三十三夜「微笑み」
「調子……のっちゃって……」
邪魔だったはずの、羽虫は三匹に増えた。
棘の包囲によって、一気に三人を片付けるチャンスだったのが無に帰した。
そのことに、ラブは怒りをもっていた。
彼女の体が細かく震える。
「あ……」
ふと、視線が端にいく。
息を荒くして、今にも倒れそうな日比野がみえた。
「そのちゃぁ……ん」
どんな顔で、彼女は私をみている。
そんな感情にとらわれる。
私は今どう見られているの。
なぜ彼女は、私の【アンチ】になるといったのだろうか。
私の何がいけないの。
私の何が間違っていたの。
ねぇ、そのちゃん。
私のことを嫌いになったのかな。
私のこと好きじゃないの。
「いやだいやだいやだ……いやややや」
「あぁ……??」
「なんだ?」
「気が触れたのかしら」
「ならこいつは最初からそうだろ」
もうこの体では、涙もでない。
では、なにでこの悲しみを表わせたらいい。
「なんんんぇでぇ……」
顔を掻きむしった。
手からにじみ出るのは、へばりつくような黒い泥だった。
わかんない。
わかんない。
考えるのが怖い。
「知らない」ことが怖い。
こんなの初めて。
もしかして私、また「間違えた」?
「いやぁぁぁ!!!!」
甲高い獣のような、悲鳴があがる。
偶像も、自己愛もそこにはない。
ただの怪物の叫びだ。
「くるぞ!!!」
わかりあえないなら、それでいいよ。
でもね……いらないの。
否定するなら、見なくていい。
消えてくれればもっといい。
わかりあえない人なんて、最初から価値ないでしょ?
それでいいはずなの。
ラブの虜になれないなら。
でもそのちゃんが、それになるのは嫌だな。
「くっ……!」
ラブの爪が、氷月に振り下ろされる。
氷月はそれを刀で受け止めた。
だが、力の差は歴然だ。
体が吹き飛ばされ、客席の席に激しく叩きつけられる。
ラブはそれを見下ろした。
「氷月!」
「前をみて!!!いい!!」
氷月の額から鮮血が流れ落ちていた。
「この野郎!!!」
天谷が地面を蹴り、大きく跳ね上がる。
左足に全身の力を込め、ラブの胴体を真正面から蹴り上げる。
「【屑の足】!!」
ゴッと鈍い音が、空間に響く。
胸部が黒く染まる。
「【結晶】!!」
【イツツの花】の模倣。
空中に黒い泥を滞在させ、それを放出させる。
そして天谷と同様の箇所にぶつけた。
ラブの胸部の泥が、ボロボロと崩れ落ちていく。
劣化による攻撃はラブに、明確にダメージを通していた。
「よしゃ!!!ナイスだ!!レイ!!」
不動の時とは違う。
今なら、はっきりと手ごたえがある。
あのときは、そもそも耐久値の上限がみえなかった。
だが今は違う。
ラブのそもそもの防御の値を減らせている感じだ。
このままいけば、明確に致命傷を与えられるだろう。
「らぶのこと……」
ラブの声が、低く歪む。
「なっ」
損傷など意に介さない様子で、ラブが急旋回する。
天谷に向かって一直線に迫った。
同時に、四方から黒い棘が殺到した。
「天谷!!!くるぞ!!」
棘の攻撃が、天谷に狙いを定めた。
黒い棘が天谷に突き刺さろうとする。
「嫌いかなぁ!!!」
「やべっ」
天谷はまだ空中にいる。
このままでは回避できない。
「氷月!!」
「!!」
【共有】された視界が、久遠に氷月の動きを正確に伝える。
二人でタイミングを合わせる。
「【黒腕】!!!」
「【イツツの花】っ!」
黒い茨が瞬時に展開され、棘の雨を粉砕する。
天谷は空中で身を翻し、地面に軽やかに着地した。
「サンキュ!」
助けられたことに感謝をする。
ここで、天谷の離脱は致命的だ。
彼の攻撃がなくては何も始まらない。
「氷月!!天谷の攻撃が起点だ!!!それがはいらないとどうにもならない!」
「ええ!!!わかったわ!!援護に徹する!」
ラブが再生しながら叫ぶ。
まだ終わらない。
「【三式・イツツの花】」
氷月の氷礫。
装甲が薄くなった胸部へと突き刺さる。
「いいいいいっ!!!」
ラブは膝をつき、よろめいた。
「天谷!!もう一回いけるか!!」
「上等だ!!!」
天谷と、久遠が一気に前にでる。
ここで攻めるべきだと判断したからだ。
しかしその判断は、まだはやかった。
「っ!!!!!」
地面から一気に、黒い茨が吹き溢れる。
体が浮き、激しく吹き飛ばされる。
最初は何が起きたからわからなかった。
ただ空を飛んでいた。
地面に転がる。
「いてぇっ……」
「うぅ……」
「天谷!!!久遠!!!!」
不動が大声をあげる。
チャンスと思えた瞬間は、あっという間に転落していった。
脳が激しく揺れる。
衝撃は、全身を貫いていた。
「らぶはまだ倒れないもん……だって私は……」
ラブの圧力が、再び上昇していく。
なにかが彼女の底力を押し上げていた。
「【アイドル】だから……っ」
黒い茨が、さらに空間を侵食する。
このままでは、空間そのものが包囲されて久遠たちは押しつぶされていく。
「まずい……」
頼みの綱の、前衛が一気に二人ダウン。
残されたのは、自分と既に限界を迎えた不動だけ。
どうすればいい。
この状況で、自分がとるべき行動は。
なにができる。
何をすればこの状況を打破できる。
どうすれば、この怪物に……勝てる?
「氷月………」
不動が、ぼそりと氷月に話しかける。
「なんですか!置いて行けとかいったら怒りますからね」
氷月は、不動の行動には複雑さを持っていた。
天谷を助けてくれたのは嬉しい。
でも、不動がここで死ぬような真似をするのは、絶対に許せなかった。
少なくとも先ほどの行動は一切許していない。
「……わかってる」
「凛ちゃん!!!!」
「え!?」
客席から、弱弱しいが必死な声が聞こえる。
日比野だった。
「私が!!!隙をつくる!!なんとかして!!!」
息も絶え絶えなのに、必死に日比野は声を張り上げた。
だが、なにをどうするというのだろう。
この状況で、彼女になにができる。
そう思考した瞬間、不動も大声を張り上げた。
「ああ!!なんとかしてやる!!」
「ええ!!?」
二人は、即座に動いた。
日比野は空中に何かを操作し、不動はラブに向かって全力で走り出した。
「何が起きてるの……?」
「できた!!!」
その瞬間、ライブステージのスピーカーから爆音で音楽が流れた。
きいたこともない、明るく弾けるような歌。
でもそれは、一人の女性が幸せそうに、楽しそうに、声を張り上げて歌っているものだった。
「!!!!」
ラブの動きがぴたりと止まる。
巨大モニターが一斉に光り、鮮やかな映像が映し出される。
そこにいたのは、怪物になる前の、【らぶ♡きゅん】だった。
ピンクの衣装を着て、無邪気に笑い、歌い、踊る、かわいらしい自分自身。
「なんで……これわたし……」
ラブの声が、震える。
黒い泥で覆われた顔が、引きつっっていることが理解できた。
怪物へと変化する前の自身を魅せられて明らかに動揺する。
それは、日比野の操作による影響だった。
「貴方の世界だもん。自分の配信は拒絶できないよね……」
日比野の優しく静かな声。
それは、ラブに対する愛だった。
「最初から違和感はあった」
モニターに合成音声を流したときも、制限や拒絶は感じなかった。
ラブが、空間の主であれば他者からの干渉をそもそも防ぐことができるはず。
それでも流せたのは。
「大好きなんだもんね……歌や踊りを見てもらうことが……」
「やだっ!やだ!!みたくない!!!」
なにもなくなったはずの、目や耳を抑えつける。
怪物になり果てたことで許せなかった。
なにも理解できない怪物になり果てた自分自身が。
その叫びが。
ああ、【間違えた】のだと。
そう信じたくなかった。
かつての可愛らしい自分が、モニターの中で笑っている。
その姿が、胸の奥を抉る。
「うるせぇよ。あとからあとから」
不動が低く唸り、拳を握りしめる。
「!?」
「いっぺん返すぞ!!!!」
不動が、強い拳で殴りつける。
それは、棘で全身を貫かれたときに保持した【力の流れ】。
この瞬間まで貯めていたそれを、一気に開放した。
「おうぇぇえ!!!」
強烈な一撃が、ラブの体に叩き込まれた。
最大出力。
自身の許容範囲を完全に超えた衝撃。
もう耐えられない。
攻撃を受けることは許されない。
ラブの全身の泥が剥がれ落ちていく。
「やだ。やだ……やだ!!!」
ラブの声が、完全に壊れた。
狂ったように叫びながら、その場から逃げ出そうとする。
しかし足がもつれ、膝がガクガクと震え、まるで壊れかけた人形のようによろめく。
不動たちを置いて、その場から逃走しようとする。
「久遠くん……これが最後……!」
倒れていた久遠が、起き上がる。
日比野の声。
視界が、研ぎ澄まされる。
限界を超えた【共有】。
すべてが、見える。
「あ、そうか」
久遠が呟く。
「当てるんじゃない……全部、繋がってる」
「いけ……」
その一瞬。
世界が、一本の線になる。
ラブの胸の中心。
再生を繰り返しながらも、激しく震え、黒い泥がボロボロと崩れ落ちるその一点。
「終わりだ」
久遠が踏み込む。
「【黒腕】」
すべての動き。
すべての隙間。
すべての連携。
いま、この瞬間だけは、全てがつながっている気がした。
そして、その中心を貫いた。
黒い腕が、静かに、しかし容赦なく突き出される。
ズン……という、低く重い音が響いた。
ラブの体が、びくりと大きく跳ねる。
胸の中心から、黒い泥が放射状にひび割れ、大量に崩れ落ちていく。
「ああ……」
見てくれたんだ。
二人の眼があった。
彼女の瞳が、一瞬だけ。
あの怪物になる前の、純粋で無邪気な【らぶ♡きゅん】の色を取り戻した。
「……そのちゃん……」
掠れた、か細い声。
最後に、彼女は小さく微笑んだような気がした。




