5話 魔法の先生
季節が変わる。
辺境伯領に吹く風の向きが変わり、冷たい空気が冬の雲と共に空を流れていた。
なんの感慨もなかった長い冬が、セリオンにとって特別な季節になったのは、エリシアと出会ったあの冬の日からだ。
エリシアは、四歳になった。
「うわぁ、お父様、見て見て! 新芽だよ」
「それは新芽に見えるけど根の一部なんだよ。今が摘み時だね」
セリオンはエリシアの横にしゃがむと、ふかふかの土をそっと掘り、ぴょっこり顔を出していた根を取り出して見せた。
「こうやって、新芽のように見せるのは食べられない為の知恵だよ」
「でも新芽が好きな鳥もいるでしょ?」
「よく知ってるね。だけどこの根は苦いから一度食べたらもう食べたいとは思わない筈だよ」
エリシアはくっきりとした大きな目で、じっと渡された根を観察した。
そして匂いを嗅いでいる。
最近はこうやって匂いも一緒に記憶しているようだった。
そんな娘の仕草を、セリオンは横目で愛おしそうに見つめた。
赤ちゃんの頃はくるくると可愛かった髪は、今やサラサラとこぼれ落ちるようなストレートに。
色は綺麗な淡いストロベリーブロンドになった。
セリオンの月の光のような銀の髪を、羨ましそうに口を尖らしては、指に絡めて遊んでいた。
そして、赤ん坊特有の頬のぷくぷくさが抜け始め、大人達は寂しそうにしていた。
甘い、優しげな顔立ちからは想像できない芯の強さを持っていると、セリオンは思っている。
昨日『一緒に寝るの、そろそろ減らすね』と言われて心底寂しくなったセリオンは、グレイやマリアンを捕まえて愚痴をこぼしまくった。
「……ゆっくりで良いって言ったのに」
セリオンは思い出したようにぽそりと呟いた。
「何がゆっくり?」
「エリシアだよ。大人になる事を急がないでって」
「いやよ、エルも早く大きくなってお父様とお薬作るもの」
また“エル”って言っちゃった、と恥ずかしがる娘を、セリオンはぎゅっと抱きしめて頭に頬ずりした。
腕の中のエリシアは、やめて〜と、言いながらも笑顔だ。
「私も早くエリシアと一緒に仕事がしたいよ。でももう少しだけ夜は一緒に寝たいなぁ……」
エリシアは、キョトンとした顔でセリオンを見つめた。
慣れ親しんだ薬草を思わせる、綺麗な若草色の瞳は、セリオンのお気に入りとなっていた。
「いいよ。内緒だけど、私もまだ夜目が覚めた時一人は怖いの。マリアンに怒られたらお父様が庇ってね」
「任せなさい」
穏やかに流れるこの時間が、二人にとってなくてはならないものになっていた。
**
エリシアも四歳になったという事で、家庭教師の話が出てきた。
マリアンは淑女教育もした方が良いと進言していたが、エリシアはもっと薬や魔法の勉強がしたいと主張した。
きちんと叱れる母親代わりのようなマリアンと、セリオン、エリシアで話し合った結果、淑女教育は最低限恥ずかしくないレベルまでちゃんとする事、でもメインはセリオンとの薬学や医療魔法、学院レベルの一般教養で、落ち着いた。
さて、とある日、エリシアは魔法の練習に励んでいた。
『教師は私が!』と、セルシィが手を挙げたが、流石にそれは無理なので、彼女が厳選した人物にお願いすることになった。
幼い頃から魔法学に長け、若いながらに技術も申し分ない青年ベルクに、エリシアはすぐに心を開いた。
“エルシー”という愛称で初めて呼んだのもベルクだった。
セリオンは、若干の羨ましさと悔しさがあったものの、エリシアが初めての愛称にとても喜んでいたので、結果セリオンも幸せな気持ちになっていた。
どこかで必ず自分も“エルシー”と呼ぶんだと、グレイに息巻いていた。
「前回は座学だったので、今日は簡単な魔法にしましょうか」
「はい!」
「出来ることは限られますが……何かやってみたい魔法はありますか?」
ベルクが首を傾げると、群青色の長い髪が肩からサラサラと流れ落ちた。
エリシアが、わぁ……と、見惚れていると、「おっと、くくるのを忘れていました」とそそくさと一つに纏めてしまった。
「……綺麗なのに」
「はは、ありがとうございます。放置してたら伸びてしまいまして」
「ベルク先生は“めんどくさがり”ってやつね?」
「内緒ですよ?」
「はーい!」
手を挙げて元気に返事をしたエリシアの頭を、ベルクはよしよしと撫でた。
「あのね、私お掃除魔法を練習したいです」
「お掃除魔法……そうですね、それを目標に頑張りましょうか。今、何が出来るのか確認だけしていきましょうね」
ベルクと共に、いろんな項目をこなしていく。
魔力の扱い方はセリオンが教えていたので、それは難なく出来た。
基礎の基礎である薬草の調合も、簡単なものなら出来た。
魔力量も平均より多く、将来医療魔法を学ぶにも十分だった。
それならばと、まず部屋の埃を集める魔法に取り掛かった時――
「わぁぁ〜! 先生! 埃の“雲”がいっぱい出来ちゃった!」
「あはは! この埃はどこから飛んできたんでしょうねぇ」
「先生〜、本が何処かに行っちゃった! 私の本〜!」
「また見事に散りばめましたねぇ〜」
「……先生、服が踊ってる」
「いやぁ、掃除魔法で服を踊らせた人初めて見ました」
初めこそリヴィアしか側にいなかったのに、今やグレイやマリアン、手の空いたメイドたちも固唾を飲んで見守っていた。
エリシアが「綺麗にしよう、片付けよう」とするたび、何故か思わぬ方向へと事態は進んでいく。
全てベルクが抑えてくれたおかげで、屋敷の大惨事は免れたが、エリシア本人はすっかり落ち込んでいた。
お掃除魔法を覚えて、セリオンの部屋を掃除するという夢が、無惨にも崩れてしまったのだ。
セリオン以外の家人たちはその状況を知っていたため、余計に「あぁ、……お嬢様!」と見守っていた。
結果、エリシアはしばらくお掃除魔法をお休みすることに決めた。
それから数日後の大雪が降った次の日のこと。
世界は一面の銀世界に染まり、光を受けて庭中がキラキラと輝いていた。
その日は魔法の授業の日。
今日はお休みかもと、しょんぼりしていたら、ベルクはいつも通り箒に乗ってやってきた。
「おはようございます、エルシー」
「おはようございます、ベルク先生!」
「今日は外に行きましょう」
「はーい!」
季節感を感じたいからベールの魔法は断って、厚手の外套を着込んだエリシアは、白い息を吐きながら庭に飛び出した。
「雪を溶かす魔法?」
「違いますよ。ここでお掃除魔法を使ってみてください」
「……お掃除魔法?」
ぎくりと肩をこわばらせたエリシア。
その言葉がトラウマになっていた。
ベルクはしゃがんでエリシアと目線を合わせ、にっこりと微笑んだ。
「大丈夫です。僕を信じてやってみませんか? きっと楽しいですよ」
「……楽しいの?」
「ええ。きっとね」
勇気を振り絞って、エリシアは少し距離を取って深呼吸した。
「……お掃除魔法!」
子供でも意識しやすく、成功体験につながるように、練習時は声を出すのがベルク流。
エリシアの掛け声と共に魔法が発動すると、雪がふわふわと集まり、みるみる丸い塊ができた。
「……雪だるまー!」
「はい。もう一度やってみましょう」
「お掃除魔法ー!」
二つ目の雪玉も完成。大人の倍はありそうな大きさに、エリシアの目は輝きっぱなしだ。
かなりの大きさである。
「先生、これどうやって乗せるの? 何の魔法?」
「それはこの間、座学で勉強した“物を浮かす”魔法です。掛け声は何でも構いません」
「ん〜……」
エリシアは口元に手を当てて考え込んだ。
そしていいものを閃いたようで、楽しそうな顔で掛け声を放った。
「雪玉ぷかぷかー!」
勢い余って二つの雪玉を同時に浮かせるエリシア。
たまたま庭が見える廊下を歩いていたグレイは、浮遊する巨大な雪玉にギョッとして庭に降りてきた。
前回とは違い、集まった屋敷の人々はみんな笑顔で見守っている。
「リヴィア、あれはどうしたのですか?」
「あれはですね、お嬢様がお掃除魔法を使って作った雪玉です!」
得意げに報告するリヴィアに、グレイは「……なるほど」と、そっと頬を緩めた。
苦手意識を克服させるために考えたベルクの作戦は、大成功だったのだ。
「あ! グレイさん見てください、一つずつ浮かせられましたよ!」
とんでもない大きさの雪だるまが出来て、エリシアはベルクと共に大いにはしゃいでいた。
グレイは、胸がいっぱいで、セリオンがこの場にいない事が残念でならなかった。
――その夜
「……というわけで、ベルク様には旦那様から何か褒美を差し上げたらいかがかと――」
「何で今日に限って緊急要請なんだ〜! 帰ったらエリシアはもう寝てるし、寂しすぎるじゃないか!」
「そうでございますねぇ」
「グレイは、見たの?」
「それはもう、しっかりと。リヴィア程ではありませんが」
「くっ……! 強めのワインを!」
「いけません。明日は朝からお嬢様とのお出掛けではありませんか。お酒くさいと嫌がられてしまいますよ」
「……明日の服は、エリシアが格好いいと褒めてくれたやつにする」
「承知しました」
こうしてエリシアは、嫌いになりかけていたお掃除魔法も、『結構苦手』くらいまで克服する事に成功したのだった。




