毒島大河②
「炒飯うま!!!!」
ガツガツと天谷が、炒飯を貪っていく。
一口で、皿の中身がガンガン減っていく。
既にラーメンの器は、空っぽになっていた。
餃子もかなりのおいしさだ。
中華料理というものに、特別拘ったことはない。
だが、それでも久遠はこの味を好みに感じた。
「好きなだけくえよ」
「あざっす!」
「ありがとうございます。不動さん」
支払いをどんと肩代わりしてくれる不動に大人としての、頼りがいを感じた。
なんてかっこいい人だろうか。
「いや、高校生に自腹って俺がハズイだろうが……」
不動はそう言って苦笑した。
気負いもなく言えるところが、余計に格好いい。
久遠がそんなことを考えている間にも、天谷のレンゲは動いていく。
「めっちゃうまいっす!!!」
その山のような炒飯は、天谷によってかきこまれ半分以下になっていた。
「おおぉ!嬉しいなぁ!!」
毒島は満面の笑みでその様子を眺めていた。
やはり、自分の作った料理をおいしそうに食べてもらえるのが嬉しいのだろう。
店内に、自分たち以外の客はいない。
入口の看板も、いつの間にか「CLOSE」へと裏返されていた。
「それにしても、薄暮探偵社に新入りかぁ……俺以降誰もいなかったですよね?」
煙草を換気扇の下で、毒島は吸っている。
既に、仕事終わりの雰囲気を醸し出していた。
すでに仕事を終えた人間特有の、気の抜けた空気だ。
「そうだな」
「ふーん」
何気ないやり取りなのに、妙な安心感がある。
不動と毒島の間には、長い付き合いでしか生まれない信頼が感じられた。
「……不動さんの言うことさえ聞いてれば大丈夫だ。ま、無理はすんなよ?」
天谷は、炒飯をすくったレンゲを途中で止めた。
「俺らのこと嫌いとか……じゃないですか?薄暮探偵社に所属しているからとか……」
冗談めかした口調だった。
だがその目にはわずかな不安が滲んでいる。
久遠には、それが天谷なりの心配だということが理解できた。
「それはねぇよ、てかそんなガキじゃねぇ」
毒島は煙を吐き出しながら肩をすくめる。
「嫌いなのは、箱根だけ。で……君らは不動さんの部下だろ?猶更変なこといえねぇべ」
天谷は、その返答に少し複雑そうな顔をしていた。
まるで、両親に挟まれた子供のように。
どちらの言い分を信じるべきなのか迷っているかのようだ。
「ま、気にすんなよ。俺が一抜けしたって事実は確かなんだから」
「そうすか……」
まぁ、少なくとも……天谷の毒島への警戒心は、あの炒飯と餃子でだいぶ薄れているのだろう。
「連絡があったとはいえ……どうしたんですか?新人をわざわざ紹介するなんて」
不動の突然の訪問に、毒島は訝しんでいた。
どんな真意があるのは、彼は測りかねているようすであった。
「俺も薄暮探偵社を抜ける」
一瞬、空気が止まった。
「はぁっ??嘘でしょ?冗談にしてはキツいっすよ?」
想定していなかった現実に、毒島は耳を疑った。
それだけ、不動が薄暮探偵社にいることを当然のように信じていた。
彼が、あの場所を離れるわけないとも思っていた。
「……ま、そうなるよな」
不動の口が僅かに歪む。
そこには自嘲ぎみの笑顔が浮かんでいた。
「……先輩が、中途半端な気持ちでそんなこというわけねぇ。なんか事情があるんですよね」
「……ああ」
毒島は、不動という男をよく知っている。
軽い気持ちで物事を決める人間ではない。
とりわけ薄暮探偵社に関してだけは、その判断に迷いが混じることはなかった。
「いま、薄暮探偵社にはこいつらとあと二人。新入りがいる」
毒島の動きが固まった。
「俺になにを……させたいんですか?」
ただ静かに目を細めて睨みつけた。
それは、威圧というより確認に近しかった。
「俺の代わりに、こいつらを支えてほしい」
換気扇の音が、ただ広がる。
「……あーーーー」
毒島は換気扇の下で、膝を曲げて頭を抱え込んだ。
それは、苦笑にも近しい言葉だった。
「ずりぃすよ。先輩」
諦めるようにため息を吐く。
「俺が断れねぇことわかってるでしょう?」
「悪いな……トラ」
その一言は、静かに落ちていく。
毒島は、ただ無言で返した。
数秒の間が空く。
毒島が最初に発したのは、薄暮探偵社のある一人のことだった。
「百合ちゃんに嫌われてるだろうしなぁ……」
気まずそうに、毒島は胸を抑えた。
そこにある後悔を隠すように。
彼の胸には辛い過去が刻まれているようだ。
「百合さんとはどんな感じでした?」
ここだと感じた。
薄暮探偵社には、なにか深い後悔がある。
不動さんや百合さんが抱え込んだもの。
きっとそれを解くカギを毒島は持っている。
「いや仲はよかった……」
言葉が一瞬途切れる。
毒島は視線を落とした。
「でも、兄貴が死んでそのあと秒でやめたやつなんて……少なくとも気分よくないだろ?」
「……」
何も言い返せない。
自分たちが返せるはずはない。
自分たちは、「過去の当事者」ではないのだから。
「センパイの頼みはききたいです。でも俺も守るもんがある」
それは、明確な拒絶というよりも、彼なりの線引きだった。
不動はその言葉を、責めるでも怒るでもなく優しく受け止めていた。
ただ、兄貴分として静かに頷く。
「スイカちゃん……の事か?」
「……ええ」
深く慈しむような感情で、毒島は頷いた。
彼の胸の中には、騒がしい同居人の顔が浮かんでいた。
(タイガー!!!遊ぼ!!!!!)
「ま……それもあるけどここは俺の実家です」
油がこびりついた壁。
料理のにおいが、取れることのないこの空間。
数十年にも及ぶヤニで黄ばんだ天井。
……愛しい実家が、目の前にあった。
換気扇の音が、毒島の耳に優しく響いていた。
「親父とおふくろに頭下げてやめたいですというわけにもいかない」
そこには、誇りがあった。
決して劣等感のようなものではない。
小さな居場所。
自分が求められている場所を、既にその虎は知っていたのだ。
「すいません。不動さん」
深々と毒島は、頭を下げた。
薄暮探偵社という檻は、彼にとって過去のものだった。
「俺はここを捨てられません……センパイの頼みでも、俺は……」
たとえ寂れた商店街。
その一角にある店だとしても、彼にとっては誇るべき帰る場所。
薄暮探偵社にいた男は既に安住を手に入れていた。
「頭を下げるな」
「……え?」
「胸を張れよ、男としてお前を尊敬する」
同じ男としての尊敬。
自らの居場所の蔑むことなく、やるべきことを全うする。
その姿勢を、不動は敬愛する。
「飯うまかったぜ」
「……あざっす……」
天谷と久遠は、ただそれを見つめた。
言葉を発することなく、男同士のやり取りに介入することを嫌った。
「天谷、久遠。充分くったろ……いくぞ」
「……はい」
「またくるわ」
ガラガラと扉があく音が響く。
不動は振り返ることなく、その店を出た。
静寂が訪れ、茫然と扉を見つめる毒島に。
ピリリ……。
スマホの着信音が鳴り響いた。




