10話 天羽さんに言えないよ
あれからすぐ、お父さんがお手洗いに行ったタイミングで、僕はダッと全速力で走って、ガチャッと帰宅して、ベッとベッド直行。今に至る。
色々と刺激的な事があったけど、特に鮮明に思い出せるのが、天羽さんが艶やかな唇を僕へ向けて……ああ思い出すだけで嬉し恥ずかしで熱くなる。
明日の学校、天羽さんにどんな顔で会えばいいのだろう。会いたいけど、目を合わせるのは時間が掛かりそうだ。目を見ると、またさっきの続きをしたいって気持ちが天羽さんにバレてしまいそうで。学校では絶対に恥ずかしい。だからと言って学校じゃない人目のつかない所なら良いという事じゃなく。
ふぅ。と、深呼吸。しかし、落ち着こうと思っても、あの目を閉じた顔が脳裏から離れない。
ああ。こんなにも分かりやすく天羽さんが待っていると自覚しているのに、言うだけなら簡単だとか生意気に思ってるくせに、まだその告白を出来ていないなんて。口先だけで情けない。
告白できる勇気が、もっと欲しい。
◆◆◆◆◆
ふと気付くと、そこは白黒の世界。
また、僕はあの夢を見ているようだ。
辺りは浴衣を着た人が多い。人も屋台も賑わっている。しかもこのお祭りは、挙母市で一番人が集まると言っていい規模の花火大会だ。
天羽さんは……居た。僕のすぐ右隣に。と言うか、僕の右腕を抱き締めている。
「……え?」
抱き締めている。
まばたきして何度も確認した。間違いない。抱き締められている。抱き着かれている。密着して僕の腕を大事そうに優しく包み込んでいる。
「駆馬くん?」
僕の様子を不思議そうに、しかし楽しそうに、天羽さんは微笑んで顔を見てくる。
瞬間、息を飲んだ。
目元にアイラインの化粧をして。口紅が塗られ、艶やかな唇をさらに魅力的に仕上げて。髪はお団子にして透き通ったガラス細工の玉が付いた簪を刺して。花柄の浴衣を着て。
夢だと白黒だから色は分からないけど、白や黒の濃度が微妙に違う。きっと色彩鮮やかに美しくなっているのは間違いない。
「本当に、天羽さん?」
「ふふ、それ何回目? ふふふ」
どうやら未来の僕は何度も同じ質問をするようだ。
「それより、駆馬くん。急に天羽さんだなんて、どうしたの?」
「えっ?」
「名前で呼んでくれてたじゃん」
そうか、さっきから天羽さんは僕を下の名前で呼んでくれていた。
と言うか。僕は、近い未来で、天羽さんと下の名前で呼び合って、人前でもくっ付いていられる程、距離を縮めるのか。僕からここまでお願いするのかな。もしくは天羽さんから? こんなに積極的に人前でも恥ずかしい事が出来るようなら、可能性はある。と言うか、これ、付き合っているよね? いつ、どっちから告白したんだ。もしかしたら、天羽さんの方から告白してくるのかな。告白する勇気が出せれない僕だから、きっとそうだ。だとしたら、それはそれで情けない。
───ドンッ
と。考えていた、その時、急に後ろから衝撃。僕と天羽さんは、よろめいて倒れる。
見ると、帽子とマスクで顔を隠した人がぶつかってきた。しかし、謝る事もなく、それどころか僕を睨む。その瞳の奥が、僕の全身を凍りつかせるように暗い。夢だから僕が死ぬ訳がないと分かっているのに。足が凍り付いたようで力が入らない。これでは追い掛けられない。
「っ!?」
その時。視界の端で、黒い水溜まりが広がっている事を見つける。天羽さんの首に、ナイフのような物が。
「天羽さん!」
「っ! っ!」
うずくまる天羽さんの息が荒い。
綺麗な浴衣も、化粧した顔も、黒で染まっていく。
「っ……」
天羽さんは、薄れる表情で、僕を見て、小さく微笑み、ゆっくり瞳を閉じた。
25d 20h 06m 28s
25d 20h 06m 27s
25d 20h 06m 26s
◆◆◆◆◆
「ああああああああっ!」
叫ぶ。
しかし、辺りは薄い豆電球で照らされた、見慣れた自分の部屋だと気付く。ここは、僕の部屋だ。あれは、夢。僕は叫びながら自室のベッドで目を覚ましたようだ。
まだ、手の震えは続いている。
あれは夢だと分かっているのに。天羽さんが死ぬ夢は、もう何度も見たのに。見慣れてはいないけれど、見るたびに僕は絶対に守ってみせると前向きに奮い立たせてこれた。なのに、今回はそれが無い。
何かが、違う。
◆◆◆◆◆
「なるほど。25日後の夜、あの花火大会で不審者に刺される、ね」
僕は、制服を着て、学校に向かいながら、苺谷さんに電話していく。
「石上くん。今回は守れない可能性が高い」
「えっ!? どうして……」
「今までは不慮の事故。でも、今回は悪意を持っている。その人の行動が予測できない。私の仲間が何人見張っていても、取り押さえようと近付いても、人混みに紛れてすり抜けて花恵ちゃんを狙う。……いいえ、本当に花恵ちゃんだけを狙っているのかも疑わしい。もしかしたら、石上くんを刺す可能性もある」
「僕も……」
僕が死ぬかもしれない。そう思うと、あの冷たい瞳を思い出し、歩きが止まる。今朝の震えは、こういう事だったのか。今まで僕自身が死ぬ未来は無かったから。
「とにかく。今回は、夏祭りに行かない方がいいと思う」
「それは…………そうだね。ありがとう」
「ん。じゃ、またね」
電話が切れる。
道路に根が張ったように動けない。
ふつふつと。疑問の嵐が起こる。なぜ。楽しいはずのデートを、我慢しなきゃならないのか。デートに誘う事が間違いだったのか。そんな訳ない。その不審者が悪い。捕まえればいい。
しかし、どうやって。また夢を見た時に、帽子とマスクを外せば人相が分かる。そんな事出来るのか?
出来ると、言いきれない。
僕は、夢の中の天羽さんを、一度も守れた事がない。見るたびに、全て、死ぬのを見届けてきた。
もう何度もやった。夢を見るたびに。けれど、夢が始まるタイミングから逃げる事は不可能。今回だってそうだ。夢が始まって数秒でそうなってしまう。
「はぁ」
今日の学校、天羽さんにどんな顔で会えばいいのだろう。
昨日と同じ事を思ったのに、今日の方が難しい。僕一人の気持ちの整理で済む事ではない。
「天羽さん」
「何?」
「うわはっ!?」
後ろから突然、天羽さんの声が聞こえて、驚いて声が裏返ってしまった。
「そ、そんなにびっくりした?」
「うん。だって、天羽さん、いつも車で」
「それは昨日まで。今日から歩いて行く事にしたの。石上くんと会えたらいいなって思ってね」
僕の隣に立ち、栗色の長い髪をサラリと垂らして、僕の目を見る。
「私を待っててくれたのかな? って思っちゃったけど、違った?」
「ま……待ってたのは、違う。でも、天羽さんの事を考えてた」
「っ、そっかぁ。ふふ、嬉しいな。ふふふ」
笑って、天羽さんは一歩前へ。
「行こ?」
「……うん」
僕も、一歩踏み出した。
「昨日は遅くまでありがとうね! パパ、すごい喜んでたよ!」
「あ、う、うん。良かった」
「うん!」
その時の状況は鮮明に体が覚えている。
布団越しとは言え強く抱き締められていた。
まずい。顔が変になる。目を合わせられない。
「あの後、石上くんが居たのはパパは気付いてなかったみたい! 夜遅くまで、本当にありがとね! ……ん? どうしたの?」
「いや、その……」
こんなの言ったら変態だ。
昨日抱き締められたし、それに昨日の夢でも抱き締められていたし。幸せすぎてどうにかなってしまいそうだと、言ってしまったら最後。きっと幻滅される。
「その、昨日の、あれだよね」
天羽さんが、トーンを下げる。
「昨日、いきなりぎゅってして、ごめんね。びっくりしたよね」
「あ……まぁ、びっくりは、した」
「嫌だったよね」
「嫌だなんて! 別に!」
「えっ?」
「……あ」
しまった。つい、本音が。
嫌だなんて微塵も思ってなくて、幸せに満ちていた。
でも、何で僕は、それを正直に言えないんだ。何で僕は、こんなにも自分に自信が持てないのだろう。
夢でもそうだったように、あと25日後の近い未来で、僕らは付き合う。そうと分かっているのに。天羽さんからの好意は知っているのに。本当に僕なんかが付き合っていいのだろうかと、僕自身の小ささが本音を言うのを邪魔してくる。
本当に未来の僕は、どんな告白をするんだろう。
「石上くん」
「……何?」
「あの、さ……」
何だろう、天羽さんが、言葉を探している。
「これ聞かないと、これから先、ああいう事をしたらダメだと思うから、さ」
天羽さんの歩きが、遅くなった。
「この前、私に、彼氏いるか聞いてきたから……私も、聞いていいかな」
「っ……う、うん」
まさか、この質問って……。
「石上くん、好きな人、いる?」
足が、止まる。
目を、見る。
天羽さんが、早く瞬きをしている。
栗色の長い髪が風に揺れ、横髪が顔の前になびく。それでも、天羽さんは手で抑える事なく、目を合わせる。
「……」
「……」
僕を好きになってくれている女の子が、この質問。その意味は、こんな情けない僕でも分かる。
今ここには、誰も居ない。誰も居ない朝の通学路に、迷子になりやすい天羽さんが、頑張って来てくれたのも、きっとこの質問の為だろうと、今更だけど理解した。
これは、僕らの関係性を、大きく分ける返事。
今、ここで、強くなれ。
「っ……」
言え。たった一言だろ。
「……」
分かっているのに。
思ってしまう。
この、喉まで来ている、たった一言を伝える資格は、あるのだろうか。
僕は、ただのクラスメイト。教室のすみっこで、天羽さんの髪の美しさと勉強に集中する横顔を見つめる事で、満足している、普通の男子。たまたま不思議な夢を見られて、ヒーローのように見えるようだけど、それ以外は本当にカッコ悪いし勉強できない。かっこいい誰かが天羽さんに告白して、天羽さんが望むなら、僕は身を引く。死の未来から守る事くらいだけに自粛すると約束できる。
「……」
だから、これは……言えない。
天羽さんが好きなのは、かっこいいように見える時の僕なんだから。
「ごめん。言えない。何もかっこよくない僕なんか、釣り合わない。天羽さんに言えないよ」
「……え?」
顔を背けるように、学校へと足を向ける。
「ま、待って!」
しかし、天羽さんが、僕の右手を掴む。
止まった僕に、天羽さんがその両手で僕の右手を包む。
「い……今、そ、それって」
「っ!?」
ふと見ると、天羽さんの頬が、見た事無いくらいに、赤くなっている。
「天羽さん、ど、どうしたの?」
「え、だって、それって、つまり、あの……」
それ? さっきの僕の言葉の事か。
何か変な事を言ったのか?
僕はただ、かっこよくない、釣り合わない、天羽さんに言えない、情報はそれしかない。好きとか付き合って欲しいとかは……。
「あ」
違う。
逆だ。
もしもカッコよくなれば。釣り合えば。天羽さんに言える。そういう意味にも聞こえる言葉だった。
「あ、あ、あ、そ、その」
伝わってしまった。こんな情けない優柔不断な僕の本音が。
まずい。手を優しく掴まれていて、振りほどく事も逃げる事も出来ない。
ああああやばいやばいやばい───
「い、石上くん」
「はいっ!?」
「その……わ、私は、ね」
「は、はいっ!」
「石上くんの……その……釣り合うかって事、私は気にならないから、ね」
「……え?」
「だから、待ってるから。ずっと、ずっと」
と。最後の方は口元が震えた天羽さんが、走って学校の方向……とは違う道を走ってしまった。
絶対に迷子になる。追いかけないと。
「天羽さんっ!」
見失わないように、後を追う。
天羽さん、僕と同じくらいに足が速い。それに、ジグザグに細い道を行くし、足音に耳を澄ませているから、追う側の僕は曲がり角でスピードが落ちてしまう。
……。
でも、何で追いかけているんだ、僕は。追いついて、何を言うんだ。言葉の準備は何も無い。
でも、体が、先に動いている。
心配なんだ。
天羽さんが走った先で、車と事故しないか心配なんだ。まだ朝早くて交通量が多い時間帯だから。
死ぬ未来を守るだけじゃ、足りない。
ケガする事からも、守りたい。
天羽さんの笑顔を、ずっとずっと守りたい。
「っ……」
いた。大通りに出る手前。体力が尽きて遅くなっている。
───キキキキィィ!
その時、自転車のブレーキ音が響く。自転車の人が上手く避けたものの、驚いた拍子に天羽さんが後ろへ倒れ……
───ガシッ
倒れる寸前、僕は全力で飛び込み、天羽さんが地面に倒れる前に抱き留める。
「はぁぁぁ……あっぶな」
「ご、ごめん……」
「いや、いいよ。大丈夫?」
「うん。うん」
「良かった……本当に……良かったぁ」
安堵して、天羽さんを、抱き締める。
「ちょ、い、石上くん?」
「え、あっ! ごめん!」
パッと離し、シャッと後ろへ跳ぶ。
「本当にごめん!」
これは絶対にダメだろ。不必要に抱いてしまったああああ。
「ううん、大丈夫だよ」
と。天羽さんが、僕の方へと来て……そっと僕に密着してきた。天羽さんの顔が、両手が、僕の胸に収まってきた。
……今、何が、起こっているのか、理解が追いつかず、脳が固まってしまった。
「今日も、助けられちゃった。石上くんは、すごく、かっこいいよ。かっこいいんだよ」
「……本当に?」
「うん」
と。天羽さんが顔を上げ、微笑む。
「……」
そうだった。
ずっと、ずっと、そうだった。
天羽さんは、こんなにも嬉しそうな笑顔を、僕だけに見せてくれるんだ。誰にでも優しい天羽さんが、誰にも見せない、僕にしか見せない、幸せを目で伝えてくれる笑顔だ。
僕と居られてほころぶ笑顔も。
僕の心を温めてくれる笑顔も。
特別で大切で守りたい笑顔も。
全部、全部、全部……。
そんな天羽さんの為だから、僕は、考えるよりも先に、自分の情けなさの壁をぶち破って、走り出せるんだ。
天羽さん、僕、分かったよ。
かっこいいって、こういう事なんだね。
「天羽さん。ありがとう」
迷いは、まだ晴れない。だけど。この笑顔は守らなくちゃ。
その変わらない一心で、僕も微笑み返せた。
◆◆◆◆◆
それから、学校。
数学の授業を受ける。何とか頭をひねって聞いている中、眠気が。
別に、我慢できる程度。でも、敢えて瞼を閉じる。
これはチャンスだ。
かっこいい自分に変える為に。
怖い、出来ないと、最初から諦めていた過去の自分に負けない為に。
僕は、一つ、試したい。
そう思いながら、指を額へ。
僕は意識を、白黒の世界へ移していった。
◆◆◆◆◆
視野が広がる。今朝も見た白黒の夏祭り会場。隣には、幸せそうに僕の腕を抱き締める天羽さん。その浴衣は、まだ綺麗で。
ただの、夢。
でも、夢であろうと、僕は君を守ってみせる。
そう決意を固めて、僕は後ろを見る。
その人物が、人混みを掻き分けて、こちらへ迫ってきた。
帽子とマスクで顔を隠した、その人物。
怪しく光るその右手に握られたナイフが、天羽さんの首へ近付く───
───ドンッ
僕は天羽さんが抱き締めるその腕を優しく離し、その人物の前に立ち、ナイフを僕の胸で受け止める。
「ひっ……ぃやあああ!」
天羽さんの悲痛な叫びが響く。
僕に痛みは無い。僕は視線を逸らさない。
その人物は、突然の事に驚いたようで口を開けている。
チャンスは逃さない。僕は、その人物の帽子とマスクを取る。暴れて顔を隠そうとする、その一瞬だけ見えたその顔を、記憶に焼き付ける。
「駆馬くんっ!!」
その人物は、ナイフを放し、人混みに消える。僕は膝からガクンと座り、それと同時に天羽さんは僕に駆け寄る。
夢だから痛くないけれど、立とうと思っても力が入らない。天羽さんが抱き寄せて支えてくれている。たぶん、痛くないだけで、こうなってしまうのだろう。
「───っ!」
水の中に潜ってるように、耳が遠くなっている。視界も狭まっていく。
その視界の中心に、天羽さんが僕を呼ぶ顔が映る。痛みが無いはずなのに、胸の奥がチリチリと焼けるように痛い。
それでも。僕は、天羽さんの目を見る。
守れた。
夢の中の君を、初めて守れた。それが、心底嬉しい。これまで何度も。何度も何度も。君の死を見届ける事しか出来なかったから。
無事で良かった。
僕は、そう思いながら、天羽さんに精一杯微笑み、意識を消した。
◆◆◆◆◆
「石上!」
急に呼ばれ、僕は頭を上げる。
見慣れた教室。クラスメイトの皆が、僕を見て静かに笑ってる。黒板にチョークを置いた先生がため息をついている。
「顔洗ってくるか?」
「いえ、大丈夫です」
「……ほう。今日は頑張れそうだな」
「はい。頑張ります」
そう言って、先生は何故かニヤリと笑って黒板に向き直す。
クスクスと笑いを堪える声が前から聞こえる。
「また寝てやんの。ぶくくく」
ニヤニヤと笑いながら、前の席から振り向いてくるのは、片桐。
「ノート見るか?」
「いや、大丈夫」
「……マジ? うわ、ちゃんと書いてる。マジで?」
「まぁね。ほら、前向けよ」
「くっ……、腹立つわ〜」
と。片桐はしかめっ面になりながら、前を向いた。
「……」
黒板を見る。しかし、夢での最期が、頭から離れない。
天羽さんを助けられて、それで良かったはずなのに。
天羽さん。あんなに……見てるこっちが苦しくなるほど悲しい顔で、僕の名前を呼んでいた。聞こえなかったけど、口の動きで分かった。
このやり方ではダメだ。
天羽さんも。僕自身も。無事でいられる方法は……。
最高にかっこよく、最高に笑顔の可愛い女の子と釣り合える男になる為には……。




