三十九夜「過去の認知②」
「……はぁ?」
あまりに突拍子もない言葉に、思考が一瞬停止する。
箱根の喉の奥から、間の抜けたような声が漏れていた。
日比野の目尻がまだ赤い。
ラブのことを知ったばかりの瞳は、揺らぎながらも燃えていた。
箱根は額を押さえ、深い溜息をついた。
「マジかよ。そのちゃん!!!やめたほうがいいぜ!?」
天谷は、動揺しつつもその行為を否定する。
「でもみんなはいってるじゃん」
日比野は不満げに口元をへの字に曲げ、下唇をきゅっと突き出した。
睨みつけるような視線は、どこか涙ぐんでいる。
ラブの過去を知った直後だ。
これは、中々否定できないぞ。
「うっ……」
「私には……私たちにはやり遂げることがある。それは、絶対に知らなければいけないこと」
日比野が、ヒグレのクニを探索しようとする事情はもう理解できる。
だが、それを直接聞いていない。
日比野は既にラブとの戦闘であの場所の危険性は知っている。
でもだからこそ彼女の口からききたい。
「なら私にだってある」
「それはなに?」
氷月の声が、いつもより鋭く張りつめる。
天谷と久遠は既に巻き込んでしまっている。
これ以上同級生を自身の事情に巻き込むことに対して、違和感を抱いていたのだろう。
「ラブちゃんのこと。最後まで知りたい。なんでヒグレのクニに入ることができたのか。なんで殺されたのか。私は、あの子のことを最後まで知りたいと思っている」
「……」
僅かだが、氷月が気圧された。
彼女の言葉の圧に、後ろに押されたような感覚があった。
先ほどまで茫然自失になっていたとは、とても思えない。
ラブという事象に対して、日比野の心はもう癒着しているようだ。
「……ふむ……」
箱根は深く思案する。
高校生三人を入れるだけでも、思い悩んだ。
この選択は、再び重いものだ。
決意や信念があるからといって、あの場所に送り出すのは少し気が引ける。
「お願いします。ヒグレのクニのことを知りたいんです。あの子が最後まで守ろうとしたあの場所のことを知りたい」
だが、自分はこういった熱意に弱いことを箱根は既に思い知っていた。
そして今回は、その気配を後ろからも感じる。
「箱根さん。僕からもお願いします。日比野の力はきっとヒグレのクニを知る手助けになる」
「……どうしたもんか……」
相棒に目を合わせる。
自分だけの意見では決められないと箱根はわかりきっていた。
「俺はどうあろうが、高校生のガキがヒグレのクニに入ることは反対……だが」
だが、その相棒も既に少年少女たちのの熱意というものに、溶かされているのだ。
「こいつらの覚悟はもう知っちまってるからなぁ……安易に否定することもできない。いいんじゃねぇか?」
「私も、ここまで頑張っている子たちを否定できないよ」
「不動さんっ」
「百合さん!!!」
「ありがとうございます!!!」
四人の眼が一気に、箱根を見る。
鋭い目つきは、いまかいまかと箱根の返答を待っていた。
「ええぇい、俺が悪いみたいな雰囲気やめな!?」
よし、どうやら決まりのようだ。
箱根は、強制的に納得を迫られていた。
「ああー親御さんと要相談。まず元気な姿を見せないと話にならんだろ……」
どうしよ、どうしよと箱根はうなっていた。
日比野という戦力が増えたのは嬉しいがそれに付随する様々な困難が怖い。
今更ながら泥は被るといったことを箱根は後悔していた。
次に口を開いたのは不動だった。
「……箱根。相談がある」
その声音はどこまでも低く、張り詰めた真剣さを帯びていた。
声音は重い。
「なんだ?不動。お前まで厄介事?」
「厄介事いうなよ……」
そう返す不動の顔に、笑みは一切なかった。
眉根を深く寄せ、どこか痛みを堪えるような歪んだ表情をしていた。
「……お前がその顔をするときは、大体同じだ」
不動は自嘲するように小さく笑ったが、その笑みはすぐに消えた。
「ああ、俺は……ヒグレのクニの探索をやめようと思っている」
全員の身体が、 目に見えて硬直した。
その場にいる全員が、 自分の耳を疑った。
「はぁ!?」
「不動さんどうしたんですか!?」
「ちょっと静かにしてくれ。な?」
箱根はそう言って、片手をかざして言葉を遮った。
有無を言わせぬ態度で全員を黙らせた。
「事情はいえるか?」
優しい笑みで、聞き返す。
不動は中途半端な気持ちでそんなことを言わない。
親友は誰よりもそのことをわかっていたのだ。
「ラブのクニで、俺は致命傷を負った。前より悪化している」
「……住民化の速度か……」
久遠たちは、その姿を見ている。
重傷を負ったあと、異様な速度で肉体を再生していく不動の姿を。
「久遠みたいに調整できればいいんだがな……肉体そのものが変化しているならもう話は違う。現実にいるなら……もうあの場所にいることはできない」
自身の限界を、深く噛みしめていた。
「それに、こいつらに守られちまった。足手纏いになる瞬間があるのなら、俺は劣化してきているって証拠だ」
「それはっ……俺を庇ったからだろ!?」
天谷は、即座に否定する。
今でも思い出せる光景だった。
傷だらけになった不動と、その血を浴びる自分。
天谷にとって一生忘れることのできない光景となった。
「それでもだ。お前に負い目を感じさせている時点で、それは変わらねぇ……勿論ここもやめる……だがヒグレのクニにもう俺はいけねぇ」
「そうか……」
箱根の呟きは、すべてを察したように重い。
不動の決断を、箱根は否定しなかった。
彼なりに考えた。
わかっている。
「不動……お前の気持ちはわかった。だけど少し待ってくれないか。この子らにはまだお前が必要だ」
「ああ、それは当然だ」
不動の口元が、わずかに歪む。
まるで封印していた記憶を抉り出すように。
重々しく、ある一人の男の名前を出した。
「だからよ、その前に一度毒島にあってこようとおもう」
「……大河のところか……」
「……?」
久遠たちは当然、その名前を知らない。
誰もが息を呑むこの張り詰めた空気の中で、口を開くのはひどく恐怖を感じた。
それでも、知らないまま置いていかれるわけにはいかない。
久遠は意を決して、声を絞り出す。
「あの……毒島さんって誰ですか?」
「俺らの仲間だったやつだ……」
遠い目をしながら、不動が答える。
不動の言葉に、隣にいた百合の肩がピクリと不自然に強張る。
彼女はぎゅっと拳を握り締めた。
感情を押し殺すような、冷たく鋭い声で言葉を紡いだ。
「そして……私のお兄の死をきっかけに脱退した」




