35話 試練
――砦内、医療士棟。
「ぎゃー! いやー! こっちに来ないでー!」
「待てエルシー! こっちにヤツらが……うわぁ!」
その地下倉庫に響き渡る、二人の悲鳴。
――一方その頃、神殿では。
「どうしよう……自信ないよ〜。うぅ……エルシー、セドリス……」
調合台を前に、アミルの涙が溢れていた。
――彼らに、一体何が起きたのか。
時はぐいんと、朝まで遡る――
寒冷地の夏は短い。
ついこの間、「何もしてなくても汗が垂れるね〜」と、話していたのに、今は「そろそろ長袖にする?」に変わった。
最北ではないものの、北に位置するこの砦は夏が平地よりも貴重に感じる。
自然の理は、魔法でも手出しできない範疇で、医療もまた同じ。
魔法は決して万能ではない。
だからこそ、医療士が存在する訳なのだが――この見習い三人組は、その医療士になるべく、ひたすらお手伝いや勉強に励んでいた。
「やっぱりもう風が冷たくなってきてるねー、せっかく半袖の可愛いワンピース買ったのに一回も着てない……」
エリシアが両腕をさすりながら、項垂れた。
「ずっと勉強してたからなぁ。俺も、もう少し夏を感じたかった」
「ふふふ、セドリスにしては珍しく詩的だね! でも分かるな。私も何かしたかった」
建物の中は、過ごしやすいように一定の温度と湿度に保たれている。
それでも、渡り廊下や、中庭、訓練場などなど、季節感を感じられる場所はいくつもあった。
三人はその渡り廊下を歩いている最中だ。その先にある訓練場を抜けて、薬草園に行こうとしていた。
そんな時――
「君たちにぴったりの仕事をあげよう!」
「出たー!」
「エルシー、失礼だよー。いくら仲が良い兄妹だからってさぁ?」
「……妹になった記憶はないですけど」
「はい、三人ともちょっと戻って会議室来てくれる? 仕事の話だよー」
三人は揃って返事をして、会議室へと来た道を戻って行った。
***
「エルシーとセドリスは地下倉庫の整理整頓と掃除。アミルは神殿から応援要請来てるから、そっちに回って」
アランは、椅子に座ったエリシアとセドリスの前に、重そうな真鍮の鍵の束を置いた。
木の机に、真鍮のぶつかる音が柔らかく響く。
「倉庫は三つあるからよろしくね。埃とか余計なものは、全部、綺麗にしてね」
エリシアは、やけに『全部』を強調するなぁと思いながらも、頷いた。
片付け魔法が苦手なのは変わらないが、だからといって嫌いじゃないのだ。
「セドリス、目を背けちゃいけないよ。お互いにフォローし合って助け合うんだ」
「……? はい」
セドリスはセドリスで、いつもの事なのになと、不思議に思った。
でも、アランの目が少し真剣味を帯びていて、疑問を飲み込んだ。
「で、アミル。神殿では急な気温変化についていけずに、体調を崩した領民が大勢来ている。受付とかその他諸々、臨機応変にやるんだよ。君なら出来る」
「はい」
アミルは、神殿には何度も応援に行っているのに、大袈裟だなと、首を傾げた。
でも、君なら出来ると言われたのが嬉しくて、笑顔になっていた。
かくして、エリシア、セドリス、アミルはそれぞれの仕事を全うすべく、笑顔で手を振って別れた。
アランはそんな三人をいつもの笑顔で、爽やかに送り出した。
「……頑張ってね。君達ならきっと出来る」
そう呟いたアランの顔は先程とは違い、眉を下げ、優しさに満ちた表情に変わっていた。
――時は再び『今』
アミルは、調合台の前で涙をこぼしていた。
神殿へ向かったアミルは、いつものように受付に入り、緊急度によって患者を各部屋へ振り分けていた。
そんな時、薬の調合を一手に引き受けていた、神殿の調合士が突然の体調不良で倒れてしまった。
医療士達はみな患者の診察や治療で、手が離せない。
薬はどんどん減っていき、このままでは足りなくなる。
そこで、アミルへと調合の仕事が回ってきたのだ。
幸い、複雑な病はなく、気温変化による体調不良が殆どで、アミルの知識で充分対応出来るものだ。
「自信が……ありません。」
エプロンを両手でギュッと握りしめたアミルは、まるでエリシア達と出会った頃のように小さく震えていた。
「大丈夫。貴方に足りないのは“自信”だけです。他はきちんと身に付いていますよ」
神官がアミルの目線になるよう、膝を折って話しかけた。
ポロポロ零れ落ちる涙が、アミルの拳を伝って床へと落ちていく。
「アミル。私は応援に来てくれる貴方をずっと見ていました。誠実な貴方だからこそ、不安になってしまうのでしょう。ここには、エリシアもセドリスもいない」
アミルは最後の言葉にぴくりと肩を震わせた。
「……二人がいないと……怖くて」
「大丈夫ですよ。彼らと積み上げてきた知識も技術も、私は信じています」
神官の包み込むような優しい微笑みに促されて、アミルは涙を拭って調合室へ向かった。
部屋はかなり乱れていて、一人で戦っていた痕跡があちこちに残っていた。
年季の入った器具には薬草がこびりついていたが、どれも長年大切に使われてきたことが伝わってくる。
「倒れた彼は少し変わり者でして……手伝いを好まないのですよ」
苦笑いの神官が、手を左から右へすーっと動かすと、部屋はみるみる綺麗になって行った。
「さぁ、アミル?」
神官は、足の止まったアミルの背中にそっと手を添わした。
「……私は部屋を出ていましょうか?」
「いえ……居て下さい」
アミルは調合台を前にして、再び涙が溢れてきた。
「どうしよう……エルシー、セドリス……助けて」
アミルは昔から自分に自信を持てずにいた。
エリシアや、セドリスと出会ってからは、彼らと一緒に学んで笑い合っていくうちに、彼らとなら何でも出来るとも、思えるようになっていた。
反面、一人になると途端に自信がなくなってしまうのだ。
いつもしている簡単な調合ですらこの調子で、体が強張ってしまう。
引っ張ってくれるセドリスも、背中を押してくれるエリシアもいない。
アミルはどうにかして涙を止めようと目を強く瞑った。
『何やってるんだ、アミル。いつもの調合だろう』
『アミルは私より丁寧だから、出来上がりの量が多いね!』
二人の声が頭に響いた。
まるで隣にいてくれるみたいに、両肩が温かくなって、気持ちが落ち着いてきた。
そして――
『君なら出来る』
アランの言葉が背中を押した。
――大丈夫、やれるよ。私はアミル。三人組の一人!
アミルが涙をぐいっと拭うと、神官がそっとアミルに魔法をかけた。
濡れていた袖もエプロンも綺麗に乾いて汚れも消えていく。
「貴方の心のように綺麗になりましたよ。出来そうですか?」
「はい! 頑張ります!」
アミルは調合台に向き合って、頭の中で調合手順をなぞっていく。
そして使い古されたすり鉢を手に、アミルは調合を始めた。
――アミルが神殿に到着する少し前。
エリシアとセドリスは、鍵束を手に地下への長い階段を降りていた。
「……ねぇ、セドリスちゃんといる?」
「その質問おかしくないか? 俺を先頭にして後ろに回ったの誰だよ」
「いや、何か言いたくなっちゃって……だって、怖いんだもんー!」
石造りの階段を一段一段降りるたび、靴音がやけに大きく反響するのが怖くなってきて、エリシアはセドリスの背中にしがみつく形で階段を降りていた。
「……まぁ、確かに楽しい空間ではないな」
「素直に怖いって言えばいいのに」
「少し怖い」
「ねー!」
エリシアは同意を得られて嬉しそうだったが、セドリスはとても、渋い顔をしていた。
階段を降り切ると、開いた空間があって、奥にそれらしい部屋が三つ並んでいた。
「地下にはあまり魔法をかけてないみたいだな」
セドリスが周りをぐるっと見回している。
「そうだね、少し肌寒いかも。でもこれくらいなら動いたらすぐに温まりそう」
「だな。さっさっと片付けよう」
エリシアは鍵束を取り出した。
扉の鍵穴のそばに小さく花の模様が彫られている。
同じように鍵にもそれが彫られていて簡単に見つけることができた。
花の模様の鍵を差し込んだ。
カチリ、と甲高い小さな音がして鍵が開いた。
「行こっか」
「おい、待て。慎重に……」
エリシアが、扉を開くのとセドリスが制止したのがほぼ同時で間に合わなかった。
開いた扉から、金や銀の光る粉を振り撒きながら蝶が数匹、一斉に光を求めて飛び出した。
「わぁ!」
「蝶!? 毒は無さそうだが……そっちは駄目だ!」
セドリスが咄嗟に見えない壁を作って、階段の少し手前で足止めした。
セドリスは手で触れないように、魔法で一匹を捕まえてぐるぐると観察した。
「倉庫に敢えて捕まえてたの? それとも卵が付いてたとか?」
「多分、後者だろう。アランさんが余計なものは全部綺麗にしろって言ってたし」
「……なるほどー。外に逃がそうか。この蝶は普通に外飛んでるよね。粉をキラキラさせながら」
「あぁ、魔獣じゃないただの昆虫だ。それでいこう」
エリシアとセドリスは一旦上へ戻り、簡易的な害獣駆除用の薬を数種類作った。
そして蝶は香で眠らせて、その間に卵や、幼虫を探して回った。
幸い、卵も幼虫もいなかったので、蝶だけを袋に捕らえて駆除は完了。
そして主に“花”関連の荷物が多い、この部屋の整理にとりかかったのだった。
次は、二つ目の部屋。
何も彫られていない普通の鍵だった。
恐る恐る扉を開けたものの、何事もなく淡々と仕事は進んだ。
二つ目の部屋が終わった時、流石に疲れたエリシアがふぅと、ため息をついた。
「いやー、ちょっと疲れるね」
「そうだな。何があるか分からないから慎重になるしな」
「どれが夏物で冬物か分かりにくいんだよねー」
「殆どに魔法で封をされてるもんな」
二人は少しだけ座って息を整えつつ、軽くおしゃべりを交わした。
普段はおしゃべりなエリシア達。
しかし仕事となると、必要以上に話をする事はあまりなかった。
「そろそろ最後の部屋をやろうか、エルシー」
「そうね。行きましょうセドリス」
セドリスが先に立ち上がってエリシアに手を差し出した。
それが何だか劇に出てくる王子様のような仕草でエリシアは笑ってしまった。
「鍵は、えーと」
この扉には岩のような絵が彫られていた。
「岩? 何だろうね」
真鍮の鍵が触れ合う心地いい音と共に、鍵を見つけてエリシアが差し込んだ。
鍵を回すと、がちゃりと音がした。
その瞬間。
中から嫌な感じの音が聞こえた気がした。
何かが動き回っているような。
それも一匹ではない。
「「…………」」
扉をそーっと開き、エリシアとセドリスは細い隙間に目を近づけた。
――そして。
「「…………!」」
エリシアは咄嗟に跳ね上がり、セドリスの顎を頭で打ってしまった。
ジンジンする頭を押さえるエリシアと、顎を押さえるセドリス。
しかし、二人とも痛がっている場合ではなかった。
扉の向こうでは――床も壁も関係なく、無数の脚が蠢いていた。
それが何なのか。
二人は、よく知っていた。
「「……蜘蛛」」
二人は目を合わせ、同時に呟いた。




