19話 彼女に、なる
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『花恵さんの寿命が見える』
これで何度目だろうか。
そう聞かされた未来の話が、何度も頭の中をぐるぐるしている。
『26歳で、僕と結婚して、僕との間に出来た子どもを出産する時に、弛緩出血で亡くなる』
26歳で、死ぬ。それより先を生きられない。生まれてくる子どもと、長い時間を共に出来ない。まるで、ママと私が引き裂かれたのと同じように、子どもにも悲しみを抱かせてしまう。
でも、それは産めばの話。産まなければ私は死なない。でも、それはただひたすら悲しい選択だ。
「どっちも……やだよ」
もう涙は出尽くした。枯れた目は、ただ潤むだけ。
もう何も考えたくないと、枕に願い、私は瞳を閉じた。
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「天羽花恵」
何だろう……去年の担任の先生の声が聞こえた。
いつの間にか、視界いっぱいに体育館が広がっていた。壇上には紅白の布が掛かっている。これは、入学式?
「花恵ちゃん」
「え? あ、はいっ!」
とっさに立って返事をする。
「苺谷文実」
「はい」
私に気付かせてくれた隣の文実ちゃんも、続けて呼ばれて起立する。
ああ、そういう事なんだ。
これは、夢。
1年前、高校1年生の入学式の時の夢だ。懐かしい。まだ、中学までの友達しかいなくて、これから新しく友達になっていくんだ。鈴子ちゃんとか……駆馬くんとも。
そういえば、私たちは1年生の頃は違うクラスだった。だから、まだ、私たちは出会ってなくて。出会うのは、たしか、1ヶ月くらい経った頃、学校の階段の踊り場───
「……え」
急に、景色が階段の踊り場に変わった。
夢ならこんな事もよくある、か。
「あっ、ごめん」
ぼんやりしていると、駆馬くんが階段を登って私の前で止まった。駆馬くん、緊張していて声が小さい。そう、最初はこんな感じに恥ずかしがり屋さんで、下を向きがちだった。髪型は丸みのあるマッシュヘアで、俯くと目元が隠れてしまう長さ。
第一印象で私は、この人は緊張していて、何か急いでるけれど言葉にするのが苦手な人なのかと感じて、横にずれて先に行かせてあげようと思っていた。でも、そうならなかった。
「あっ」
「おっとと」
「ごめん」
「ううん、ごめんね」
「っ……えぇ」
「ご、ごめんね」
私が譲るために横に出した一歩と同じ方向に、駆馬くんも私に譲ろうとして、その横に出した一歩が同じタイミングで同じ方向で……それを一度じゃなくて何度も繰り返してしまった。
「ほんと、ごめん」
「だ、大丈夫」
そうしていたら、お互いに立ち止まって目を合わせていた。アイコンタクトで、相手側がどっちに行くかを見るために。
「……」
「……」
目と目を合わせながら、そのチャンスを待っていたけど、いつまで経ってもお互いに動けずにいた。
こうなれば言葉で譲るしかないと思った私は提案したんだ。
「お先どうぞ」
「ううん、どうぞ」
「私はいいから」
「いいよ、急いでないし」
「私も急いでない」
「それはそれで……困ったなぁ」
「……ふふっ、ふふふ! 何それ! ふっふふ!」
そんな事で真剣に困ってしまう様子に、私は思わず面白おかしくなって笑っていた。
駆馬くんは、申し訳ないと思っているような俯きがちな目で、でもチラっと私を見たら、口を少し開けて、この時ほんのりと頬が赤くなったのは、ちゃんと覚えているよ。
「ふふっ、またね!」
「あっ、う、うん」
そうして、私が軽く跳ねるようにすれ違って、初対面は終わった。
私はこの時に思った。また会いたいなって。
◇◇◇◇◇
それから1年、私たちは、たまに廊下ですれ違う度に挨拶をする仲になった。学校行事で接点が出来た訳でもなく、本当にたまに廊下で挨拶だけ。会話は特に無くて。私としては、目を見たり何気ない話とかをしてみたくて挨拶してたけど、駆馬くんはいつも目を見てくれなくて、声が小さくて。きっと誰かと話すのが苦手なんだなと当時の私は思って、あなたから挨拶してくれるまでこれ以上私から距離を詰めない方がいいと思っていた。
そうして翌年、2年生になって、同じクラスになったけど、私たちの関係性は変わらなくて。運命が変わったタイミングは、2年生になって1ヶ月後の放課後。ヤノノブにお買い物しようと向かっていた、あの時。もしかしたら私の人生は、そこで終わっていたかもしれなかった。
───バキッ
凄まじい金属音。無慈悲にも信号機が迫ってくる。
「天羽さんっ!」
信号機が重く鈍く爆ぜた。当初は、何が起こったのか分からなくて、頭がぐわんぐわんだった。ただ、無我夢中で駆馬くんの胸の中で縮こまる事しか出来なくて、怖さで震える手で力いっぱい駆馬くんの服を掴む事しか出来なかった。
そんな時に……。
「大丈夫。もう大丈夫」
駆馬くんが頭を撫でてくれた。
そして、不思議だった。どうしてこの人は、こんな状況でも冷静でいられて、こんなに優しくしてくれるのだろうかと。疑問が浮かんだけど言葉にする余裕は無かった。
「天羽さん。抱っこしてくよ。しっかり掴まって」
いわゆるお姫様抱っこをしてくれた。ふらつく事なく持ってくれて、意外と力があるんだと思った。落ちないように抱き着いて触れていた私の手や頬から、駆馬くんの脈打つ心臓の音が聞こえて、そして温かくて。私の心臓も、同じリズムに落ち着くようになって。ああ、私生きてるんだって、安心したんだよ。
それと同時に……いつの間にか、厚く引き締まった体を服の上から感じ取ろうとしていて、こんな状況で私は何を考えているんだと自分に驚きながらツッコミを入れた。でも、そんな事が出来るくらいには余裕が持てて、気付けば震えは治まっていた。
「天羽さん。大丈夫だよ。頑張ったね」
そうしている間に安全そうな民家に着いて、私を降ろしてくれた。
ああ。もうこれで終わってしまうのか。この体も、体温も。
寂しさを感じた私は、迷惑だと分かっていながら、もう少しだけと思って、手を離すどころか更に強くぎゅうううっと抱き締めてしまった。
その頃からだろう。私は、そんな駆馬くんを……自分勝手ながら欲しくなってしまった。心臓の音、引き締まった体、熱い体温を、もっともっと……素肌と素肌で感じ取りたいなんて、いつもなら考えないおかしな事を思ってしまった。だけど、そんな事をいきなりお願いするのは流石に困らせてしまうし嫌われると分かっていたから、気持ちに蓋をするようにした。
そんな事よりも。
まずやるべき事は、信号機から私を助けてくれたお礼をする事。そこだけに集中するようにして、あの現場から無事に帰れた私は、その時の一番の自信作の1口アップルパイを張り切って作った。
それを駆馬くんに食べてもらった時の事は今も鮮明に覚えている。
「これ、むっっちゃ美味しいよ」
そう言って駆馬くんは、とろけるような笑顔になって、何度も頷いて味わっていた。まるでカピバラざえもんのように口いっぱいに詰めて食べていて、それがすごく可愛くて……もっと見たいなって感じて。もっと、この人にお腹いっぱい食べさせてみたいと思っていたら、ママはきっとこんな気持ちでパパにパンを食べてもらっていたのかと繋がった。
そんな事を思っていると。
「また……一緒に……帰ろ?」
すごく嬉しい事を言ってもらえた。中々合わせてくれない目を合わせて、頬を紅潮させて、言ってくれた。
ああ、私は何て幸せなんだろうか。頼りがいがあって、力持ちで、優しくて、笑顔が可愛くて、口数が少ないけどここぞと言う時には決めてくれる、そんな素敵な男の子と、これから先も仲良くしていけるんだ。そんな想いで胸がいっぱいになった。
けど。
こんな私が、どんな笑顔で応えたらいいのだろうかと、自信が持てなかった。
◇◇◇◇◇
その後も、駆馬くんはさりげなく助けてくれた。危ない事が起きる事を一切感じさせずに。
「相合傘……して下さい」
片桐くんと文実ちゃんも含めた4人で帰る時に雨が降ってきた時、顔を真っ赤に染めて私に相合傘を誘ってくれた。
私は恥ずかしくて目を見れなくなって、お話も全然出来なくなって。ただ、傘を持つ手から、やっぱり温かいなって感じて。素肌と素肌が触れ合っていて。短かったけどすごく嬉しい時間だった。
カップルみたいって独り言を、最初はついポロッと声に出た。駆馬くんは、雨の音が強くて聞き取れていなくて。もう一回聞きたい駆馬くんのために、私はなるべく大きな声で言ってみたけど、丁度そのタイミングで濡れた路面を走る車のバシャバシャ音で聞き取れなくて。そしたら、駆馬くんが今度こそ聞き取れるように顔を向けて私の口の形を見ながら聞き取ろうとしてきた。流石にそこまでしてくれたら伝わる。
でも、3回目は言えなかった。
ああ……また、言えない。
私はいつも、そう。大事な時に気持ちに蓋をする。駆馬くんのような勇気が出ない。
好きと思えた人に好きと言えないし、むしろ距離を取ろうとしてしまう。
でも、その理由は分かっている。
それは、駆馬くんには言えない秘密で、文実ちゃんにしか打ち明けていない秘密。
私がママの真似をしているだけの人間だから。
駆馬くんと仲良くなる前も、笑顔が可愛いと告白された事が5回あった。でも、嬉しく感じなくて。別にあなたの為の笑顔じゃなくて、人を喜ばせる事をするママの真似をして、ママに見せたい笑顔を探していただけ。だから、私の笑顔の良い悪いを言えるのはママだけ……なんて捻くれた考えにもなった嫌な自分が、純粋な5人の人たちとお付き合いするのが申し訳なくて、お断りした。
ママに怒られちゃうな。
それでもいいから会いたいな。
私、ちゃんとした大人になれるかな。
そんな悩みの答えが、ママの好きなパンをどれだけ作っても、見つからなかった。
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駆馬くんが、私のパン屋の配達がしたいとも言ってくれた。きっとそれも、配達中に起こる何かから私を守るためなんだと今なら思うけど、その時はそんな事じゃない、むしろお断りする事を考えていた。その機会を伺って、バァバがお茶を用意してからの話し声に聞き耳を立てていた。
過去にも文実ちゃんや鈴子ちゃん、他にもたくさんの友達や、1年生の時に告白してくれたクラスの男子や先輩から、私を心配して提案してくれた事は何度もあった。けど、私としては、この手の話は一切断ってきた。皆、口を揃えて、大変でしょ? なんて言うんだけど、私は、このパン作りを苦に思っていないから。
最初は私が小さい頃、ママが残してくれたレシピ通りに作るのが楽しくてパン作りを始めた。小6くらいだと、もうレシピは全部覚えて、パパが喜ぶように、好みに合わせてアレンジを楽しんでいた。
「ママのパンみたいだ」
その一言が嬉しくて。
そうしてアレンジを重ねたパンを食べてみたい人が、バァバの友達繋がりでどんどん広まった。こんなにたくさんの人が喜ぶなら、将来の夢にしちゃおうかなって思って、パン屋さんを目指していった。
そうして多くの人のためにアレンジをしてる時に、いつも考えている事がある。
ママなら、この味は好みかな……。
ママなら、もっと上手に作るかな……。
ママなら、この仕上がりを褒めてくれるかな……。
なんて、もう死んじゃっているママとの会話が出来る唯一の時間を、私から奪わないで欲しい。そう思っていた。
その時までは。
「僕は、好きな事にまっすぐな天羽さんが、今でも充分笑顔ですけど、天羽さんにもっと笑顔になってほしい。だから、支えたいです。それさえ見れるなら、どんなに大変な仕事でも、どんなお給料でも、構いません」
はっきりと聞こえた時、私は考える事が止まった。
バイトの募集を何も出していないのに。もしかしたらお給料が低いかもしれないのに。駆馬くんは、私が今よりももっと笑顔になりたいのを応援してくれている。
そうだった。私は、多くの人の笑顔のためにパンを……パパやバァバの笑顔のためにも作っている。身の回りの大事な人の笑顔のために尽くしている。レシピを残してくれたママが私の笑顔のためにそうしてきたように、私もそうしてきた。それを、駆馬くんもしてくれている。
ふと、景色が浮かんだ。
キッチンに……私がいて、ママがいて、パパとバァバがいて、駆馬くんもいて、皆でパンを食べる景色が見えて。
未来が、あなた色に染まった。
そこからだった。私とママだけの秘密の会話に、駆馬くんもいたらもっと楽しいだろうなって思えたのは。
「天羽さん。天羽さんの笑顔を、もっと沢山見たい。だから、手伝わせて」
「……………………うん。ありがとう」
誰かに見せるためじゃない笑顔が不意に出た。変な口の形なんだろうと恥ずかしくなって、私は口元を手で覆った。
でも。そんな下手っぴな笑顔でも。
駆馬くんになら、見せていいんだと思えて。
駆馬くんとなら、もっと笑顔になっていける。そんな未来の景色が簡単に浮かんでくるから。
未来を考えるのが嬉しくて。
私は頷いたんだよ。
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それから駆馬くんはパンの配達をしてくれて。
一緒に梅次さんに会いに行って。ご飯が食べられない中、私のパンだけが食べる事が出来たと言ってもらえて。お腹を大事そうに摩っているのを見て。
ママに逢いたい……って願ってしまった。
でも、もうママはいない。ありがとうは届かないんだって思って、涙と一緒に色々な想いを引っ込めていた。
そんな時でも、駆馬くんは救ってくれた。
「ありがとうって、心の中だけで言うのは、なんて言うか我慢してるように見えるからさ。ママさんにありがとうって言いたくなったら、僕に話してよ。聞くよ」
ああ……駆馬くんは、どれほど私を幸せにしてくれるんだろう。ママに逢えない過去への悲しみよりも、私に寄り添って未来を歩いてくれる嬉しさが大きくなっていって、心の底から嬉しくなって……私は、心の中のママに、行ってくるね、そんな意味合いで手を振る事が出来た。大きな一歩を踏み出せた。
そう思って駆馬くんの方を見ると。駆馬くんは顔を赤くしていた。照れ笑いをしないように頑張って堪えているのに、目を逸らさないで見てくれる。
ここからだった。
私を笑顔にしてくれる駆馬くんの笑顔を、もっと見たい。駆馬くんと目をもっと合わせていたい。私は、駆馬くんへの恋心を、駆馬くんのように行動で伝えていきたいと、この時はっきり決意した。
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まず、何をすればいいのだろう。
そんな疑問を、私は文実ちゃんと鈴子ちゃんに話した。当時の私は、恋をする事が初めてで、駆馬くんの笑顔を見るために何をしたらいいかを相談した。
「じゃあ、皆で一緒に服を選ぼう! 石上くんに見せてあげたら見蕩れてくれるよ〜」
最後の方にニヤニヤしながら言った鈴子ちゃんの助言を参考にして、私は流行りのファッション誌を読んだりした。いつもは、ただ自分が可愛いと思うコーデを考えていたけれど、その時からは、駆馬くんに気に入ってもらいたい、見て欲しい、可愛いって言ってもらいたい、そんな事ばかり考えていた。
そうして、3人の予定の合う約束の日を心待ちにしていた、その時だった。
「一緒に、行く?」
顔を赤くしながら、駆馬くんから、カピバラざえもんフェアに誘われた。デートのお誘いだとはっきり分かった私は、喜んで頷いた。
「じゃあ。再来週の……13日後は、どうかな。丁度、パン屋も休みだし」
その日は女子3人で約束した日。
当時はただの偶然と思っていたけど、あれは、守ってくれようとしたんだよね。
火事から、私を。
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小火騒ぎで済んだ翌日も、私は覚えている。
駆馬くんが、文実ちゃんと仲良くなった。
授業中だったり、廊下ですれ違うたびに、文実ちゃんの方から駆馬くんへ、無表情だけどしっかり目を見て。時々だけど、駆馬くんも目を見て……そのたびに微笑んでいた。アイコンタクトで元気だよと伝えているような、当人同士じゃないと分からない会話みたいな、そんな感じ。
私とは一年掛かったのに、文実ちゃんとはすぐ目を見れるようになったんだな〜。
なんて意地悪な気持ちになったけど、でも、私と片桐くん含めた計4人でクレープを食べたり私の家でパンの試食とか宿題をしていた時も、ごく普通の友達としての距離感だった。
だけど。
「苺谷さん」
私の名前を呼ぶ時によく噛んでいた駆馬くんが、ふとした時に文実ちゃんの名前を呼ぶ時、噛む所を私は一度も聞いた事がない。元々ちょっと長い名前なのに噛まない。これはつまり、私の知らない所で文実ちゃんの名前を呼んでいたり、電話したり、2人でこっそり遊んでいるんだと嫌でも思ってしまった。
だから私は駆馬くんに、文実ちゃんと2人で遊んだ事あるのか、それとなく聞いてみた。すると……
「え? 苺谷さんと? いや、それは、ない、よ?」
ほら、何か隠してる。最近やっと目を見て話してくれるようになったのに、そらした。
当時、そんな感じに疑っちゃって。
だから、文実ちゃんにも聞かずにはいられなくて。
駆馬くんの事が好きなのか、直接聞いてみた。すると……
「それは……石上くんの気持ちが大事だから」
否定しないその意味深な一言に、この時の私は、焦りと……寂しさで、震えてしまった。文実ちゃんに駆馬くんを取られちゃうと思ってしまった。
……だから私は、決意した。トヨカドのレディスショップで流行りの白色バケットハットを持って、鏡の前の自分に、こう言った。
「彼女に、なる」




