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砦のエリシア ―辺境砦で紡ぐ、医療士たちの日々―  作者: 灯影
第5章 未熟な一歩 

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33話 あり得ない場所

 

 今日に限って、特に霧が酷かった。


 砦から見渡せる範囲はいつもの半分にも満たないし、森なんてもう見えない。

 朝靄なら時間が経てばある程度晴れるのに、この霧は何だかエリシア達を拒むかのように、ずっしりと重く居座っていた。



 早朝、砦の門の前にはアランを中心に、騎士二人、魔法士一人、そしてエリシア達三人の、計七人が揃っていた。


 仕事柄、早朝なんてお手のもの。

 みんな普段と同じ様子で、手際よく荷物を魔導車に積み込んでいく。


 アランが今回の流れを簡単に説明していると、夜間巡回のメンバーがいつもより少し疲れた様子で戻って来た。

 その中にはクリステルがいたので、アランが一人近づいて、森はどんな様子だったのかを尋ねた。


 どうやら深夜を過ぎた頃から霧が出始めたという。

 そのせいで方向感覚や聴覚まで狂わされて、かなり厄介だったらしい。


 その情報も踏まえ、対策を練りながら、エリシア達は砦を出発した。



 魔導車に、アラン・魔法士・エリシア・セドリス・アミルが乗り込んだ。

 騎士の二人は魔馬に乗って、魔導車の脇を固めた。


 そして、昨日セルシィとロデリックに拾われた場所まで辿り着くと、エリシアは魔導車から降りて辺りを見渡した。


「ここまでひたすら前だけ向いて走ったから、多分ここから森に入ればいいと思う、んですけど……」


 エリシアは、あの時もう少し周りに目を向ければ良かったと後悔した。

 しかし、なんせ視界が悪い。

 昨日と同じ場所とは思えない程暗いし、あの時は目印なども考えもしていなかったので、不安しかない。


「大丈夫、辿れますよ〜。僕にお任せを〜」


 のんびりした声がエリシアの不安を吹き飛ばすように、柔らかく辺りに響いた。

 声には魔力が乗せられていて、霧の影響を受けることなく、滑らかに耳へ届いた。


「エリシア嬢、ちょ〜っと魔力みせてね」

「あ、どうぞ!」


 エリシアは両手を広げた。


「ブフッ。両手広げなくても大丈夫。流すね」


 “のんびり魔法士リーン”の性格とは正反対の、少し鋭さを帯びた魔力がエリシアを包むように展開された。

 それでエリシアの魔力を分析して、より正確にエリシアが移動した場所を辿れるらしい。

 魔法士は、魔法の扱いに長けているのが見て取れて、エリシアは思わず感嘆の声を上げた。


「……すごい」


 キラキラと、リーンの魔力がエリシアを中心にゆっくりと回って、消えた。


「はい、終わり〜」


 見た目は、のんびりした癒し系に見えるけど、中身は底知れないリーン。

 今回の同行は、新種かもしれないという話に惹かれ、リーン自ら志願したものだった。

 セリオンやアランも、内心ではリーンに来てほしいと思っていたらしく、結果的に双方にとって都合のいい形になった。


 実は副師団長がいない魔法師団。

 その理由は明かされていないが、リーンが面倒くさくて拒み続けている、というのがまことしやかに囁かれていた。


 箒事件――リーンが速すぎてアミルが死にかけたあの一件――や、今の魔法を思えば、エリシアは、その噂もあながち嘘ではないのかもしれないと思った。


 そんな事を考えている間に、リーンは既にエリシアの魔力を辿り、目的地への道を見つけていた。


「エリシア嬢は結構無茶な事しましたねぇ。一歩脇に逸れていたら、この前騎士達と潰した蜘蛛の大型魔獣の巣がありましたよ。まぁ今はないですけどね〜」


 エリシアの全身に一瞬で鳥肌が立ち、ブワッと震えが走った。


「……蜘蛛の、巣ですか」


 エリシアは蜘蛛が大の苦手だった。

 なぜここまで苦手なのかは分からないが、小さい頃から無理なのだ。

 医療士として毒を扱う際、毒蜘蛛には触れる機会が出てくるので、見習いになった頃から克服するべく、鋭意努力中ではある――が、結果はあまりよくなかった。


 それどころかあのセドリスも実は苦手だと知ってからは、二人で器用に避けてきた。


 ちなみにアミルは、こぶし大の蜘蛛が肩に落ちて来た時も、『大っきいね〜!』だけで、全く動じなかった。


 アミルが、蜘蛛から視線を外した時には、既に二人は遥か遠く逃げていて、なおかつ、柱の影に隠れながらアミルを見ていた。


 エリシアが、そっとセドリスの方を見ると、とても遠い目をしていた。

 当然、彼も克服に向けて鋭意努力中である。



 ***



 目標地点に到達すると、リーンの索敵で特に危険がない事を確認した。

 大人達を先頭に、それでも恐る恐る魔導車を降りたエリシア達見習い三人組。


「いつもの威勢はどこに行ったの?」


 アランが三人組に笑いかけた。


「な、なんか霧が濃くて、オバケが出そう……」

「オバケ!?」


 エリシアとアミルが二人して「怖いね〜」と頷き合うのに対して、アランが笑いを堪えて叫んだ。


 セドリスはどっちつかずの表情で、騎士二人は微笑ましそうに、エリシア達を眺めていた。

 リーンに至っては既にワクワクが抑えきれないようで、ここ一帯の霧を魔法で晴らしていた。


 しかし晴らした先から霧が立ち込めて、イタチごっこだ。


「……まぁ、これはただの異常気象だねー。この付近でたまーにあるから、因果関係はなさそうかな」


 アランが森全体を見渡すように視線を滑らせていった。


「エルシー、匂いはする?」

「えっとですね……あー、あっちからします!」


 鼻につくような、ねっとりとした甘い香りが、木々の隙間を縫うように風に乗って流れてきた。


 そこからはエリシアが犬のように鼻をクンクンさせて、少しずつ進んでいった。

 途中、美味しそうな果実の香りに、お腹を派手に鳴らしてしまい、みんなに笑われたエリシアだった。


「……あー、このなんとも甘い感じのやつ?」

「そう! それです!」

「確かにこの辺りでは感じない匂いだね。万人受けしそうな甘さだな」


 一番に気付いたのはアランだった。


 そこから香りが近づくにつれて、セドリス、アミルも「何か、良い匂いがする」と、きょろきょろと周りを見まわした。


 しかしエリシアは、それを“良い匂い”とは思えなかった。

 確かに甘くて美しい香りなのに――キツすぎる。

 まるで、香水の泉がすぐそばにあるかのように、濃密な香りが鼻の奥にまとわりついてくる。


(……みんな、この匂いは良い匂いとして感じるんだなぁ。私だけが少し嫌な感じに思うのかも……“違う”って何となく寂しいな)


「やっぱり医療班は鼻が良いんですね〜。僕はまだはっきりとは分からないですよ」

「俺たちもだな」


 リーンと、騎士の二人はまだ分からないと、首を振っていた。


 そんな一行が足を止めたのは、大きな岩に出来た窪みに、ひっそりと咲いた三輪の花を見つけた時だった。


「……アランさん、これ図鑑で見た事あるんですけど……“ミルフィオラ”で合ってますか?」

「セドリスは勤勉だねー、正解でーす。

 これはミルフィオラです。他の二人は分かる?」

「はい。三人で図鑑見てた時に、温暖地の箇所も見てて……淡い白金色の美しい花だったからよく覚えてます。ね、アミル」

「はい。この花は無害で、昔、鎮静薬が切れた時には、この花で代用していたと書いてありました〜」

「おやおやおや! 三人ともちゃんと勉強してるねー! 偉い」


 アランが嬉しそうに褒めるので、三人も嬉しくなった。

 けれど、それが少しむず痒くて、エリシアは目を逸らしてしまった。


「魔馬は平気そうだね。やっぱり人とは反応が違うか」


 霧に怯むこともなかった魔馬は、いつもと変わらぬ様子で主人の側で大人しくしていた。

 騎士の二人が首筋を撫でると、嬉しそうに目を細めて大きな鼻面をぐりぐりと押し付けていた。


「さて、ここからは少し警戒が必要だから、子供達は常に大人達の中心にいるようにしてね。リーン、周囲の索敵と警戒、よろしくね。騎士の二人は、子供達を最優先でお願いします」


 リーンと騎士がそれぞれ頷き合い、それぞれの役割を果たすように動いた。

 エリシアは、どんどん増す緊張感に、足が震えそうになりながら、興奮もしていた。


 あの時転移魔法で飛んだ時は、本当にどうしようかと思ったが、そのお陰で新しい知識がまた増えると思うと、まぁ良いかとさえ思えてしまう。


 アランがベールの魔法をかけて花にゆっくりと近づいていった。


 と、その時――


「あ」


 と、アランが何かを見つけたように声を上げた。


「三人とも、ベールを掛けて来てごらん」


 言われた通り、魔法をかけて三人はそろそろと近づいて行った。

 アランは花から視線を外さないように気を付けながら、三人をちょいちょいと手招きした。

 こういった場面では、エリシアかセドリスのどちらかが先に見るのが定番になっていた。

 アミルがいつも、自分は最後で良いと譲るので自然とそうなるからだ。


 今回は、立ち位置からエリシアが先に見ることになりそうだったが、アランが「セドリスもこっちから見なよ」と横にずれた。


 エリシアとセドリスが花に少し顔を近づけた所で――二人揃って猫のように飛び上がり、そのまま後ろへ盛大に尻餅をついた。


 そして、二人は面白いほど同時に、ありったけの叫び声を上げた。


 もちろんアランは、その声が周囲へ響かないよう、音を遮断する結界を張っていた。


 地面に対して半円に張られた結界内では、お腹を抱えて笑うアランに対して、腰を抜かして立てない二人が、顔を赤くして何か叫んでいた。


 きっとエリシアは思いつく限りの罵声を浴びせているのだろう。セドリスの倍は口を動かしている。

 唇の動きを読んだリーンが、独り言のように呟いた。


「あはははは、『ばかー! ゴミー!』って言ってる〜。ゴミって……! 悪口下手すぎない? はは!」


 リーンは、医療班は面白い人達ばかりだなぁと笑っていた。


 アミルと騎士達も、結界内の声は聞こえないものの、何があったかは大体予想が付いていた。


「可哀想に……二人とも、蜘蛛嫌いなのに」

「あれ、蜘蛛って分かってたの?」


 アミルの呟きを拾ったリーンが、目を丸くさせて楽しそうに尋ねた。


「対象が花で、二人をうまく誘導したアランさんを見て、ですけど」

「ははは、まぁ普通は分かるよねぇ。素直だからこそ可哀想に、蜘蛛と副医療士長の餌食になっちゃって」


 アミルとリーンの会話を聞いていた騎士達が目を見合わせた。



「……俺らの所がまともに思えるな」

「そうだな……ツンデレと、声がデカいだけで優しいもんなぁ……」


 騎士二人はしみじみと頷き合った。


 アランがパチンと結界を解いた気配がした。

 ぜぇぜぇと、肩で息をするエリシアとセドリスの頭にぽん、ぽんと、手をやったアランが、少し真面目な顔でリーンに向き直った。


「さて、この花の中にびっしりと埋まるように群生してる蜘蛛なんだけど――」


 このアランの言葉に、エリシアとセドリスは四つん這いのまま、ものすごい速さでアミルの背後に回った。


「ぶふ……ふ、こほん、えー、この蜘蛛はミルスピアといって、ミルフィオラと共生している蜘蛛なんだよ。胡麻粒サイズで、半透明。攻撃性はないんだけど――」


 ここでアランは、騎士の二人を見た。


「汗をかきやすい人が特に危険なんだよね。だから騎士達に被害が多かった」


 騎士達は目を丸くすると、慌てて首筋や顔の汗を拭って、花からジリジリと距離を取り始めた。


 その騎士達を横目に、リーンがのんびり「箒に乗る職種で良かった〜」と、呟いて騎士二人からジトっとした目で見られていた。


「何でかというとー。まず、花粉を纏ったミルスピアが何らかの要因で――例えば風に吹かれたりね――人に付くでしょ。そこで蜘蛛の体毛に付着した花粉が、人の汗と反応することで、遅効性の神経毒を生み出す。それで、そのまま経皮吸収〜ってわけ。怖いんだよねー!」


 アランとリーンだけは目をキラキラとさせ、子供のような顔をしているのに、口元にはニヤリとした笑みを浮かべていた。


「あ、あのー、よく分からないんですが……。それって花粉がついた時点でもう毒になるんですか?」


 騎士の一人が恐々尋ねると、アランはすっと目を細めた。


「いや、それがそうじゃないんだよね。花粉単体では、汗と結合しないんだよ。ミルスピアが体毛から出す分泌液と花粉。それに生き物の汗が加わると、神経毒の出来上がりってね」


 騎士達は渋〜い顔を引き攣らせて、そっと魔馬の汗を拭き取った。


「さてここからが、医療的な話になるんだけどね。はいはい、そこのお二人さ〜ん、仕事の話ですよ」


 肩をぴくりと跳ねさせた二人は、ものすごく眉間に皺を寄せて、心底嫌そうな顔ではあるが、しっかりと立ち上がって羽ペンを出した。


「頑張ろうね〜。あ、羽ペンはいらないよ。この花、根っこから全部採取してくれる? ちょうど一人一本、だね」


 にこりと、副医療士長の顔で微笑まれたら、エリシアもセドリスも動くほかなかった。


「花と蜘蛛は別々に採取してね。花粉を纏った体毛が汗に触れた時の反応を再現して、毒性成分を調べるからー」


 エリシアとセドリスは、ずっと目を細めて、極力見ないように作業していたら、まんまとアランにバレて「観察も医療士の大事な部分でしょ」と、叱られた。


 二人の動きがいつもの半分なのに対して、アミルがそれをカバーするように積極的に動き回った。



 ――今回は、医療士団の先入観が招いた見落としだった。


 医学書にも記載されており、症状も『神経毒がもたらす獣化妄想』と、今回のものに一致していた。


 この地では本来起こり得ない症例だったため、その可能性に意識が向かなかった。それが、見落としの原因だった。


 ここには自生するはずのない花が咲き、その花を巣とする蜘蛛まで根付いていた。


 本来なら、種が風に運ばれてきても、寒さに耐えられず育たない。けれど岩の窪みが保温環境となり、偶然にも花は根を張った。

 蜘蛛もまた、その花を巣とすることで、寒い森へ出ることなく生き延びた。

 やがて花が咲き、春風が花粉を纏った蜘蛛を運び、絶えず汗をかく騎士達に付着した。


 全てのあり得ないはずの偶然が、絶妙に重なってしまったのだ。


 エリシアは今回のことで、セドリス達と『ありえない』と簡単に切り捨てるのはやめようと約束した。

 

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