当に、すれ違うだけになり、出会う前の1年生の頃の距離感になった。

 そうして、木の葉が舞い落ちて。梅の花がピンク色に祝福する、高校の卒業式が終わって。みんな、写真を撮ったり、親と帰ったりして。彼も、ママさんと合流していて。彼とすれ違える日は、その日で最後。それでも私は話し掛ける事はおろか、目を見る事もなくて。最後にお話がしたい。でも、何から話そうか。ありがとう……ごめんね……高卒で就職するらしいけどどこ行くの? 引っ越す? 遠くに行っちゃう? ……全部伝えたいのに、散らかったままで。

 あと1日だけでも。なんて思っている間に、彼はそこに居なくて。探しても、探しても、もう後ろ姿すら見つける事が出来なかった。

 ……。

 それから私は製菓専門学校を2年通い、無事に卒業。

 自宅から少し距離のある空き家でパン屋をオープンした。実家で続けていた配達サービスも継続して、多くのお客さんに歓迎されながらのスタート。良い滑り出しをした。

 ……。

 そうして仕事に追われて、1年が経った今。

 気付けば、私は22歳になっていた。




◇◇◇◇◇




「ふぅ」


 厨房で、今日の仕込みを一通り済ませ、一息ついた午後。外では高校生くらいの女の子たちの楽しそうな話し声が聞こえる。私も昔はあんな感じだったなぁ、なんて懐かしく思えた。

 文実ちゃんや鈴子ちゃん以外にも、クラスのみんなとは、少なくなったけれど今でも連絡はしている。中には恋人がいたり、早い人だと結婚の準備をしていたり。その手の話を聞いて自分も早く欲しいなと元気よく言う子もいる。

 ……そういう反応になるのが普通なんだろうと、よく思う。

 でも、私は、早く欲しいなと思った事がない。思う事が出来ないと言えば正しいと思う。彼とは違う人を好きになる人生を、理屈では分かっている。なのに、一歩も動けていない。

 はぁ……と、さっきよりも重いため息が、今日も出る。


───カラン


 いけない、お客さんだ。

 お面を付けるように、私は気持ちに蓋をして、営業スマイルに切り替えた。


「いらっしゃいませ」


 高い身長の同い年くらいの男性が、軽く会釈してくれた。刈り上げの髪にスーツ姿。仕事終わりなのだろう。素肌の見える首筋から鍛えられた質感のある筋肉がチラリと見える。……って、良くないと思っていても、つい見てしまう。


「カードで」

「ありがとうございます」


 あんパンとチョコクロワッサンのお買い上げ。トレーから袋に移していく間、その人は照れるように笑った。


「どうしました?」

「ああ、その……実は、通りがかりで来たんですけど、良い香りにつられて入ったんですよ。訓練された警察犬の方がお利口だなって思えまして。ははは」


 照れながら頭の後ろに手を当てて、清々しく打ち明けてその人は笑う。何とも自分に正直な人だ。


「そうでしたか。お気に召して頂けたら嬉しいです」

「ええ、頂きます」


 袋を渡し、その人は嬉しそうに白い歯を見せ、お店を後にした。


「ふふん」


 静かになったお店で一人、小さく喜びを噛み締める。

 良い香りだと言ってくれた。頑張ってイチから焼き上げた自分のパンを受け入れてもらえるのは、どんなにこの業界を昔から続けていても、やっぱり嬉しく思う。


───カラン


「いらっしゃ……」


 また開いた扉の方を見ると、そこには、ついさっき出たばかりの刈り上げの男性だった。


「また、来ちゃいました」

「何か忘れ物ですか?」

「いえ、その……おかわりを」

「え?」

「おかわりをしたくて来ました! さっき外で1口食べたら止まらなくて!」

「2つとも?」

「はい!」

「ペロリと?」

「はい! 一瞬でした! ははは!」


 そう言って豪快に照れ笑いをするその人の口元をよく見ると、クロワッサンの小さな欠片が。見ていないのに食べっぷりが簡単に想像ついてしまって。


「ふふ。良かったです」


 ポロッと笑みが出た。


「はい! なので、また買います!」


 そう言って、その人はトレーを置く。そこには、さっきと同じあんパンとチョコクロワッサン、そして追加でバニラメロンパンがあった。


「夜ご飯食べれなく……」


 言っている途中で、食べ物を売る店員として余計な事を言ってしまったと気付く。

 しかし、その人は笑い飛ばしてくれた。


「はははは! 大丈夫! 筋トレめっちゃしてますから! むしろ、筋トレしてるお陰でお腹いっぱい食べられてますから!」

「ふっ、ふふふ」


 おかしな理由に、さっきよりも多く笑いが出てきた。


「あはは! 店員さん、良い笑顔!」

「えっ? そ、そんなに?」

「はい! とっても! 美しいです!」

「……」


 懐かしい。

 人から笑顔を褒められるなんて、いつぶりだろう。あの頃は、まだ笑えていた。でも、別れてから、周りの家族や友達に心配されないよう、いつでも作り笑いの出来るお面を付けていた。一人でも強く生きなきゃと思って、高校も専門学校も起業も頑張ってきた。

 でも本当は、全然強くなれなくて。笑顔になれるような心の底から嬉しい事や、彼以外に私を笑顔にさせてくれる人が本当に現れるのかと、不安で不安で仕方なかった。

 ……さっきまでは。


「あの」

「あ、はい、何ですか?」


 大きく息を吸う。

 この心の温かさをくれた、この人に、精一杯のありがとうの気持ちを込めて、その透き通った目を見て、伝えた。


「また、会えますか?」

「っ……はい。また、必ず」

「待ってます」

「ええ」




◇◇◇◇◇




 それから、その人が来てくれる度、少しずつお話を聞けた。

 名前は、檜並(ひなみ)(さとし)さん。私の1つ上の23歳。身長188。お仕事は警察官で、白バイ隊員としてパトロールしている。待機中に筋トレをしていたり、休日は海でサーフィンをしていて、それでよくお腹を空かせているんだとか。


───カラン


「こんにちは!」

「こんにちは」


 今日も、清々しい晴れの日のような明るい笑顔に、私は暖かさを貰ってしまった。

 檜並さんと知り合ってから、ここ1ヶ月、今日も会えるかなと楽しみにしている自分がいる。パンを買ってくれるのは勿論嬉しいけど、別に買ってくれなくてもいいから、その元気な姿を見たい……なんて、すごくワガママな事は心の中に仕舞って、今日も買ってくれたパンを袋に詰めて手渡していく。


「あ、あ、あの!」

「はい?」


 檜並さんが、私の密かな願いの通りに立ち止まって、視線を泳がせ、何やら言葉を詰まらせている。


「天羽さんが良かったら、ですけど!」

「はい」

「ぜ、全然、断ってもらっても、全然大丈夫ですけど!」

「……」

「あ、明後日、そちらの定休日、天羽さんのご都合が良かったら、ですけど!」

「……何でしょう?」


 檜並さんがカチコチに緊張していて、なかなか話が進まないけれど、そんな反応も珍しくて可愛いと思って見ている、そんな時。


「一緒に、プールに、行きませんか?」


 頬を赤く染めて、檜並さんが、言い切った。間違いなく、紛れもなく、デートに誘ってくれた。

 プール。水着どうしよう。高校のスク水くらいしか無いし、買いに行く時間があるとすれば今日か明日の仕事終わりだから、良さげなのが置いてあって遅くまで空いてるお店が……まずはトヨカドかなぁ。


「あ、あの!」


 と、予定を考えていると、檜並さんは申し訳無さそうに眉を八の字にして頭を下げた。


「全然、誰かお付き合いしている方がいらっしゃるのであれば、断って頂いて構いません! ただ、今後とも今まで通りパンを買わせて頂けますと幸いです!」

「いません」

「えっ!?」

「お付き合いしている方は、今は、いません」

「はっ!? 失礼な事を聞いて申し訳ありません!」

「え? あ、いえ、大丈夫です。そういうんじゃなくて、さっきはただ、水着をいつどこで買おうか考えてただけで」

「え、あ、そうでしたか! ははははは! すごい真剣でしたから、てっきり!」


 言われてみれば、確かにそうだ。断るかどうかを考える事なく、水着をどうしようか考えていた。私自身、檜並さんとプライベートな時間でデートに行く事や、水着とはいえ素肌を見せる事に、拒否反応は無い。

 ……。

 これは、つまり、そういう事なんだ。

 楽しみなんだ。嬉しいんだ。檜並さんの笑顔をもっと見れる事が。


「ふふ、ふふふふふ」

「天羽さん?」


 おかしさと嬉しさで心が賑やかになって、笑いが溢れてくる。

 ふと、目が合う。檜並さんのキョトンとした目を見て、私はゆっくりと頷いた。


「行きましょう、一緒に」




◇◇◇◇◇




 朝。

 昨夜に降った雨は過ぎ去り、朝日が眩しい。リボン付きの麦わら帽子を被ってきて正解だった。シュシュで髪を纏めたお陰で首元に風が吹き抜けている。

 自宅からパン屋まで少しだけ歩く道路のあちこちで、朝日を反射する水溜まりを、私は敢えてジャンプして飛び越える。今日はスカートではなく動きやすいデニムパンツで、上は肌触りの良いリネンシャツだからだろう。いつもより体が軽く、心が躍っていて、何でもない所でも遊びたくなる。

 今日は、檜並さんとのデートの日。


「あっ! 天羽さーん!」

「檜並さん!」


 パン屋の前で待ち合わせの約束をしていた。早めに出た私よりも、檜並さんは先に着いていたようだ。ピカピカに磨かれた車の前で、檜並さんは手を振って、今日もお日様のように爽やかに笑う。

 服装は、上が白色のビッグシルエットTシャツで、肩幅がゆったりと大きめ。でも、胸板や腕から筋肉の厚さは変わらず見える。

 下は、黒色のスキニーパンツ。細く引き絞られたシルエットで、いつもより足が長く見える。

 もう少しじっくり見ていたいけど、デートが始まらないから、後でいっぱいチラ見しよう。


「遅くなりました」

「いえ、自分が早すぎました。朝からスッキリ起きれたので」

「ふふ、そんなに楽しみなんですね」

「はいっ! とっても!」


 恥ずかしさもありながら、隠さず正直に豪快に言ってくれる。つられて私も笑顔になった。




◇◇◇◇◇




 それから私は檜並さんの車に乗せてもらい、高速道路で1時間くらいの所にある、巨大なプールへ。学生だと行くのが困難な所でも、すんなりと来れる。デートの範囲が広がり、大人ってすごいんだなぁと改めて実感した。

 それでも、やっぱり、水着に着替え終えて更衣室を出ると、童心が湧き上がる。

 目の前に広がる大勢の楽しそうな歓声、海と見間違える波打つプール、巨大なバケツが上からひっくり返って滝のように水を落として水しぶきで真っ白に染める所も歓声が一際聞こえる。

 人混みが想像以上で、いくら背が高くても檜並さんを見つけられそうにない。


「天羽さん!」


 檜並さんの声が後ろから聞こえた。振り向くと───


「っ!」


 思わず呼吸を忘れて見入ってしまった。

 肌は小麦色に焼け、肩や胸の筋肉が盛り上がっている。腕は血管が浮き上がっていて、影になっている。腹筋は前も横も割れていて厚みがある。水着はシンプルにツヤのある純黒の海パン。足の方も……太い。


「天羽さん、似合ってます!」

「えっ、あ、あり、がとうございます」


 筋肉美に見入っていた私は、檜並さんが白い歯で笑って褒めてくれた事に、少し遅れて反応してしまった。

 そう、水着は、ビキニにした。白地に桃色のストライプ。胸下部分に大きなリボンとフリルが付いているデザイン。髪は後ろでお団子にしてある。

 可愛い水着を選んだし、見て貰えた。でも、嫌らしい視線は感じない。むしろ私の方がジロジロ見過ぎている。これでは檜並さんに失礼だ。


「あれ、行きたいです!」

「良いですね! 勇気がありますね!」


 私は、檜並さんの筋肉美に敢えてコメントしないで上の方を指差し、檜並さんの手を引いた。

 勇気がありますね、という檜並さんの言葉に疑問に思いながらそこへ向かい、遅れて気付く。指差した所にあったのは、垂直に落ちるウォータースライダーだった。そして、誰かが滑り、「嫌だあああ」と、悲鳴のような叫びをあげ、滑るというより落ちていくのを見てしまった。




◇◇◇◇◇




 そうして、人混みを掻い潜り、ウォータースライダーへと続く階段に到着してしまった。


「うおおおワクワクしてきたあああ!」


 檜並さんは、たまたま楽しみにしてくれているけれど、もしそうじゃなかったら引かれていた。初デートで大失態をする所だった。

 それと、私としては、ちょっと心の準備がしたい。久しぶりのプールで水に慣れてないし。でも、言い出したのは私だし、檜並さんがこんなに楽しみにしてるから、今更引き返せない。


「次の方どうぞ!」


 なんて考えていると、ウォータースライダーの順番待ちが進み、乗り口が見えてくる。係員の人が説明をしてくれていた。

 それによると、ここは60度の傾斜度で急降下するウォータースライダー。最高速度約60キロ。23mの高さから一気に滑りきる直線コース。身体がふわりと浮く……らしい。


「さぁさぁ! 引き返すなら今です!」

「天羽さん、怖い?」


 もちろん怖い。でも、いざ目の前にしても、体は震えていないし、心臓も普段通りのリズムで、引き返すほどの怖さではないと感じる。

 何となく、分かった。私は、もっともっと死と隣り合わせの経験をしてきたからだ。信号機が倒れてきたり、通り魔にナイフで首を狙われた時と比べたら、これくらいの怖さは平気なんだ。

 ならば、このスリルを楽しもう。そう思って、私は檜並さんに微笑んだ。


「平気です」

「なっ! そ、そんな笑顔で……あの、良かったら自分、先に滑っていいでしょうか!?」


 慌てたように、檜並さんが提案してきた。


「構いませんけど、どうかしたんですか?」

「自分、先に下に行って、天羽さんが楽しそうにしている所を、この目で見たくなりました!」

「ふふ、ふふふふ。そうなんですね」


 檜並さんが可愛いと思えて、笑ってしまう。この人は、私と過ごす時間の一瞬一瞬を大切にしてくれるんだ。

 そんな檜並さんの楽しむ表情も、私は見たくなった。


「じゃあ、今回は檜並さんに譲ります。次は、私から先に滑りたいです」

「えっ!?」

「私も、見たいので」

「っ……は、はい! また滑りましょう!」


 互いに微笑み合い、檜並さんは係員の誘導で、ウォータースライダーを躊躇なく滑っていく。


「ふぉおおおおおおお!」


 檜並さんらしい、気分爽快な大声が聞こえた。

 次は、私。

 檜並さんが、下で待っている。

 私も、止まる事なく、座ってすぐ落ちていった。


「ああああっわああああっはははははははは!」


───ザパアアアアアアアア


 無重力な感じと、水と一緒に落ちる感覚。一瞬のうちにスライダーの下のプールへと着水。派手に水を弾け飛ばし、私は目に掛かった水を手で拭う。

 目を開けると、檜並さんが、目の前に来て───


「天羽さんっ!」


 私を、抱き締めた。


「え、あの」

「すみません、こうするしかないので」

「ど、どういう」

「水着が取れてます」

「えっ!?」


 言われてみれば、確かに、右手の辺りにビキニの紐が長く垂れている。という事は、檜並さんが抱き締めて隠してくれなかったら、私は大勢の人たちに裸を晒す事になっていたんだ。

 恥ずかしい。顔が火照っているのが容易に感じるほどに。縮こまって固まってしまう。


「大丈夫です。もう少しで、人目につかない場所がありますんで」


 でも、檜並さんはそう言って、抱き締めたままプールを歩いていく。

 温かい。体もだけど、心も。包み込んで、守ってくれている。不安な気持ちがどんどん消えていって。

 檜並さんの存在感が、私の中で大きくなっていった。




◇◇◇◇◇




 その後、プールを楽しんだ私たち2人は、すぐ近くの花畑に行った。日が沈みかけ、風が涼しくなり、疲れもあって、その一角にある足湯を見つけた私たちは2人で浸かる。


「温まりますね」

「はい」


 檜並さんから肩を寄せてきて、腕が触れ合う。私も、檜並さんの腕にもっと触れ合えるよう、ほんの少しの隙間を埋める。

 足も、腕も、心も。温かい。

 檜並さんと出会ってから、笑顔を忘れていた私は、自分らしく笑えるようになってきていると感じる。こんなに優しくて頼りがいがあって、一緒にいて安心感をくれる檜並さんに、もらってばかりだ。この温かさの、ありがとうの気持ちを伝えていきたい。私からも支えてあげたい。そうして互いが互いにありがとうを伝え合っていって、いつかきっと、彼のように、かけがえの無い存在になっていくのだろう。彼のように……。


「天羽さん」


 ふと、呼ばれる。寄り添い合ったまま、目と目が合う。真剣に、頬を染めて───


「俺と、結婚を前提に、付き合って下さい」


 檜並さんからの、プロポーズ。

 未来を支え合い、笑い合い、共に過ごしていく、唯一で特別な関係性。

 結婚、するんだ、私は。この人と。

 ああ、やっぱりなんだ。ここから、彼が教えてくれた幸せな未来が始まろうとしているんだ。彼の言っていた通りに、私は幸せに……。

 ……幸せに。


「あの……少し、心の準備で、時間が欲しいです」

「えっ……だ、駄目でしょうか」

「そうじゃないです。すごく、嬉しいです」

「っ! じゃあ、でも、何で……」

「その……結婚について報告したい人がいるんです。その後で、お返事を」


 私の目を見て、檜並さんは頷き。


「分かりました。いつでも、待ちます!」


 前向きな検討というのが伝わったようで。檜並さんは笑ってくれた。




◇◇◇◇◇




 翌朝、心にぽっかりと穴が空いたような気分は、寝ても覚めても埋まらない。

 彼は、今でも好き。一番大好き。忘れたいだなんて思った事は無い。

 けれど、忘れないと、私も彼も幸せになれない。

 そんな毎日で、大人になったのに。

 檜並さんと出会ってから、忘れなきゃ忘れなきゃって考えすら頭から消えていて。

 彼と私の繋がりが、本当に消えてしまいそうな、その一歩手前まで来ているのだと感じたら、余計に思い出してしまって。

 これで、いいのかな。

 そんな後悔に埋もれてしまっている。


「はぁ」


 一人でどれだけ歩いても、何度目かのため息が止まない。

 本当なら、すぐにでも、宜しくお願いしますと言いたかったし、その後ももう少し一緒にいられる所でデートの続きもしたかった。  

 でも、脳裏に浮かんだのが、彼。別れてから、今でも、ずっと話したいと思っていた。この先の私たち2人の未来が決まるこのタイミングが、最後の最後に話せるチャンス。


「ねぇ。駆馬くん。私は、他の人を……檜並さんを好きになって、本当に結婚しても良いのかな。駆馬くんは今、幸せ? 私じゃない他の人を好きになってる? ねぇ、駆馬くん」

 

 疑問の嵐が止まらなくなった、そんな時、ふと見上げる。

 当時と変わらない彼の家に、私は到着した。

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