16話 大人の僕は何しているんだろう
「次のニュースです。昨日の午後5時半頃、挙母市挙母町の夏祭り会場で、通りがかりの高校男子が男に刃物で手を刺される事件がありました。警察は男を殺人未遂の疑いでその場で逮捕しました。男は、綺麗な女性を見てイライラした等と供述し容疑を認めております。被害者の男子生徒は救急車で病院に搬送され、手や顔などに全治2ヶ月の重症を受けましたが命に別条はないという事です。その後の現場は混乱が起きましたが、警備隊を増員して対処したもようです」
すごい事になったらしい。
朝、目が覚めて、自室のテレビを何となくつけたら、刺された場所の周辺に立ち入り禁止のテープが張られ、大勢の警察が交通整理している。
「ふぁ」
ベッドの上であくびを……小さく1つ。大きく動くと、顔の傷が痛むから。
昨日のあの後は、寝起きでも鮮明に思い出せる。
あの男にやられたその後、救助隊が来て病院に運ばれ、手術を受けた。お医者さんが特にびっくりしてたのが、左手だ。ナイフが貫通していた。全治2ヶ月はここの事を言っている。肘から指先が硬い板やらガーゼやら包帯やらでぐるぐる巻きになっていて、指を曲げる事も出来ない……というか少しでも動かすと痛い。昨日はそうでも無かったのに、今日の方がめっちゃ痛い。
それと、右目を中心に顔の右全体とおでこ全体と、右手の甲にも、引っ掻き傷がある。ガーゼが付いて包帯ぐるぐる巻き状態。右手の指先だけが出ているので、ご飯などは不自由ない。自宅療養しながら、2日に一度の通院で経過観察といったスケジュールだ。
改めて思う。夏休みはプールもどこにも遊びに行けないなーとか、両手がこんなんじゃご飯どうすんだーとか、呑気な悩みが出てきた。
「駆馬」
ふと。お母さんがドアを静かに開けてくる。
「おはよう。痛い?」
「ん。すごく」
「だよね。うん。すぐ治らないよね」
はぁ、と深いため息が聞こえる。
「まったく。花恵ちゃんから聞いたけどさ。庇ったんでしょ。よく頑張ったよ、うん。でもね……五体満足で生まれてくれた息子に傷を付けられてさ、母さんは素直に喜べないよ?」
お母さんは、怒りと悲しみの混ざった声を、僕にぶつける。
「お父さんと……」
「え?」
ふと、お母さんが呟く。
「お父さんと、電話できた」
「本当に? 珍しいね」
「うん。いつもメールで済ます人なのにね。信号が倒れた時でも、さすが俺の子は強い、ってメール1つだけの人がね」
「は……はは」
「今はアラスカだってさ。遠い所で元気にやってるわ」
「そりゃまた、遠い所に。で、何て言ってたの?」
「話がある。駆馬のタイミングでそっちから電話してこい、って」
何だそりゃ。僕がこんな大怪我をしているから心配の連絡をしてくるのかと思っていたら、違うらしい。
逆に言うと、それほど大事な内容らしい。
「電話はそこで終わり。めっちゃ忙しいみたいよ」
「ふぅん。まぁ、お元気そうで」
はぁ、とお母さんは大きく肩を撫で下ろす。
「でも、まぁ、今だけは、お父さんを見習うわ。あんたが笑ってるんなら、それが答えなんだよね」
「うん。悔いは無いよ」
僕は、今出来る最大限の笑顔を、お母さんに向ける。花恵さんを死なせず無傷で守れた。僕自身が死ななかった。望んでいた未来を掴み取れたのだと、僕は達成感に満ちているから。
「とにかく。治るまで何も気にせず寝てな。お腹が空いたら呼びなよ? 何か食べさせてあげるから」
「うん。ありがとう」
と。僕が気になっていた事を話してくれた。
でも、何でだろう。お母さんがニヤニヤしている。
「ご飯と言ったら、花恵ちゃんが言ってたよ。何か作って持ってきてくれるらしいよ。で、食べさせてもくれるんだって、愛されてるね〜このこの」
小指を立ててニヤニヤしてきた。片桐と違って、お母さん自身も嬉しい気持ちが含んだ表情だ。
「仲良く色々話してたんだね」
「そ。手術してる間に、花恵ちゃんとそのお父さんと会ってね。そうそう、花恵ちゃんのお父さんが言ってたよ。2度も命懸けで守ってくれてありがとうって。またお礼を言いに来たいってさ」
花恵さんのお父さん……。あの人からは感謝されてばかりだ。
「今後とも末永くよろしく、って言ってたよ」
「……え?」
「そしたら花恵ちゃん、もうもう、って怒ってたよ」
「ですよねー」
ああ。僕の知らない所で、そんな光景が。また見たかったなぁ、ぷんぷん怒る花恵さん。
◆◆◆◆◆
それから。お母さんが部屋を出て、浅く眠っていると。
───ピンポーン
家の呼び鈴が鳴る音で、目が覚める。
お母さんが玄関を開けて出迎えると、僕の部屋への足音が近くなる。
───コンコン
扉がノックされる。
「どうぞ」
僕が言うと……苺谷さんが、ひょっこりと顔だけ入ってきた。
「花恵ちゃんじゃなくてゴメンね」
「ちょ、何言ってんの」
「何となく、そうかなって」
「そんな事思わないよ。来てくれてありがとう。どうぞ入ってきていいよ」
洞察力の鋭すぎるそのジト目を見ながら、僕は笑顔で隠して招いた。
「ん。それと、お兄も入っていいかな」
「お兄さん? 来てるの?」
「うん。会いたいって」
「……うん。いいよ」
そう返事すると、苺谷さんの後ろから、その人が入ってきた。
「邪魔するよ」
光沢のある漆黒のカッターシャツに、暗く輝く銀色のネクタイを結んでいる。その服がぴっちり合っているように見えるほど、体中の筋肉が盛り上がっている。銀色の髪はオールバックにしてワックスで固めてあり光沢がそこにもある。何とも全体的に光り輝いているようなオーラがある。
この人が、話に聞いていた、苺谷さんのお兄さん。この町の裏ボス。
「初めまして。俺は、苺谷創。宜しくな」
「はい。宜しくお願いします」
「おう。駆馬って呼んでいいか?」
「ええ」
「おっけー。駆馬。俺の事は創でいいから」
「じゃあ、創さんで」
「分かった。ところで駆馬。妹から話は聞いていた。まずは謝らせてくれ。昨日は通り魔の野郎をそっちに行かせちまった。すまない」
「そんな……謝らないで下さい。元は、僕が無茶な事を急に」
「だとしても、だ。駆馬が痛ぇ思いをしなくて済む選択肢はあったはずなんだ」
「……すごく、理想が大きいですね」
「ああ。皆がケガしねぇ世の中にしてぇのが俺の理想だからな。痛ぇ事って、嫌だろ?」
「まぁ、そうですね」
「だよな。だから色々やってんだ。だからよ、駆馬の不思議な夢には、超〜助けられた。だが、その駆馬本人がこの仕打ち。俺自身が納得いかねぇ。だからせめて、駆馬の治療費くらいは、俺に払わせてくれ」
「えっ!? そんな、そこまでは」
「分かってる。普通なら、ナイフのクソ野郎が払うのがスジだし、俺は関係無ぇもんな。だが、こうでもしねぇと俺は次に進めん。どうか、俺を助けるつもりで、任せてくれねぇか?」
「ごめんね、お兄は自分の意見を曲げないの。石上くんが損する事は無いし、良いかな」
苺谷さんも、頼んできた。創さんは、そこまで責任感の強い人らしい。
一見すると、僕が得する話で終わる。
しかし、何だろう。このもやもやする感じ。どこか……そう、火事を止めた時の僕を見ているようだ。自分一人で抱え込んでいる。そんな目を創さんはしている。
ならば、結論は明確だ。僕がすべき選択は……。
「お断りさせて頂きます」
「はぁ!? 何でだよ!」
「この現状に、僕は満足しているからです」
「どういう事だ。痛くて苦しいんだろ。顔と手に傷が残るだろうが」
「はい。そりゃあ痛いですよ。傷も残ると思います。でも、そんなのはいいんです。僕や、花恵さんが生きているんです。死ななくて済んだんです。死ぬ事以外はかすり傷です。僕は、これ以上を望む事も恨む事も無いんです」
「駆馬……」
「だから、創さん。そんなに自分を責めないで下さい。充分すぎるくらい、創さんのお陰で僕は幸せを頂きました。だから、ちょっとくらい良いんです。一人で頑張りすぎなくて良いんですよ」
そう。これは、あなたと苺谷さんが、一人で頑張りすぎていたあの頃の僕にくれた心の温かさ。
全力で善を急いでいる創さんへの、恩返し。
「ふはっ! まさか、そう言われるとは思ってなかった。確かに、そうだな。満足するかどうかは当人が決める事だもんな。駆馬の言葉がスーっと染みたぜ」
そう言って創さんは、鼻の下をこすって、屈託の無い笑顔になった。
「ありがとうな! 空回りしてた! 目が覚めたぜ!」
「お役に立てて良かったです」
僕も、話しながら改めて気付いた。花恵さんが生きてさえいてくれたら他は要らない、と。
「おう! また貸しが出来ちまったな。何か困ったらいつでも言ってくれよ!」
「はい。また、ぜひ」
「式場なら良い所を紹介するぜ!」
「え……何て?」
「結婚式場でしょ」
「け、け、け、結婚!?」
苺谷兄妹が、さらりととんでもない事を呟いた。
結婚。
僕が花恵さんと結婚だなんて。まだ付き合ってすぐなのに。まだ2人でそんな話はしてないぞ。いや別にお父さんからは末永くって言われてるから認められてるんだろうけど僕が直接聞いた訳じゃないし。第一、結婚するんなら住む家は? 家計を養う勤め先は? 何にも始まってないしまだ高校を卒業出来るか不安だ。だからまずは順番に済ませてからだけど何から始めればいいんだああああああ───
「石上くん」
「は、はいっ!?」
「一度に色々考えすぎ。落ち着いて」
「……はい」
苺谷さんの一喝で、僕は思考をストップ出来た。
「未来が見れるんなら、大抵の事は大丈夫だろ。病気になるんなら、今のうちに体鍛えたり、ウイルスのいない外国に引っ越したりさ」
「そうだね。やたら金持ちの筋肉星人なら出来そうだね」
「あ? 何か言いてぇならこっち見ろよ文実」
「別に。行動力を褒めたつもりだけど」
「かー! 可愛くねぇな!」
何これ。急に兄妹喧嘩が始まったんだけど。どうやって止めればいいんだ。
「ほら、お兄。石上くんが困ってるから」
「あ。悪ぃな駆馬。みっともねぇもん見せちまった。ほら、そろそろ帰るぞ」
「ん。そこは同意。じゃあね石上くん、お大事に」
「またな、駆馬!」
「……あ、はい」
かくして。苺谷兄妹は、嵐の如し騒がしさで出ていった。
苺谷さん、普段は口数少ないのに、いつも家ではあんな感じなのだろうか。
面白くてもう少し見ていたかったなんて、さすがに言えなかった。
◆◆◆◆◆
苺谷兄妹の嵐が過ぎ去り、ぽつんと静かになった部屋にて。僕は左手薬指の爪を見つめる。
僕は未来、何しているんだろう?
社会人かな。大学に行くとしても卒業していて働いているはず。働くとなればお金をがっつり稼ぐと思う。そのお金の使い道を考えると……例えば車を買える。ドライブデートがてら遊園地や温泉に旅行に行けるし……旅行先でプロポーズしたり、結婚指輪を渡す事も……。
ふと、妄想が広がる。
真っ白のアザレアの花畑。その丘の上にて。
アルファベットの「A」の形をした、裾に向かって広がる純白のドレス。白く透けたベール。白いアザレアのブーケを両手に持った女性が僕を待つ。
天から降り注ぐ陽光。
白い鳩が羽ばたく。
白い花弁から生まれしその女性は、僕の心に温もりを恵む。
花嫁姿の花恵さんが、僕に微笑んでくれる……。
うん、未来が楽しみだ。不安ばかりじゃない。僕がどんな大人になっているのか、花恵さんがどんな美人になっているのか、むしろワクワクする方が強くなった。
───コンコン
扉が強くノックされる。誰だろう……タイミング悪いなと思いつつ、無視する訳にはいかない。
「どうぞ」
「おーっす! 生きてるかぁー?」
片桐が大声で入ってきた。
「生きてる。てか、うるさいな」
「お、悪ぃ悪ぃ」
ふっとため息を1つ吐き、片桐の顔を見入る。夏休みに入って1週間ちょっとしか経ってないのに、肌がこんがり焼けた食パンのように黒い。
「しかしまぁ……ひでぇな。おもろい事が言えねぇわ」
「そんなの期待してない」
「そうか。なら、良いんだけどよ」
僕の小声のツッコミに悔しそうにして、片桐は入ってきた。
「そっちは面白く焼けてるね」
「お、気付いた? いやぁ、ここ最近はずっと外だったからな!」
「へぇ。何、バイト?」
「そーそー。土方と芋の皮剥きやってんだ」
耳を疑った。
「何それ。土方は分かるけど、芋? どんなバイトなの」
「ああ、土方のチーム皆の飯作りの一環だよ。50人くらいの大人が食べるから量がエグいんだよ」
「へ、へえ。皮剥きだけで大変じゃん」
「おうよ。頑張ってんよ」
よくもまぁ続くと思う。暑い夏休みに敢えて外に出て体力仕事を選ぶなんて。よほど稼ぎが良いのかな。
「そんな事よりさ! 元気が出るお土産持ってきたぞ! じゃじゃーん!」
そう言って、片桐は大きなビニール袋から、色とりどりの平たい物を取り出した。
「え、花火?」
「そう! いっぱいあるぜ! お前、花火大会全然見れなかっただろ? ケガ治ったら、花火やろうぜ! 俺とかクラスの連中を誘うのも良いし、愛しの彼女と2人きりでやるも良しだ!」
「ちょ……まぁ、花火自体は悪くないね」
「だろ? 誰とやるかはお前が決めればいいからな。だから早く治せよ!」
片桐が明るく笑う。僕は、そんな片桐を見て、心から疑問が出た。
「お前、優しいな。彼女出来ないのが不思議だよ」
「うわ、何だよ。自分は出来たからって上から目線か?」
「そんなんじゃないって。素朴な疑問だよ。この手の話を全然してなかったからさ。誰か、付き合いたい人はいないの?」
「いっぱいいるぞ? 同級生なら山本、田中、小林、後輩なら伊藤、鈴木、高橋、あと渡辺先輩と」
「分かった」
「佐藤先生も」
「もう分かった! お前はすごい! 今が一番輝いているよ!」
「だろ? すげぇだろ!」
そう言って片桐は大きく笑ってみせる。
「まぁ、だからよ、高校卒業したら、でっけー会社の頭になって、惚れた女の子全員を養ってやんよって思ってんだ、実は」
「……マ?」
「マジ! 夏休みに入ってから、俺の理想に近い事をしてる事務所に行って弟子入りしたんだ。そういう訳で、土方と芋の皮剥きから始めてんだけどよ、その人がよぉ、苺谷の兄貴だったんだ! 弟子入りした後で、あれ、何で苺谷いるの? って感じで出くわしてな」
苺谷さんの兄貴……創さんと知り合いだったのか。
「創さんに弟子入り……いつの間にそんなに」
「お、知ってんのか?」
「うん。でも顔と名前だけ。何してる人なの?」
「あー……色々してるから説明が難しいんだけど、まぁ分かりやすく言えるのが、コンサルタントだな。とりあえずこの町の社長の全員と仲が良いから、橋渡し的な事をしてんだ。関わる人皆を食うに困らせずケガなく暮らせるよう、めっちゃ頑張ってるぞ」
「社長……全員…………マ?」
「マ」
「……マ?」
「マ」
……そこから30往復くらい。僕は片桐が呆れて止めるまで、マの会話を続けた。
◆◆◆◆◆
そうして。
僕は片桐に、創さんが何してるのかを聞きはした。聞いてみたものの、やってる事が現実味が湧かない事ばかりで、僕には理解できなかった。理解できたのは、大勢の社長と仲が良い事と、虎を飼ってる所くらい。
話し終えて、片桐は帰っていった。
「……」
……静かで眠りやすい疲れ具合のはずなんだけど。ちょっと眠れなくなった。
将来の事。
花恵さんはパン屋さん。片桐はでっかい社長。同い年が将来に向けて準備を進めている。でも僕は、あと1年半後に高校を卒業した後を、まだはっきり決めていない。2人のように、何か人生を懸けて夢中になれる目標が出来るといいんだけど。
大人の僕は何しているんだろう。
何を続けていきたいんだろう。
……今言える事は、花恵さんとの関係性を深める事や、結婚、だと思う。
僕は、どんな進路になるとしても、花恵さんの笑顔のために夢中で色んな事をやれると思える。どんな未来になっても。ずっと、花恵さんを幸せにしてあげられるように。ずっと、笑顔で、長生きしてもらえるように。
───コンコン
と。扉が弱くノックされる。でも、その小さめな音から、優しさが感じられた。こんな入り方をするのは、1人しかいない。
「どうぞ」
「お邪魔します」
音が立たないよう静かにドアを開けて入ってきたのは、やはり、花恵さんだった。




