楊 翠花 ーヤン・スイファー
「俺は先輩のことをすげぇ尊敬している。でも箱根は別だ。あいつは嫌いだね」
「百合さんの兄についてですか……?」
恐る恐る尋ねてみる。
だがその問いに、毒島の表情が一変した。
「ぱいせん。こいつらは探偵社にはいってんすよね?はなしてないんですか?」
「……ああ、そうだ」
「あーーーー」
めんどくさそうに、毒島は納得した。
髪をかきあげていた。
「先輩がそういうならしょうがないっすわ。まだ早いっすよね。せかしてすんません」
「絶対話す。信じてくれ。隠したかったわけじゃないんだ」
「……そうですか」
重苦しい沈黙が、店の空気を支配した。
誰もが次の言葉を失い、ピリついた緊張感が張り詰める。
その空気を、奥の扉が勢いよく開く音が文字通りぶち破った。
「タイガー!!誰か来たネ!?お客さんアルか!?」
ドタドタと騒がしい足音と共に女の子が飛び出してきた。
緑の龍が背中に躍動するスカジャンを着ていた。
140センチそこそこの小さな女の子だった。
少し凝った緑メッシュのお団子髪が、彼女の動きに合わせて元気に揺れている。
「あ、先輩だ!いらっしゃいアル!」
「……小花。お前は奥に引っ込んでろっつっただろ!?」
毒島はさっきまでの鋭い目付きから一転していた。
心底呆れたような、それでいてどこか保護者のような顔でため息をついた。
「ネ――!!!私のことおいてくナ!!!!!」
ぺしぺしと、力のない拳が毒島に当たっていく。
だが、効果はないようだ。
「小花。挨拶しろ」
緑のドラゴンのスカジャンをきており中にはアニメキャラのTシャツ。
スタイリッシュに、ホットパンツにタイツを履いている。
眼は、カラコンだろうか。
紅くなっていた。
調和しているようで、どこか浮いたような恰好。
だが、それよりなにより目立つものがある。
「ちっ……」
「ち?」
緑髪の少女の、顔色が明らかに変わっている。
それ以上、この先を発したら殴られる。
それが本能で理解できた。
とても小さい。
毒島と並ぶとなにより、それが目立つ。
毒島が恐らく190は、越している。
50センチくらいの身長差はあるだろうか。
「やっぱりお前と並ぶの嫌いネ……」
「?」
少女自身も気にしているようだ。
ぼそりと呟いていた。
「楊・翠花ネ!!!よろしくアル!!!仲いいヤツには小花って呼ばせてるけど、オマエラよぶなヨー。スイカでいいよ!!」
「よろしく?」
「よろしくー!めっちゃかわいいスイカちゃん!」
「オマエスキ!!!」
「「うぇーーーい」」
テンション高いね。
やはり久遠には、ついていけない。
「ちなみに、19ヨ」
「年上だった!!?」
「マショウの?オンナネ」
堂々とない胸を張り、年齢より年下に見えることを彼女は誇っていた。
そのことを毒島は、指摘した。
「魔性っていいたいだけだろ、若く見えることを魔性とはいわねぇ」
ガシっと思いっきり毒島に蹴りをいれる。
そのケリは、見事にすねにはいっていた。
「いてぇ!!?」
「うるさい。たいがー。邪魔しないで」
「はいはい……」
毒島との間は、かなり親しいのだろう。
少なくとも久遠には、二人の関係はそう見えた。
「キキタイことあるカー?」
「なんでそんな喋り方なの?」
「私メッチャアニメすきネー。漫画の中国キャラ大体こうだからこうなっタ。これは様式美ネ」
天谷が苦々しい顔をする。
「絶対参考にするの間違えてんだろ」
「小花は普通に話せる。趣味だから気にすんな」
「うるさい。私にあわせて」
「あ、いてぇいてぇ。けんなよ」
漫画の影響で、それをわざと演じているのだろう。
彼女は昔ながらのステレオタイプな漫画のキャラを好んでいる様子だった。
「好きな食べ物は?」
「ラーメン!!!餃子!!!」
「うん、突っ込みずらいな!!」
「日本と中国のって結構違うよね?どっちなんだろう」
中国由来……なのか?
自分の中では、由来ではあるけど別物という認識なのだが。
いやコテコテのテンプレ中国人を演じているという点で、この部分も一種の設定の可能性がある。
「なんで?日本のラーメン美味しいネ?」
だが、純粋な好意によるものらしい。
「へぇ。そう言ってもらえるとなんか嬉しいもんだな」
「僕らが作っているわけじゃないんだけどね」
「あとパンダすきね!」
「それも本場こっちじゃなくない!?」
「やっぱりわざとじゃねぇかな!?」
どこからツッコめばいいのか自分たちにはよくわからない。
「あー!タイガー!私用事アルネ」
「あ、そうか?友達と遊ぶとかいってたな」
「ウン!!!」
「センパイと、そのブカ!じゃぁな!!!」
「うん、またね」
「また話そうね!!スイカちゃん!!!」
毒島が、スイカの頭をポンと撫でる。
優しい声で注意を促す。
彼は、黄昏の恐ろしさを知っている一人だ。
「黒い渦とか、危険だなとか思った穴には入るなよ」
「タイガいつもそれいうネ?」
「まぁ、気を付けてくれればなんでもいい。お前が心配なんだよ」
「分かった!!!それは嬉しい!!!!」
そう言って、小花は弾けるような笑顔を見せると、今度こそ本当に店を飛び出していった。
ガラガラと小気味いい音を立てて引き戸が閉まり、店内に再び静寂が戻る。
毒島は、彼女が去った扉をしばらく見つめた後。
「はぁ……」と今日一番の深い溜息をついて髪をかきあげタオルを再び巻く。
「……すんません先輩。話が逸れました」
男の顔に戻った毒島が、再び久遠たちに向き直る。
だが、その時の僕たちはまだ知らなかった。
毒島がどれほど彼女を案じ、どれほど「穴に近づくな」と警告しようとも、
それはすでに、彼女の日常のすぐ隣にまで歩み寄っていたのだということを。
駅から少し離れた、寂れた大通り。
日差しが届かないビルの隙間。
どんよりとした薄暮の影が落ちる歩道。
小花は待ち合わせの相手を見つけて大きく手を振った。
「あ! コグマくん!!!」
彼女が笑顔で駆け寄った先に立っていたのは、男とも女ともつかない、中性的な容姿をした人物。
その腕には、どこか薄汚れた歪なぬいぐるみが、だらりと抱えられていた。
「スイカちゃん!今日はね……行きたい場所があるんだ」




