四十五夜「クマさんは一人③」
スタンプラリーは、まだ続いていく。
二つ目――【後悔】。
「後悔ねぇ……」
毒島が、ぽつりと呟いた。
レイは顎に手を当てる。
さっきの記憶は、いじめに関するものだった。
ならば、今回もそれに関連した記憶なのだろうか。
けれど。
「……」
考える。
いじめを受けたことへの後悔。
誰かを傷つけたことへの後悔。
あるいは。
「おーい、ぐるぐる思考やめろー?」
「はっ」
気づけば、ずいぶん長いこと考え込んでいたらしい。
天谷が呆れたようにこちらを見ている。
「おい、レイ。お前、最近思考にのめりこみすぎだぞ?」
「……そう?」
「そうだよ。さっきからずっと難しい顔してるし」
彼にここまで言われるのは、初めてかもしれない。
「意外ね」
氷月が、くすりと笑った。
「あなたって、結構思考して動くタイプなんだ。天谷君も含めて」
きっと、天谷が氷月を睨みつける。
「おい!? 最後のは余計だろ!?」
「そうね。久遠君が可哀そうだわ」
「ふざけんなよ!?」
軽口が飛び交う。
さっきまで見ていた記憶の重さが、少しだけ遠のいた。
けれど。
レイの頭から、【後悔】という言葉だけは離れなかった。
誰の、何に対する後悔なのだろう。
「それにしてもよぉ……」
天谷が上をみあげた。
足元を踏みしめると、苔むした土と落ち葉がふわりと柔らかく沈み込む。
見上げれば、幾重にも重なり合う葉の隙間。
細い光の束が地上へと降り注いでいる。
「いやぁ、落ち着くわ」
「わかる」
「なんか校外学習にでも来てる気分だよね」
「呑気か」
静まり返った森の中に響くのは、時折聞こえる鳥のさえずり。
そして自分自身の穏やかな足音だけだ。
そんな緑の迷宮を進むと、不意に、視界の隅に人工的な朱色が飛び込んでくる。
「で、スタンプラリー二個目っと」
そこには【後悔】という看板が立てられていた。
「ここは……」
看板の横に置かれていたのは、一台の古びたテレビだった。
その下には、黒くて四角い機械が置かれている。
「……なんだこれ」
「VHSじゃん」
「なんすかそれ!?」
「不意に刺してくんのやめろ」
「いや、今どきの子は知らないですよ……」
氷月が半ば呆れたように言いながら、テレビの前にしゃがみ込む。
「ナチュラルなおじさん扱いがくるんだって……」
機械の側面には、小さな再生ボタンがいくつか並んでいた。
「これ、どうすんだ?」
「たぶんテープ入れて、再生するんじゃない?」
毒島さんが後ろでいじけている。
「それくらいはわかるわ!?」
「なら聞かないでよ」
「うるせぇ」
レイは、機械の横に置かれていた一本のビデオテープを手に取った。
ラベルには、何も書かれていない。
白い紙が貼られているだけだった。
「これを……?」
誰に聞くでもなく呟く。
返事はない。
けれど、他に手掛かりもない。
レイはテープを差し込んだ。
――カチッ。
古い機械の中に、テープが吸い込まれていく。
しばらくして。
ぶつっ、とテレビの画面が点いた。
真っ黒だった画面に、白い線が走る。
ザーッ。
砂嵐。
「うわ、懐かし……」
天谷がつぶやいた。
毒島がツッコミをいれる。
「お前も知らない側だろ」
「いやさ!?テレビで見たことありますよ!」
「それは知ってるとは言わねぇよ」
「毒島さん!!???やめてください!その子アホの子なんです!」
「おめぇはなんなんだ!ひづきぃ!?」
そんなやり取りをよそに、画面の砂嵐が少しずつ薄れていく。
ザー……。
ざ、ざ……。
やがて、ぼんやりと何かが映り始めた。
古い部屋。
低い解像度。
色褪せた映像。
そして――。
そこに、小さな子どもがいた。
「……」
レイの息が止まる。
知らない子。
……いや。
知っている。
画面の中の子どもは、壁際に立っていた。
その顔は俯いていて、表情はよく見えない。
けれど。
「コグマ―……?」
「はぁ……はぁっ……!」
息が、できない。
胸の奥を、ぎゅうっと握り潰されているようだった。
吸っているはずなのに、空気が入ってこない。
思考が、ぐるぐると渦を巻く。
「あっ……」
視界が暗くなる。
耳鳴りがする。
吐き気が込み上げてくる。
まただ。
いつも、こうだ。
呼吸が苦しくなって。
怖くなって。
どうすればいいのかわからなくなって。
気がつけば、膝をついている。
「うぇ……っ」
胃の奥から何かがせり上がってきて、慌てて口元を押さえた。
寒い。
身体が震える。
寒いよ。
どうして。
どうして僕が、こんな思いをしなきゃいけないんだろう。
「……っ」
立ち上がろうとした。
けれど、力が入らない。
壁に手をつき、もう片方の手を伸ばす。
そこにある棒を掴んだ。
「いっせ……の……」
身体を持ち上げる。
……がくん。
膝から力が抜けた。
「っ……!」
床に手をつく。
立てない。
「………くそっ」
唇を噛んだ。
どうして。
僕は、ただ可愛いものが好きだった。
ぬいぐるみも、花も、綺麗な服も。ピンク色だって好きだった。
それだけのことだっ!
それなのに。
「僕がおかしいの……?」
声が震える。
「僕が……間違えた?」
昔から、ピンクが好きだった。
変身ヒーローより、魔法少女。
黒や青より、淡い色。
ランドセルだって、キャラメル色の可愛いものを選んだ。
それだけのことだった。
なのに、いつからだろう。
家では、それが別の意味を持つようになった。
「あなたは女の子なんだから」
そう言われた。
「女の子だから、それを選んでいいのよ」
そう言われた。
「女の子だから、それはだめ」
そう言われた。
髪を伸ばされた。
可愛い服を着せられた。
鏡の前に立たされて、笑顔を向けられた。
「本当の自分を隠さなくていいのよ」
「あなたを否定する人なんて、その人がバカなの」
優しい言葉だった。
きっと、優しかったのだと思う。
僕を傷つけるつもりなんて、なかった。
だからこそ、何も言えなかった。
違う。
そうじゃない。
僕は。
僕はっっ!!!!
自分から、女の子になりたいなんて言ったことはない!
一度だって。
ただ、可愛いものが好きだった。
それだけだったのに。
いつの間にか、それが「僕自身」になっていた。
ピンクが好きだから。
可愛いものが好きだから。
髪が長いから。
可愛い服を着ているから。
だから、女の子。
そうやって決められていくうちに。
僕自身の「好き」が、僕自身の声より大きくなっていった。
「……違う」
小さく呟く。
「僕は……」
その先が、出てこない。
何が違うのか。
何が正しいのか。
もう、自分でもわからなかった。
ただ一つだけ。
僕は一度も。
「女の子になりたい」
なんて、言っていなかった。




