36話 それぞれの戦い
シンと、静まり返った地下。
廊下のランプが、膝を抱えて座り込む二人の影を作り出していた。
エリシアも、セドリスも、目線は扉から逸らせなかった。
別に目を離した所で、蜘蛛が扉を開けて出てくる事はないのだが――
「駄目、怖すぎて逆に目が離せない」
「……分かるぞ」
二人はそのまま、食い入るように扉を見つめ続けた。
それから数分経過したところで、エリシアがぎこちない動きで立ち上がった。
セドリスも渋々立ち上がる。
「……いこう、セドリス。すっっっごい嫌だけど。克服のチャンスよ」
「そうだな……ものすっっごく嫌だが仕方がない……」
二人は意を決して中の状況を確認すべく、扉をそーっと開けた。
薄暗い部屋に廊下の灯りが入り込み、蜘蛛達が一斉に壁際や物陰へ、飛び跳ねるように散っていった。
「いや、無理ーー!!」
勢いよく扉を閉めたエリシアは、頭をブンブン横に振って「むりむりむりむり……」と呪文のように呟いていた。
「いいか、エルシー。あれは“蜘蛛”ではない。“蜘蛛のような何か”だ!」
「……蜘蛛のような何か?」
「そうだ。怖くない、大丈夫だ」
エリシアの肩に手を置いたセドリスが、ゆっくりとエリシアを扉の方に向けた。
「あれは……新種の薬草だ。エルシー」
「新種の……薬草」
「あの“マンドラゴラ”の亜種だと思え」
「マンドラゴラの亜種……」
セドリスの言葉を繰り返すエリシアは、自らの足で扉に近づいて行った。
ガチャリと、セドリスが真鍮の取っ手を回し、扉がほんの少し開いた。
そのままそっと、しかし確実に、エリシアを部屋へと誘うセドリス。
「どうだ、行けそうか?」
エリシアは目の前を行き交う小型から中型の蜘蛛を凝視した。
エリシアがすっと一歩を踏み出そうとした時。
「いや、どっからどう見ても蜘蛛ー! 亜種とか、そんなわけないしー!」
「チッ、駄目か……」
「セドリス今、舌打ちした!?」
「して……」
「濁した!」
「私に押し付けようとしたでしょー! もう、怒った!」
エリシアは、踏ん張るセドリスにぷかぷか魔法をかけて、二人一緒に部屋に入ると扉を閉めた。
そして、内側から魔法の鍵をかけた。
「うわぁー! かけちゃった!」
「おまー!! 今! 鍵! 外せって!」
「無理なの、『この部屋に動ける蜘蛛がいなくなったら解除』って定義しちゃったもの!」
「何でそこだけちゃんとしてんだよ!」
呆然と、絶望を足したらこんな顔になるのだろうかと、エリシアはセドリスを見て思った。
そして、自分より怖がる人がいれば、不思議と心が奮い立つという話は本当なんだと実感した。
「セドリス、いくよ! まず小さいのは、すばしっこいけど、煙なら隅々まで行き渡るから!」
エリシアは籠から煙剤を出して用意し始めた。
そのエリシアに、蜘蛛達がジリジリと近づいて来ている。
「いやー! セドリス、お願い何とかして」
「火で燃やすか!!」
「ばかー! 火気厳禁!!」
「こんなの騎士か、魔法士案件だろ!」
そう言いながらも、セドリスはエリシアを庇うように前に立った。
「セドリス、格好いい!」
「うるっせー!」
エリシアは初めて、セドリスの『年相応の話し方』が聞けて、かなり感動した。
中型の蜘蛛は、胴体だけなら成人男性の革靴ほどの大きさだった。
足を含めばその三倍ほどになる。
必死に蜘蛛を遠ざけようと、手持ちの薬草をぶんぶん振り回すセドリス。
振り回された薬草は、セドリスの手の中でしなっとくたびれていた。
ここには、いつもの冷静沈着な彼はいない。
「……出来た! 煙出るよ、ハンカチ用意して」
人体には無害だが、煙たいのだ。
エリシアとセドリスは、自然と背中合わせでもたれかかった。
エリシアはもう、息も絶え絶えで、肩が激しく上下していた。
しかし、セドリスも同じ状態なのが背中越しに伝わってきて、エリシアは何だか急に安心した。
「セドリス、中型の蜘蛛どうする?」
「……何匹いるかだな。数が多いなら、一網打尽にしたいところだ」
「……ねぇ、今気付いたんだけど」
「何だ?」
「あの中型の蜘蛛、目を合わせてたら動かない気がする……」
セドリスは試してみることにした。
実はハッキリと見たくない為、なるべく正面から見ないようにしていたのだ。
嫌だという気持ちが湧き上がってくるが、深呼吸でそれを抑え込んでガッと視線を合わせた。
セドリスのあまりの気迫に怯んだのか、中型の蜘蛛はビクッと体を萎縮させて、動きを止めた。
目線を外す。
蜘蛛が動いた気配がした。
そして、アランの言葉を思い出したセドリスは、全身に鳥肌が立つ思いだった。
「……『目を背けちゃいけないよ』」
「それ、アランさんが!」
小蜘蛛が、煙によって大人しくなった今、エリシアとセドリスは中型の蜘蛛の特性にようやく気付けた。
「ねぇ、待って……私、ついこの間アランさんに、『岩に生息する昆虫図鑑』の話された……」
「おい待て、俺もだ。まぁ俺の場合は、『この地方に生息する岩陰蜘蛛は、天敵と目が合うと擬死する習性があるんだよー。面白いよねー』って会話だった……」
「え……怖」
二人は目を合わせて身震いした。
その会話の間にも中型の蜘蛛達は、距離を詰めて来ていた。
エリシアは目を背けたくなるのを堪えて、位置取りを確認していく。
「セドリス、私の位置からだと三匹見える」
「俺の所は四匹だな。大体七匹ってところか」
「……何使う? 粉末?」
「これだけデカければ粉末が吸収しやすいかもな……絶対、目を背けるなよ。あとハンカチ外すな」
セドリスはそう言うと、そっと背中を離して前へと進んだ。
視線を外さないように、慎重に籠を持ったとき、エリシアの方から蜘蛛が勢いよく動いた音がした。
「どうした、エルシー、大丈夫か!」
「ご、ごめん、まばたきしちゃって!」
「その一瞬であんなに動いたのか……」
セドリスはゾッとした。
背筋から足元まで氷の棒で地面に縫い付けられたように、足が一瞬固まる。
「セドリス! 頑張って!」
「……!」
エリシアの声で、氷の棒が解けたように、足が動いた。
――いけ、いくしかない!
セドリスは粉を手で掴めるだけ掴んで蜘蛛に向かって投げつけた。
粉といっても、薬草から作られた鎮虫粉だ。
若干の魔力も含んでいるため、狙った場所へ向かって散っていく。
二匹の蜘蛛に粉末が飛んでいった。
そして意思を持つかのように蜘蛛を包み込んだ。
二匹の蜘蛛はふらりと脚を揺らしたあと、ゴロンとひっくり返って大人しくなった。
その様子に鳥肌を立て、身震いしながらも、セドリスは他の蜘蛛に目をやった。
「あと五匹……」
エリシアの呟きを皮切りに、二人は文字通り死に物狂いで蜘蛛と対峙した。
やがて最後の一匹と思われる蜘蛛がひっくり返ったのを確認した時、扉の鍵が開いた。
エリシアとセドリスはしばらく動けなかった。
肩で息をして、滴る汗が床に落ちていく。
無我夢中で気付かなかったが、二人の周囲には、蜘蛛が沢山ひっくり返っているし、木箱は蜘蛛によって落とされて中身が散乱している。
そして、何よりも至る所に蜘蛛の巣が張り巡らされていた。
二人は、項垂れるより先に、再び大量の汗をかきながら、全てを取り除いて綺麗にしたのだった。
その間エリシアとセドリスは、「これは汗で、涙じゃない」と、お互い言い張っていた。
そして、その部屋を出て鍵をかけると、エリシアは糸が切れたようにその場に座り込んだ。
隣でセドリスも座り込んでぐったりしている。
二人は笑顔こそなかったが、お互いの拳をぶつけ合って「おつかれ」と、労いあった。
二人の帰りが遅いと心配した医療士達が様子を見にいくと、壁を背に、二人仲良くもたれ合って眠っている姿が、そこにはあった。
***
「アミルー!!」
「アミル!」
「エルシー! セドリス!」
三人は、夕方の光でオレンジに染まった会議室にて、感動の再会を果たしていた。
エリシアとアミルは泣きながら抱き合って、セドリスもアミルと強めのハグを交わした。
三人にとって、それ程の一日だった。
オレンジに光る窓を背にした三人を、アランは満面の笑みで見つめていた。
「再会の感動を分かち合えたら、そこの席に座ってねー」
アランの一言で、すっと日常に戻された三人は、素直に席に着いた。
左からセドリス、エリシア、アミルだ。
歩く時も何をするにも、この並びである。
ここでアランが突然、プーッ、と、噴き出し笑い出した。
「いや、はは! 本当昔っから変わらないねぇ」
「何がですか?」
エリシアは首を傾げた。
アランが突然笑い出すのは、珍しくないから慣れたものだ。ただ理由がいつも分からない。
「何でもないよ、昔と変わらない君達を見て、ほっこりしちゃった」
アランは三人と順に目を合わせた。
「セドリス。エルシー。アミル」
そして、アランはニコリと笑った。
三人は、その笑顔に背筋を伸ばした。
「卒業試験――合格おめでとう」
「「「…………?」」」
「おめでとう!」
「「「…………?」」」
エリシアも、二人も、ポカンと口を開けてアランを見ていた。
アランはその顔にまたブフッと笑い出している。
「……え? 秋の終わりじゃ」
いち早く立ち直ったセドリスが尋ねると、アランが「それは嘘でーす」と、あっけらかんとして言った。
「理由はね、見習いの卒業は、一度の試験だけで決まるものじゃないんだよ。普段の行いや考え方、観察眼、技術、知識――これまでの全部を見て、総合的に判断する」
三人は黙って頷いた。
「君達は、知識も技術も、もう十分に卒業できるところまで来ていた。ただ、最後に一つずつ、どうしても確かめておきたいことがあったんだ」
アランは、三人を順に見つめた。
「エリシアとセドリスは、蜘蛛を極端に怖がる。アミルは、一人になると自分の力を信じられなくなる。それ自体が悪いわけじゃないよ。でも、医療の現場では、苦手なものから目を背けられない時も、一人で判断しなければならない時もある」
エリシアは手で口を押さえ、セドリスは机の上で拳を握った。
アミルも胸元の服をぎゅっと掴む。
「もちろん、危険だと判断したらすぐに止めるつもりだったよ。ずっと連絡鳥で見ていたからね」
言葉が出ない三人。
「自分の弱点を知ったまま目を背けてたら、安心して医療士として送り出せないからね」
それを聞いたエリシアは、胸の奥がきゅっと締め付けられるような気がして、そっと俯いた。
医療士になるということを、自分はどこか漠然と考えていたのかもしれない。
けれどアランは、三人を安心して送り出すために、最後まで真剣に向き合ってくれていた。
「いや〜、でも頑張ってくれて良かったよ。こっそり見ながら、もうヒヤヒヤものだよ? 分かる、この“親”の気持ち」
「「「…………」」」
「まぁでも? 君達は自分から弱点に立ち向かって、乗り越えてみせた。そのことを誇りにして、あとは座学試験も頑張りなよー?」
アランは未だ静かな三人の頭をポンポンポンと、撫でると、部屋を後にした。
エリシア達三人は、その後もしばらくその部屋から動けずにいたが、夜の鐘が鳴り始める頃には、自分の気持ちに折り合いをつけ、笑顔で手を振ってそれぞれ帰っていった。
***
「士長、よく我慢しましたねー」
「……君が拘束魔法をかけたお陰かな」
「だって、そうでもしないと助けに行きそうだったでしょー?」
アランはセリオンの士長室で優雅に夜の紅茶を嗜んでいた。
今夜は生憎、月がないので趣に欠ける。
が、それでも三人の子の成長が見られて、いつになく気分が良かった。
「本当に頑張りましたよね、三人組」
セリオンも自分のカップを手に持つと、執務机からアランの向かいのソファに腰掛けた。
紅茶の香りが、セリオンの昂っていた気持ちを鎮めていく。
「もう、三人ともね。見ながら涙が止まらなかったよ。あの映像は、アミルとセドリスの親にも見せてあげられるんだよね?」
「もう、飛ばしましたよ。記憶媒体に繋げていたので大丈夫です」
「彼らも、号泣ものだろうね」
「士長みたいに……ぶふ……ですね」
「あれはもう仕方がないだろう……あんなに嫌いだった蜘蛛に、自ら鍵をかけて立ち向かったんだから……」
思い出し泣きをし始めたセリオン。
アランは思い出したように話を変えた。
「会議室から出たのは少し前みたいですね。ずっと三人で籠もっていたようで」
「……ショックだったんだろうね」
「ですね。でも、きちんと理解させるのが私の役目なんで」
「……アラン」
「と、言う事で、ご褒美下さいね。前のもまだだから、だいぶ溜まってますよ」
「く……っ! 何がいいの?」
「考えときます」
「その答えが一番怖いよ……あ! でも砦を離れるとかそう言った類は受け付けないよ」
「えー酷い! 横暴だ! 俺に自由をー!」
「だめだめだめ、あーあー、聞こえないー」
アランは、心の底から笑った。
そんな事をしなくていいのにと。
アラン自身、ここから――セリオンの元から離れる気なんて毛頭ない。
――こうやって、何だかんだ匂わせて、“セリオンから引き留めてもらう”のがご褒美なんだと、いつか気づかれるのだろうか。
この部屋は、しばらくの間アランの笑い声で満ちていた。
三人の見習いが、一つ先へ進んだ夜のことだった。




