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鈴村都は、待ち合わせ場所である駅前の落ち着いたカフェのテラス席に座っている。
スマートフォンの画面を指先でトントンと叩いていた。
「…………時間まで、あと少し」
そわそわしていた。
途轍もなく、そわそわしていた。
「髪型、大丈夫かしら」
黒髪ショートに、漆黒のジャケット。
「普段と同じで堅苦しいかなぁ…………でも、私服もジャケット系が多いし…………」
学校では「クールビューティー」と恐れられつつも、頼りにされている国語教師。
そんな彼女の佇まいは、休日であっても崩れない。
……ただし、その胸中は冷や汗でいっぱいだった。
(……やばい。昨日の深夜マッチング、テンション上がってネットスラングで挨拶しそうになったのを必死で耐えたわ……。落ち着け、自分。今の私は『都先生』。暴走列車みやこじゃない……!)
必死に笑顔を作る。
にこっ。
…………ぎこちない。
(いや、待って。これじゃあ不審者でしょ。自然に、自然に……!)
彼女の頭を悩ませているのは、もちろん初対面の相手にどう接するかという問題だけではない。
最近、担任クラスの生徒がひどい不眠に悩んでいるらしい。
友人関係は良好そうなのだ。
だからこそ教師としてどこまで踏み込むべきか、判断に迷っていた。
そして、昨夜。
オンラインゲームで酒を飲みながらボイスチャットを繋いだフレンド。
その更に友達の声がその生徒とどうにも一致するのだ。
(先生が夜な夜な生徒と泥酔ゲームしてたら、一発アウトだよなぁ……。てか、日比野さん、何してるのよ……。あれ、明らかに久遠くんよね?)
「はぁ……もう休日まで考えて私は一体なにしてるのよ…………」
(…………いや、今は忘れよう。うん。仕事のことは月曜日に考える。今日は休日。私は今、ひとりの女として、人生初のマッチング相手との対面に臨んでいるのだ……!)
……そう。
ほかにも、気がかりな生徒はいる。
行方がわからなくなった親友を持つクラスの委員長。
家庭環境に不満を抱え、過去にも何か事情がありそうで、踏み込めない不良。
考え始めれば、きりがない。
(…………やめやめ! 今は考えるな!)
都はスマートフォンを伏せ、深呼吸をひとつ。
それから、そっと画面を裏返した。
(よし。大丈夫。私はクールビューティー。余裕のある大人の女性。ネットスラングで暴走するオタクじゃない。絶対に、ない)
自分に言い聞かせるように、何度もうなずく。
そして、待ち合わせ時刻まで、あとわずか。
都はカフェの入り口へと視線を向けた。
「あの、もしかして……都さん、ですか?」
柔らかく、どこか関西弁のニュアンスが混じった声に、都はハッと顔を上げた。
「あっ、はいっ。本日はよろしくお願いしますっ」
……しまった。ちょっと声が上ずった。
そんな内心の動揺を押し隠し、都は慌てて姿勢を正す。
そこに立っていたのは、洒落た私服に身を包み、眼鏡の奥から優しげな目を細める男性だった。
整った顔立ちに、人懐っこい雰囲気。
見た目だけなら少々チャラそうにも見える。
だが醸し出す空気には不思議と大人の余裕があった。
そもそも、彼との出会いは偶然だった。
最初に都の目を引いたのは、プロフィールに記された職業。
自営業。
それも、探偵。
……こんなの、気になるに決まっている。
あれだよね、ゲームとかで安楽椅子探偵とかさ。
猫さがしとかしてほしいんだよ。
で、いざとなったときには巨悪に挑むとかさ。
ないかなーないよねー。
「ふふっ」
探偵事務所の所長を務めているという箱根という男。
いったいどんな人物なのだろうと興味を惹かれた。
気づけばこうして会う約束まで取りつけていた。
アプリのチャットでは、驚くほど会話が弾んだ。
ゲームやミステリ小説の趣味が合った。
普段なら絶対に明かさない『高校の教師』という職業まで、気づけば自分から話してしまっていたのだ。
普段警戒心は高い方なのだけど、不思議とそうなるものだ。
そして今、目の前にいる彼は、都の期待を裏切らない人物だった。
「初めまして。箱根です。……いやぁ、写真通り……いや、写真以上に綺麗な人ですねぇ……」
「……初めまして、箱根さん。お褒めいただき光栄です」
都は完璧な微笑みを浮かべたまま、内心でそっと胸を撫で下ろした。
(よ、よかった……! ちゃんと紳士的な大人の男性だ……!)
物腰は柔らかく、言葉遣いも丁寧。初対面の相手を戸惑わせるような距離の詰め方もしない。
実に好印象だった。
……まったく、ネットの匿名掲示板で毎日のように「これだから素人は」と煽り倒してくる、あのクソ煽りモグラ野郎にも見習ってほしいものである。
(ほんっと、ああいう人って何様なのかしら。知識が豊富なのは認めるけど、いちいち人を煽らないと気が済まないわけ?穴掘りモグラとかさ?かっこつけて何様?)
都は内心でひとしきり毒づくと、目の前の箱根に向き直った。
「……あの、どうかしました?」
「い、いえ! 何でもありません!」
どうやら、考え込んでいるうちに少し表情に出てしまったらしい。
都は慌てて笑顔を取り繕った。
一方の箱根も、柔らかな笑みを浮かべながら、内心で安堵の息をついていた。
(おっと……想像以上に凛とした、綺麗な先生さんやな)
最近、うちの探偵社に入ってきた、頼れるバイトの新戦力。
その彼女が通っている高校の担任教師がどんな人物なのか、以前から少し気になっていたのだ。
(あの子らが、こんな素敵な先生に教わっとるんやったら……まあ、ひとまず安心やな)
ふと、箱根はテーブルの上に置かれたメニューに目を落とした。
「何か飲みます? せっかくですし、ゆっくり話しましょか」
「はい。ありがとうございます」
都はようやく、いつもの落ち着いた笑みを浮かべることができた。
……もっとも、頭の片隅ではまだ、例の掲示板の腹立たしい書き込みが燻っていたのだけれど。




