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17話 僕のせいで花恵さんが死ぬ

 やばい。ついさっきした純白な妄想を思い出した。もう見慣れてるはずの可愛い顔を見られない。見ると恥ずかしさが込み上げて顔が熱くなってくる。


「ごめん、起こしちゃった?」

「ううん、大丈夫」

「そっか……良かった」


 しかし、その話し声の小ささから、ふと気付いた。いつも真っ直ぐに整っている栗色の長い髪の毛先が乱れている。目元は赤く腫れている。昨日たくさん泣いて、声を張れないほど疲弊しているのだろう事は容易に想像がついた。


「……」

「……」


 僕らは、見つめあった。どんな言葉よりも、その目を見る方が何倍も、お互いの身を案じられるから。

 その目は、僕の右目の辺りを向いている。ぐるぐる巻きの包帯を見て、言葉を失っているのだろう。

 だから僕は、今出来うる最大限の笑顔で、元気である事を目で伝える。

 しかし、花恵さんの表情は晴れない。じっと、僕の顔や両手を見て……俯いてしまった。


「ごめんね、昨日のを思い出しちゃった。守ってくれて嬉しかったけど……やっぱり、駆馬くんが傷付くのは嫌だよ」


 花恵さんが、俯いたまま呟く。

 僕にとっては誰も死ななくて良かったと満足する現状でも、花恵さんは違うようだ。確かに、今でも左手は常に激痛、左手ほどじゃないが他の部分も痛い。こんなに痛々しい思いをしてほしくない、花恵さんはそう言いたいんだ。


「花恵さん。そんなに考えさせちゃって、ごめんね」

「ごめんだなんて、駆馬くんは何も悪くないよ! 私が、気にし過ぎただけだから」


 ごめん、ではないか。じゃあ、ここで伝えるべき安心する事は何だろう……。


「あっ、ごめんね急に。こんな話をしたい訳じゃなくてね、早く治ってほしいって思って、こんなの作ってきたの」


 そう言って、花恵さんは透明のタッパーを見せてきた。その中には、色とりどりの1口サイズの丸い物が入っている。


「ドーナツ作ってみたよ! 玄米とお豆腐で作ったから栄養満点でふわふわだよ! 味付けは5種類あってね、チョコ、抹茶、黒ごま、かぼちゃ、オレンジ! 良かったら食べて!」

「す、すごいね。どれも美味しそう。こんなすごいのを作ってくれたんだね」

「そうだよ! だから、ちょっと来るのが遅れちゃった。えへへ」


 1日で。昨日の今日だし、相当寝不足なのに。僕に、治って欲しい一心で。

 まだ食べてないのに、もう心が温かさで満たされた。


「ありがとう。じゃあ、頂きます」

「あ、待って」


 まだ動かせる右手で爪楊枝を取ろうとすると、花恵さんがそれを取った。まさか……


「取りづらいでしょ。食べさせてあげるね。はい」

「!?」


 いわゆる、恋人同士でやる、あーんというアレだ。僕らは恋人なんだし、やっても不自然ではないのだが、花恵さんがにっこりと優しい笑顔で、治ってほしいという真心を込めた手作りの物をくれるのだから、嬉しさと恥ずかしさが限界突破して僕の心臓がドッキンドッキンバックンバックンしている。治るどころか逆に召されそうだ。


「じゃあ……頂きます」


───ほふ


 何だ、この口当たりの柔らかさは。歯で噛むより前に、唇で噛めてしまった。ほろほろに崩れるけど、パサついていない。水を挟まなくても飲みこめる。

 それに何より、美味しい。玄米の優しい甘さと、チョコレート味の渋い甘さが、絶妙なバランスだ。何度も噛んで味わいたいと思える。


「めっちゃ美味しいよ」

「本当!? 良かった!」

「うん。玄米の甘さと、チョコの苦味が、良い感じだよ」

「うんうん、そうなの! そこのバランスを頑張ってみたの! ふふふ!」


 そう言って、花恵さんは頬をほころばせて笑う。

 しかし、次第に息を吐ききるような笑いになる。無理して笑顔になろうとしているように見えた。


「花恵さん」

「何? もう1個?」

「そうじゃなくて……花恵さん、眠れてないでしょ?」

「寝れた、よ?」

「どれくらい?」

「言わなきゃダメ?」

「ううん、ダメじゃないよ」


 聞きすぎてはいけないようだ。これ以上僕に心配させてしまうからだろう。話題を逸らすか。


「花恵さんは、お腹空いてる?」

「え? お腹は……ちょっとだけ」

「じゃあ、ドーナツ一緒に食べようよ」

「いいの?」

「うん。めっちゃ美味しいから元気が出るよ」

「っ、えへへ。うん、それじゃあ頂こうかな」

「あ、待って」


 花恵さんが爪楊枝を取ったタイミングで、僕は言う。そして、まだ動かせる右手でそれを取る。


「はい、あーん」

「ええっ!?」


 恋人同士でやる、あーんというアレを、恋人なんだから僕からやっても不自然ではない。それに、こうして食べた方が元気が湧いてくるから。むしろ、こうしてあげたい。


「い、頂きます」


───ほふ


 抹茶味と思われる緑色のドーナツを一つ頬張る。花恵さんは目を閉じ、何度も噛みしめて味わっている。そして、飲み込み、ほぅっとひと息ついた。


「ありがとう」


 目をゆっくり開け、僕を見ながら、続けた。


「ちょっと、聞いてくれる?」


 ドーナツだけではない、他の事も含めて、何か言いたげの花恵さんに、僕は頷く。


「昨日から、今日も、ずっとね、嫌な想像ばかりしちゃっててね。……死んじゃったらって。こんな何気ない幸せが急に終わっちゃったらって。だから、そんなの嫌、死んじゃ嫌だって……思いながら、早く治るようにドーナツ作りながら自分を励ましてた。さっき食べた時、ふっと緊張が抜けちゃったの」


 花恵さんが、思いの丈を打ち明けてくれた。よほど通り魔が怖かったようだ。


「嫌だよね。怖かったね。急に、あんな事が───」

「ううん、私じゃなくて、駆馬くん」

「え?」

「駆馬くんが死んじゃ嫌だって思ったの」


 違った。花恵さんは、僕が死ぬかもしれないと感じていたらしい。


「運良くそうなってないけど、どこか違う所を刺されていたら……駆馬くんと今日会えない事になっていたかもしれない。もう、私のパンを食べてくれなくなる。笑った顔を見られなくなる。ぎゅって出来なくなる。……会えなくなっちゃう……やだよ……やだ……」


 最後の方は、声が震えていた。

 もう、これ以上を言わせたくない。そう思った僕は、花恵さんの言葉を遮るように、言った。


「死なないよっ。死んだら、他に誰が守るんだ」

「え?」

「あ」


 しまった。心の独り言が出てしまった。寿命が見える事に勘づかれてしまう……か?

 と、身構えていると、花恵さんがぷっと笑った。


「駆馬くんだけだよ」

「へ?」

「なんだか不思議とね、駆馬くんが手を引いてくれてるとね、安全な所に連れてってくれているような、キリッと真剣な目になっててさ、守ってくれてるんだなって、すごく落ち着くの。だから、ずっと手を繋いでたい。傍にいたい。ずっと、ずーっと……ふふっ、2人で長生きして、おじいちゃんおばあちゃんになるまで繋いで、パンを食べさせあいっこしながら笑いあって……そんな風に過ごせたら、とっても嬉しいなって思うよ」

「花恵さん……」


 花恵さんは小さく笑う。しかし僕は、笑わない。

 おじいちゃんおばあちゃんになるまで。それほど遠い未来まで一緒に手を繋いでいたいという事。どちらが欠けてもいけない。花恵さんは、2人の未来を描いている。

 僕は今まで、描いていた理想の未来に、花恵さん1人を想うばかりだった。カメラで撮影するように。その写真の中に僕自身が含まれていなかった。

 今まさに、僕の中で、理想の描き方が変わっていく。

 死なないで欲しい。

 ケガしないで欲しい。

 手を繋いで欲しい。

 笑顔でいて欲しい。

 互いにそう思える、温かくて心地良い関係性。その行く末に、僕が望む未来は───


「僕も、ずっと手を繋いでたい。ずっと……卒業してからも……その先も」

「……本当?」

「うん」

「……」


 しん、と静かになる。時計の秒針と、心臓の音しか聞こえない。

 僕らは見つめ合う。恥ずかしくて逸らしたいけれど、それでも僕は花恵さんが嬉しいと目で言うのを、しっかりと受け止める。

 その花恵さんのうっとりと嬉しさが込み上がる目は、僕の方へと近付く。包帯ぐるぐる巻きの僕の右手に触れる直前で止まり、手を引いた。


「治るまで、我慢だけど」

「そう、だね。じゃあ、手の代わりに───」


 花恵さんが、右側の長い髪を掬って右耳にかける。

 耳と首筋が顕になる。

 僕の顔に近くなって───これはと思った時には、唇と唇が触れ合い、僕と花恵さんは繋がった。

 初めて、花恵さんの方から。

 ほんの一瞬だけのキスは、時間が止まったように思えた。


「えっへへ〜。もらっちゃった」


 頬を紅く染めた花恵さんが、まるでイタズラを成功させたかのように無邪気に笑う。

 僕の、さっきまで止まった時間が一気に動き出したように、顔に熱が込み上げる。


「ん? ……駆馬くんって、チョコ味なんだね」

「そりゃその味がするけど…………すんごい笑顔だね。美味しかった?」

「ふふふ。うん、すっごく甘い」

「おかしいね、苦味が消えちゃったかな」

「かな。不思議だね。ふふふ」

「花恵さんも、すっごく甘い抹茶味だよ」

「ふふふ。何でだろ。甘く作ってないよ?」

「え、そうなの? 不思議だね」

「だね。…………ねぇ、駆馬くん」

「うん?」

「もう1口食べたいな」

「……」

「ダメ?」

「ダメじゃ……ないけど」

「何で目逸らすの?」

「その1口で足りるのかなと思って」

「……ダメ?」


 花恵さんが、僕の方を見て楽しそう笑いながら、少しずつ顔を近くに寄せてきた。


「嫌なら嫌でいいよ?」


 なんて甘く囁きながら、もう目の前に差し掛かった時、スンっと抹茶の渋い香りが鼻をくすぐり、僕はそれ以上考える事を止めた。


「……」

「……」


 そうして僕は、意外とイタズラ好きな彼女と、1口ではない回数で、お互いの体温を確かめ合った。




◆◆◆◆◆




 その後、花恵さんが目をごしごし擦ったり、手で隠しながら大きくあくびをしたりして。一旦帰るのを僕が提案してみると、渋々だけど頷いてくれて、花恵さんは一旦帰った。

 花恵さん、きっとろくに寝ずに一晩中何度も試作品を作ってくれていたのだと思うけど、あくまでも僕の想像でしかない。聞くべきではない。僕にこれ以上心配させたくない花恵さんは、きっと正直に言わないから。

 その想いの詰まったドーナツを1口頬張り、ぽつんと静かになった部屋で、今は爪しか見えない左手薬指を見つめる。

 いつの日か、この指に、指輪をはめるんだ。

 花恵さんの指にも。


「…………へへ」


 かっこ悪くニヤけてしまう。

 結婚って。

 手を取りあって、末永く生きられるように養い支え合う、特別な関係性。結婚って、そんな感じだと思う。いつか、そうなれたらいいなと思いはする。まだ高校生で、養える力は無い。末永くも言いきれない。だから、今は言えない。

 でも、花恵さんと2人で手を繋いで並んで1枚の写真を撮るように、理想を思い描く事は、いつか来るその日に繋がる大きな一歩だと思う。

 なんて想像をして、誰も居ないのに恥ずかしくなってしまった。

 これは、心の奥に仕舞っておこう。いつの日か言えるその時まで。

 そう決意して、僕は目を閉じた───




◆◆◆◆◆




「ぁあ! ぁあ!」


 白黒の夢の中。

 ああ、また僕は、寝相で左手薬指を額に当てたようだ。

 さて、と。

 まず入ってきた情報は、赤ちゃんの泣き声。産まれたてなのか、小さな体から元気に大きく発している。

 ぼんやりと辺りを見ると、手術衣を着た人が大勢いる。その人だかりは2箇所あり、1つは、台の上に寝かされている、小さな赤ちゃん。体を拭き取られていたり、腕に何かチューブを付けられている。どうやらここは手術室で、ここで産まれたようだ。

 じゃあ、その母親は……。

 もう1つの人だかりに僕は近寄る。

 そこには……


「花恵さん?」


 目を閉じている。口には酸素マスクが付いている。頬が少しだけ大きい……だけど、紛れもなく花恵さんだ。

 大人の花恵さんだ。

 もっと見ていたいけど、今は目的に集中だ。この夢を見る力は、花恵さんが死ぬ未来を回避する為にあるから。


「弛緩出血だ!」

「鉗子を!」


 周りを見る。

 お医者さんや看護師さんが、花恵さんの様子を診たり機械を確認して大忙しだ。

 その会話内容は医療的な専門用語ばかりで僕には分からない。しかん……出血? を起こしている。お医者さんがそう周りの看護師に告げてから、更に慌ただしくなった。

 

「あの」

「はい、何ですか?」


 呆然としている僕に、看護師の人が話しかけてくれた。


石上(いしがみ)花恵(はなえ)さんの旦那さんですよね」

「…………え?」


 耳を疑った。

 石上花恵さん……旦那さん……。

 今、そう言ったのか? 僕、花恵さんと結婚しているのか。


「あの、奥さんのご様態なのですが、危機的出血を起こしています。輸血が追い付いていません」


 ……。

 ……。

 ……。

 何を言っているんだ、この人は。


「どうか、手を握ってお声掛けをお願いします」


 思考が真っ白になったまま、僕は花恵さんの元へ、沈むように寄る。


「花恵さん」


 返事は無い。呼吸が荒い。


「花恵さん」


 手を握る。しかし、握り返してくれない。冷たくなっている。何とかして温めようと、祈るように、僕は手を包む。


「花恵さんっ……!!」


 握り返してよ。

 目を開けてよ。

 笑ってよ。

 生きてよ。

 

「っ……」


 その祈りが届いたのか、息の荒れる花恵さんが、薄らと目を開けてくれた。ほんの僅かだけど手を握ってくれた。


「花恵さんっ!」

「ご……め……んね」


 何で謝るんだ。違う。花恵さんは何も悪くないじゃないか。


「もっ……と……いっ……しょ……に」


 僕もだよ。もっと一緒にいたい。何だよ、26歳で死ぬなんて。結婚して、赤ちゃんが出来て、これから幸せになるって時じゃんか。


「なか……ない……で」


 無理だ。止められないよ。


「……………………」


 あ、い、という口の形にはなっていた。もう、声を出す力が無いのか。何とか聞き取ろうと耳を澄ませていると、花恵さんの呼吸が小刻みになってきた。


「心拍低下! 酸素濃度90!」

「CPR!」


 看護師さんが大声で騒ぎ出した。

 僕の反対側に立った看護師が、花恵さんの胸に手を当てて心臓マッサージを始めた。

 その光景に圧倒されていると、いつしか、花恵さんの手に力が入っていなかった。

 僕は、それでも、祈るように手を握る。涙で目がにじむのを袖で拭う。


───ピー


 嫌な機械音と共に、景色が、薄れていく。

 夢が、終わる。

 僕のせいで花恵さんが死ぬ───




 10y 25d 08h 45m 05s

 10y 25d 08h 45m 04s

 10y 25d 08h 45m 03s




◆◆◆◆◆




「あああああっ、ぐぅ!」


 飛び跳ねるように起きる。

 直後に来た左手と右目の激痛に、現実に戻ってきたんだと体で感じる。

 息が乱れている。左目から滴るほど涙が流れ続けている。顔が熱い。

 10年後、花恵さんは、僕との間に出来た赤ちゃんを産む時に、出血過多で死ぬ。

 脳に鮮明に焼き付いている、花恵さんの最期。

 こんなの、ありえるのか……。

 花恵さんを死なせる元凶が、僕。

 僕と、出会ってしまったから?


「何だ……これ。ざっけんな。何でだよ。何でだよぉ」


 ぐちゃぐちゃな頭のまま、歯を食いしばる。

 結婚が間違いなのか? いいや間違いな筈がない。幸せになるために、幸せにするために結婚するんだから。じゃあ子どもを作る事が間違いなのか。お産で死ぬのなら、結婚したとしても子どもを作らなければ死なないから子どもを諦める事が正しい選択? しかしどこまでも酷く悲しい選択だ。もし仮にそうするとしても、その決断は1人でする事ではなく2人でする事。だってそうだろ……このまま寿命が見える事を隠したまま、お付き合いを続けて、結婚して……いざ子どもが欲しい時に言っては遅すぎる。いつか言わなければならない事。時間の問題。

 そもそも寿命の事を黙っているのは、幸せな未来を明るく描く無垢な笑顔を守るため。あと何年だけとか、死ぬ未来を知っては、その笑顔は暗く濁ってしまう。そう僕は信じて、笑顔を守る為に隠してきた。

 なのに、この結果。

 僕のせいで、不幸にさせてしまうのか。


「はは……ははは」


 乾いた笑いが、ふと出てしまった。


「花恵さんと出会った事は間違いなのか?」

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